ガンガー木

インド 瞑想を巡る旅 3

ガンガーの大きな木の下で

修行はいらない

 2017年4月、次に向かったのはヨガの聖地と呼ばれるリシュケシュ。ティルバンナーマライからケーララへ戻りしばらく過ごした後、ケーララからハリドワールまで二泊三日の直行列車に乗った。近所の最寄り駅から列車に乗り込み、南から北へ次第に変わっていく風景やチャイの味を楽しみながら、ふた晩眠って降りたところは、南インドとは全くの別世界。二段のエアコン寝台を取ったので思ったよりも旅は快適だった。
 ここ数年インドに来てもケーララのど田舎で過ごすのがほとんどだったので、ティルバンナーマライでもツーリスティックに感じていたのに、リシュケシュは毎日がヨガフェスタのようで、最初はかなり落ち着かなかった。しかし緑色に澄んだガンジス上流の流れは、特別な輝きをたたえていた。
 
 リシュケシュでは朝は毎日ヨガのレッスンに通い、夕方はスワミ・アトマナンダというやはりアドヴァイダの先生のサットサンに参加した。スワミ・アトマナンダはベルギー人の先生で、リシュケシュでアジャンタナンダ・アシュラムを主宰していた。
 彼も毎年12月にティルバンナーマライでサットサンを開いていおり、そこで初めて出会った。学校の先生っぽい温厚な風貌と、知的で分かりやすい語り口に好感を持ち、リシュケシュにアシュラムがあるなら行ってみようと思ったのだった。
 アジャンタナンダ・アシュラムのある場所はメインストリートからそれほど離れていないにもかかわらず、ガンジスを見渡せる崖っぷちに位置していて、静かで気持ちのよい場所だった。たまたまアシュラムのすぐ近所にいい部屋を見つけたので、滞在期間の4週間ほぼ毎日アシュラムで行われるサットサンに出かけた。

 このアシュラムはフランス人の高名なスワミであったスワミ・アビシェカナンダが生前に構想していた、ガンジス川沿いにスピリチュアルなコミュニティの場を作るという志を継いで、彼の愛弟子だった同じくフランス人のスワミ・アジャンタナンダの名前にちなんでつけられていた。西洋人が作ったアシュラムだけに清潔感があって美しく、アシュラムというよりは修道院ぽい雰囲気でもある。ホールの壁には「道は別でも真理はひとつ。」というスローガンとヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教のシンボルが配置されていた。一階の瞑想ホールには、シヴァ神、ブッダ、キリスト、マハーヴィーラの石像が並んでいた。

 スワミ・アトマナンダのサットサンは伝統的なアドヴァイダ・ヴェーダンタの哲学をベースにしていた。毎日古典のテキストが配られ、それを解説しながら質問に答えていく。グルやマスターというより、哲学の授業という趣で、自分が何をどこまで理解しているか確認するいい機会になった。
 アドヴァイダ、というよりより現代的なノン・デュアリティの場合はプラクティスなど全く無意味と切り捨てる先生もいるが、スワミ・アトマナンダは穏健派というか、自己をしっかり見つめるためには、マインドを静めて集中力をつけるための修練は必要だと教えていた。アシュラムでも朝にヨガレッスン、夕方には瞑想の時間があった。しかし同時にプラクティスはエゴを強化してしまうので、最後はリラックスして全てを手放すようにとも語っていた。
 リシュケシュはヨガの聖地なので、当然沢山のヨギーたちが集まってくる。そこでいきなりプラクティスはエゴを強化するから、サレンダーしなさいと言われても戸惑ってしまうだけだ。私もジョシーにずっとディシプリンは大切だと言われ続けてきたので、そのポイントはどうしても引っかかる。他のヨギーたちも、自分なりに落とし所を見つけたくて、何度も熱心に質問する人もいた。

