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(R18残酷)第四十三話「何も感じない」/ 長編:立入禁止区域を、あなたに

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 右手に包丁を持って廊下に立っていたユヅルさんは、ワイシャツの左の袖を捲り、突然包丁で自分の左腕を切りつけました。彼の左腕からは鮮やかな赤色の血が滴り、それがポタリポタリと廊下の床に落ちていきます。

「ちょっとユヅルさん、何やってるんですか!? 死にますよ!?」
「あははっ。俺はこのくらいじゃ死なないよ」

 ユヅルさんは、腕から血を流しながらリビングの横の部屋に入っていきました。
 おい、待てよ。利き腕じゃなくても、その腕で美味しいご飯を作っているんだろうが! 切りつけてすぐに命が失われなくても、それは大事な商売道具だろうが! 何やってんだよ、このバカ男!! 

「ユヅルさん、いい加減にしてください! 今すぐ止血しますよ!!」
「止血? もう出来てるけど?」

 ユヅルさんに続いて部屋に入ると、彼は既に左腕を布で巻いて止血し終わっていました。

「ユヅルさん、大事な腕になんてことを!」
「ええ? だって、もっとトモちゃんと遊びたかったから」

 ユヅルさんは、先ほどと同じようにドアの前に立ち、私を出られないようにしてきます。

「え……? ちょっと待って。ねえ、ユヅルさん、まさか……」

 まさかこの人、これから……

 ユヅルさんの止血のことで頭がいっぱいで、気づけなかった。今、私がいるこの場所は、とても狭い。約二畳くらいのウオークインクローゼット。存在は知っていたけど、何となく入るのを避けていた場所。
 私は、この狭い場所でさらに暗くなったら……

「ごめんね、トモちゃん。なんか背中がつかえて電気消しちゃったみたい」
「い、いやだ! ユヅルさん、いやだ、出して!! 出してえ!!!」

 暗い! 見えない! いやだ!! いやだ!!
 この男、知ってて電気を消したんだ!! 狭いのは得意じゃないけど、狭いだけならまだ大丈夫。暗いだけならまだ大丈夫。でも、その二つが合わさると本当にダメになるんだ。
 幼少期、渋滞中オシッコを漏らしてしまったときにいたトンネルのように、狭くて暗い場所に入ると私は恐怖に支配されてしまう。
 そして、狭くて暗いにさらに<出られない>が加わると、私はもう、パニックになって上手く呼吸が出来なくなってしまう。
 閉じ込められる恐怖、出口が見えない恐怖、逃げられない恐怖――!!

 このことは一人にしか言っていないのに。目の前のこの男じゃなく、あのネイリストにしか言っていないのに、なんでこの男はそれを知っているんだ? どうやって聞き出したんだ?  

「ユヅルさん、お願いだから、ここから出して……はあっはあっ。助け……て……」
「助けて?」
「お願い……助け……て……」
「なあ、『助けて』って、それ誰に言ってんの?」

 こいつ! 言わなくても分かってるだろ!? このままこの場所にいたら、私は確実におかしくなる。出なきゃ。何としてでも出なきゃ。でも、動けない――!!

「さっきお前が話していたやつらはどうした? もういないのか?」
「はあっはあっ。ユヅルさん……ここから出して……」
「人を挑発しておいて何言ってんだよ。なあ、お前まさかその場の感情に任せて俺に喧嘩を売ってきたのか?」
「ユヅルさん、私、呼吸が……出来なくなってしま……」

 とうとう、ユヅルさんがドアを塞いでいる前で、床に座り込んでしまいました。時間が経って暗闇の中でも目が慣れてきたのか、周りに何があるのかが分かります。ハンガーにかけられた何着かのお洋服、そして、タブレット端末、ロープ、刃物……あとは、なんだろう、ああもう、呼吸が上手く出来なくて、だんだん頭がぼんやりとしてきた……。

「おい、ボーっとして寝るんじゃねえよ。お前には、これから遊んでほしいんだけど」
「遊んで……?」
「そう。ああ、そっか。君は友達と遊んだことがないから意味が分からないのか? 友達いないんだもんな」
「何で今、そんなことを……」
「しつもーん。ねえ、トモちゃん。君は自分に友達がいない原因を考えたことがある?」
「え……?」

 ユヅルさんは私の前にしゃがみ、呼吸をするので精一杯の私の顎を持って、正面から私の顔を見てきました。

「亮介にも、あのピアノの女の子にも、お前が自分から線を引いて遠ざけていたじゃねえか。それなのに『自分には友達がいない』って?」
「線?」
「俺から見てもバレバレだったんだけど。それで『自分は独りぼっちだ』とか言ってんの?」

―― ビクビクしていることって結構分かってしまうから。逆に相手も気を使うのよ ――

「え? 私、自分から線を……?」
「あははっ。自覚なかったんだ? そういや、あいつもそうだったな。『誰にも相談出来る相手がいなくて独りぼっちで追い詰められてた』なんて泣き叫んで命乞いしてきたけど、金を渡さなきゃ動いてくれない人間しか周りにいない原因が、自分にあるということを分かっていなかった。今さえ、自分さえ良ければいいやつだった。そんなやつに、善良な人間の心と店を壊されたんだ……」
「え――?」

 どうして、今になって気づいたのでしょう? サイトウさんのお気に入りだったお店の店主さんと、ユヅルさんの上司だった方はきっと同じ人なんだ。私はやっぱり、気づくのが遅い。

 ユヅルさんは、私の顎を持つ手の力を強めてきます。でも私はもう、その手を振り払う力もありません。

「自分は何もしないで、欲しいものがあれば他人を利用してもいい、辛いことは他人のせい……お前もあいつにそっくりだ。ちなみに以前、亮介が『トモが絵を描きたがってるけどなかなか歌ってやれない』って申し訳なさそうにしてたけど、なら、お前は亮介に歌ってもらうために何をしてきた?」

