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共感と許容量

こんにちは、大手町会社員です。

先日、後輩とランチに行ったのですが、その時になんか深いような気がする話をされたのでここに残します。

人が他の人と接する時は、味覚・嗅覚・聴覚・視覚・触覚のどれかがメインとなって相手のことを判断してるらしいんです。

こう言われるとあんまりピンとこないけど、自分が人のどこを気にしているかを挙げてくと不思議なことにこの5つのうちのどれかに偏るんですよね〜

私の場合は、「時間にルーズじゃないかどうか」「挨拶ができるかどうか」「食器と箸の使い方」「服のセンス」とかで判断してるので視覚に偏ってるんですよね、
その後輩が何派かは忘れましたが、なんかめっちゃ共感してくれました。

そもそものこれを考えるきっかけがありまして
後輩ちゃん、いつもめちゃくちゃ飲み会に行ってたんですね、一方私は大人数の飲み会とか絶対行かないんですよ。
時間とお金の無駄だと思っちゃうし、飲みに行きたい人がいれば自分から誘って行くし。
それで、後輩ちゃんも最近めっちゃ疲れてて、無駄な飲み会に行きすぎているとハッとしたらしいんです。
超どうでもいいけど地味に大切な気づきだと思ってます。

はっとしたときに、後輩ちゃんの中でなぜか私のことが思い出されたみたいで、その話をしました。
なんか書いててまとまりがなさすぎる感じがしますが、強行突破します。

そうそう、どうして大人数でいると疲れちゃうのか調べてみたらしいんです、そしたらさっきの五覚の話が出てきたそうです。
確かに、聴覚と視覚メインの人は疲れそう

生活してて、「あ〜、あの人今このことを考えてるな」とかサプライズが大体わかっちゃうとか隠し事も当てちゃうとかそういう経験ありません?
きっとみんなあると思うんですけど、それが日常茶飯事で、知ってる人が多い場所に行くといろんな人のいろんな思考が流れてくるような気がして疲れちゃうんですよね、気にしなきゃいいだけの話なのにその場にいるとどうしても見ちゃう。のでいつもタバコ吸いに行くという名目で仲良い人を連れ出して散歩してますね。

ただこれって普通に生きるには過剰な感覚だと思うんですよ、人が嘘ついてるのもわかっちゃうし、自分のことどう思ってるのかも大体わかっちゃうし、映画とかドラマも結末予想できちゃうし、味気ないなって思うんです。

挙げ句の果てに、浅い人が多すぎるとか文句言ってるんですよ、何を偉そうに!

とはいえ、私の予想できる・共感できちゃう範囲のことをそのままやって以上終わりの人って自分の中では全然面白くないしわかりきってるから関わろうとする気もなくなるという。

なんかな〜、知ってるってことはもちろん出さないですが、それがしんどくなる時って突然訪れるんですよね、、

もう無理だ!!ってなったときはもう一人でひたすらこもって人との関わりを遮断しますが、そうじゃない方法で解決したい。
人のことが嫌いなわけじゃないし、寂しい時もあるから関わりたいし

そして、この感情を人に話す時なんて説明すればいいかもわからないです。
急に「私、人の考えてることは大体わかるんですよ〜」とか言ってもキモいじゃないですが。

最近、身の回りでくだらないことが起きすぎて、それが自分に流れ込んできすぎてちょっとしんどくなっちゃいました。

まだまだ経験値が足りないので、これからどうにかする方法を見つけたいけど、人に鈍感な人も嫌いだからそうもなりたくないという、、、ジレンマ、、、

ちょうど転職も決まって、関わる人がガラッと変わる時期も控えているので、今のうちにそこのキャパを開けておきたいです、、、、、

がんばるぞ!!!!!!!

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