「プラクティスは準備をするためには有効です。けれど同時に個としての「私」、つまり探す人を強化するのです。ですから最終的にはリラックスしてサレンダーすることが必要です。プラクティスする者自体にフォーカスするのです。あなたという存在の底に、何もしないで気づきを保ちながら。その時、プラクティスする者は消えてゆくのです。」
「このティーチングはとてもマイノリティなもの、これは宗教とは違います。宗教にはもっとシステムがあります。この教えは個人のより良き人生を約束するのではなく、私たちが非個人であることを知ることです。
 全ての形あるものは、たったひとつのリアリティから生まれます。どんな条件付けもなく物事を見る時、全ては分離していないと分かるのです。
 どんな時にも浸透しているプレゼンスに気づいてください。あなたはいかなるときも純粋な意識と分かたれることはありません。どこか特別な場所にいく必要はないんです。目覚めた賢者(ギャーニ)は自分を個人とはみなしません。「目覚めた個人」というものは存在しないのです。あなたは生命そのもので、その生命は決して死ぬことはありません。死ぬのは生命に付随していたキャラクターだけです。」

「個人的な愛とは単なるアタッチメントにすぎません。あるがままの世界と、純粋な意識に気づき、理解することこそが愛です。愛することとと愛されることは一つだと知ることです。マインドからでなくハートから世界を見てください、マインドが泣く声に囚われず、その奥にある平和と静けさを感じてください。愛とは物事がただ、あるがままにあることを認めることなのです。
 個人的な想いや期待、それは波のようなものです。波を手放し、海に返してあげなさい、私たちは本来波ではなく、はじめからこの大海そのものなのですから。」
 
 スワミ・アトマナンダの静かで地に足のついたエナジーで語られると、そんな言葉もじわっと胸に染み込んでくる。しかしやっぱり、どこかで疑問は残る。
 確かにあなたはすでに「それ」なのだから、全てをサレンダーしてあるがままでいなさいと言う言葉は、耳あたりがよく、心が楽になるのだが、はいそうですかといきなりごろ寝したところで、何かが変わるとは思えない。いや変わるという考えそのものが間違っているのだ。という感じで、そもそも言葉では捉えられないものを、理解しようとするのだから、堂々巡りの袋小路に入りやすい。何かを「する」のではく、ただ「ある」とはどういうことなのか、だからこそ言葉を超えた存在やエネルギーを先生と生徒がの共有するサットサンが大切なんだろう。