 ユヅルさんは私の顎から手を離し、今度は私の髪をゆっくりと撫でてきます。

「まさか自分では何もせずに『ピアノの子とは会ってくれるのに私とは会ってくれない』とか思ってねえよな? そりゃ亮介からしたら、ピアノの子に時間を使うほうが有意義だろう。俺にキスされた亮介を見て欲情するようなお前と一緒にいるよりはな」
「そ、そんなこと……」
「サイトウの予想通りだったよ。あのとき、自分の欲を止められないというお前の本性が出ていた」
「私の、本性……?」
「あとさ、さっきリビングで言ってた『亮介を守る』ってアレ、何のために? 何目的であいつを守りたいんだ?」
「あ、あなたの“イイ子”にしないため……はあ、はあ……」
「ふーん。亮介が俺の“イイ子”ねえ。でも、その場合、亮介が俺との生活を希望したらどうするんだ? どうせお前の理想の中には、亮介の意思なんて一つも存在していないんだろう?」
「亮介さんの、意思……?」
「なあ、自分が全く絵を描く努力をしていないのに、昇進して大事な時期の亮介を何に利用する気だ?」

 ユヅルさんは無表情のまま、まだ私の髪を優しく撫で続けてきます。

「どうせすぐに満たされるのなら絵じゃなくても何でもいいんだろう? だからお前の語った<夢に対する想い>は簡単に崩れて、目の前の快楽に流され続けてきたんだろう? サイトウの部屋にも自分から付いていったみたいだしな」
「私は……はあっ、繋がれなきゃ、はあっはあっ、いられなかった……から」
「その状態になるまでには、いつでも逃げられたはずだ。被害者面するな」

 ユヅルさんは、立ち上がってタブレット端末を一台手に持ちました。ずっと狭くて暗い部屋に閉じ込められ、酸素を上手く取り込めない状態が続いている私に対し、追い打ちをかけるようにして彼はまだ何かをするつもりなのでしょうか?
 もう、やめてほしい。これ以上は本当におかしくなる。でも、もう、体が全然動かないのです……!

「いやああ! ユヅルさんっ! やめてください!!」

 ユヅルさんが私に見せてきたタブレット端末の画面には、目を覆いたくなるようなグロテスクな動画が映っています。画面の中には、体の一部を切り取られていく人達の姿がありました。

「何だよ、ちゃんと声出るじゃねえか。元気になったねえ」
「何ですか、この動画!! もういやだ!! 叫び声も聞きたくない!!」
「なんかね、ちょーっとオイタしちゃった人達らしいよ。でもまあ、世の中には欠損した状態が好みという人間も……」
「もう、やだああ! ユヅルさん、ここから出して!!」
「そうだ。次はこういうのはどう?」
「いやだ! やめて! これ以上は――!!」

 ユヅルさんは、一度動画を止め、またタブレット端末を操作し始めました。電気が消されたままのこの狭いスペースで、表情をなくした彼の顔がぼんやりと端末の光に照らされ、それが余計に、私に恐怖を植え付けてきます。

「なあに? 俺はもっと遊びたいんだよ。本来はこの部屋ではここまでやらないんだけど、喧嘩売ってオイタしちゃうような子には、<躾>が必要だ。サイトウが外に出られるようになるまで、俺がここで調教してやる」
「はあっはあっはあっ。もう息が……くるし……」
「何? また呼吸出来なくなってきた感じ? だからまだ寝るなって」
「くる……し……。息が、はあっ、出来な……」
「喋れるんなら息出来てんじゃねえか。なあ、教えてやるよ。本当に息が出来ない状態っていうのはさあ――」

 ユヅルさんが次に私に見せてきた動画には、水槽に顔を沈められて苦しそうにもがいている女性の顔が映されていました。

 ねえ、この女性の頭を沈めている手は、誰の手ですか? あなた、まさか帰ってこない日、サイトウさんのいる場所に行った“イイ子”に対して、この<躾>をしていたわけじゃないですよね? お客様に美味しいご飯を作るための、その大事な手で、こんなにむごい<躾>をしていたの? 違いますよね?

「ねえ、可愛い可愛い“イイ子”ちゃん……」

 ユヅルさんがまたしゃがんで私の顔を正面からじっと見てる。あれ? なんかもう、あまり怖くないかもしれない。だんだん怖いかどうかも分からなくなってきた。

「俺はさあ、お前みたいなやつを見ると色々と思い出して本気で吐き気がするんだよ。自分では何もせず楽してすぐに気持ちよくなるために、善良な他人を巻き込んでもいいと思っているような人間は、その思想を永遠に土に埋めて、肥料になるべきだ」
「ひりょう……。お……かね……?」
「そうだ。この汚れた世界で本当に守りたいお客様だけを守り続けるには、どこかで何かを養分にしなければならない。さあ、そろそろ脳を壊して楽になろうか」
「ら……く……」
「今から俺が、その腐った思想を土に埋めてやるよ。あの人が守りたかった“お客様との世界”をこの先も作り続けるために、これも俺にしか出来ないことなんだ。なあ、そうだろう? 雪仁」

 あ、ユヅルさんが立ち上がった。次は私、何をされるの? ……いいや、もう、どうでもいい。きっともう、何をされても何も感じないだろうから。

 ねえ、だけど、

 今まで一緒に暮らしてきたけど、あなたは他人に対してそんな風に極端な思想を持つ人だったっけ? 

 ああ、もう、意識がもたない――。

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とても嬉しいです。ありがとうございます!!