美しきガンガーのミラ

 ある日、町中のカフェでお茶を飲んでいると、凛とした美しい目をした白髪の女性の写真が目に飛び込んできた。近づいて見ると、それはガンガー・ミラという女性のサットサンの告知で、そこにはパパジの西洋人で最初の弟子で、パートナーだった女性と書かれていた。
 パパジとはラマナ・マハリシの直弟子で、現在のアドヴァイダ隆盛の要になった人物である。彼は西洋人の弟子を多く持ち、ムージやガンガジなど今のスピリチュアル界のスターになった弟子たちも少なくない。ティルバンナーマライに外国人が多く集まるようになったのも、パパジの師として注目を集めるようになったからだという。彼女に西洋人の奥さんがいたなんて知らなかった。
 早速部屋に戻って彼女の事を調べてみた。ガンガー・ミラはベルギー人で大学の哲学科の学生だった頃に、真理とは何かという探求に目覚め、20代の初めに答えを求めて、単身インドへ旅立ったそうだ。様々なグルを訪ね歩いても答えは見つからず、とうとうお金も尽きかけた頃、ガンジス川のほとりでインドを旅していたパパジと出会ったという。
 彼との短い出会いでガンガーミラは大きな気づきを得、彼こそが私の先生と悟ったが、すでにパパジは立ち去った後だった。パパジの名前すら聞かなかったガンガー・ミラは、彼と出会ったガンジス川の辺りの木の下で、煮炊きをし瞑想しながら待ち続けた。すでにお金はなく、ひたすら瞑想を続けるミラに、周りに住むインド人たちは特別なものを感じ、彼らが持ち運んでくれた食事で生き延びていたらしい。
 そして待つこと八ヶ月、とうとうパパジが戻ってきた。それから彼女はパパジとともに旅を続けることになったのだそうだ。二人の間には娘が一人いるらしい。
 インドにはこうした心に残る不思議な物語がいたるところに生きている。ちなみに、ガンガーミラがパパジと出会った場所のすぐ近くには、ビートルズが滞在していた、通称ビートルズ・アシュラムと呼ばれる、マハリシ・マヘーシュ・アシュラムがある。時期もちょうど同じ頃。
 しかしサットサンの場所の地図も住所もポスターにははっきり書かれていない、その辺の人に聞けってことだろうか。どうしたものかと思ったら、ある日スワミ・アトマナンダのアシュラムにガンガー・ミラが現れた。二人は同じベルギー人同士、古くからの友人だと言う。
 ガンガー・ミラのエネルギーはとてもくつろいでいて、深い瞳の輝きと、そのプレゼンスはとても美しく、彼女のサットサンが待ち遠しかった。
 当日会場に着いてみると、屋根も敷物もマイクもない。ガンジスの川べりに地元の人からパパジ・ツリーと呼ばれている大きな木があり、近くで牛が草を食み、木の上でサル達が遊んでいる。その脇にババ達が寝泊まりしている小屋があって、彼らが寝そべったり、のんびりとチャイなど飲んでいる。
 メインストリートは、ヨガフェスタの賑わいだがちょっと脇にそれるとまだまだ聖地らしい趣が残っているのだ。しばらく待つと、ガンガーミラがふらりと現れ、木の下に座って少しのサイレントの後、質疑応答がはじまる。何とワイルドで自然体なサットサンであろうか!
 しかし時は4月、すでに気温はかなり上がっていて、正直日差しは強いし、サルはうるさいし、マイクもないので英語も聞き取れず、内容をつかむのにはかなり難儀をした。
 ガンガー・ミラのティーチングはパパジ直系という印象で、スワミ・アトマナンダよりも容赦なく、より良き何かに「なる」ために、何かを「する」、という幻想をばっさばっさと切り捨てていった。そして私たちの「個としての私」というアイデンティティの根っこの、さらにその先にあるもの、「ただそのままである」という透明な場を質問者に直接手渡していこうとする。
 以前ティルバンナーマライでパパジから学んでいたというドイツ人男性と話したことがあるが、それまで仏教の修行をしていた彼は、パパジに「何もするな」と言われてものすごい衝撃を受けたと言っていたのを思い出した。修行することで特別な何かになれる、と当たり前に考えてきた探求者たちに「何もするな」という投げかけは、修行よりもずっと過激なチャレンジであったのだ。

 野外のサットサンだから、来ている人もふらっと立ち寄った感じの人も多く、いきなり触れるアドヴァイダの教えに、頭をぐるぐるさせる人もいる。
 ある時、若い女性が手を上げて質問をした。「ところで、どんなプラクティスをするのが一番有効ですか?」周りは一瞬しんとなる。答えは何かみんな知ってるから。
 ガンガーミラはにっこり笑って言う「何もないわよ。」
 その女性は納得できずに途中で帰ってしまった。
 またある時彼女は言った。「パパジのサットサンの時、みんな気持ち良くなってうっとりしていたけど、気持ち良くなっているのはマインドにすぎないと、よくパパジは言ってたわ。それは真実とは違うものよ。」
 
 アドヴァイダの先生達が執拗に何もするなというのは、別にプラクティスそのものが有害だという訳ではないのだろう。ただプラクティスすることに固執して、強固なアイデンティティを打ち立ててしまうことが問題なのだ。自分にも経験があるが、ヨガのプラクティスを毎日続けていて、身体がいい感じになってくると、今度は一種の中毒症状を呈し始める。ヨガをしている自分はOKだが、していない自分はOKじゃない。こういう行為や考え方はヨガをする人としてふさわしくない、という感じに。
 そしてもっともっといい感じになりたくて、プラクティスはエスカレートする。
「私は毎日ヨガを欠かさない、意識の高いヨギーニ」というアイデンティティを作ってしまうと、今度はそれが失われることが恐怖になる。
 けれどその特別なアイデンティティを守ろうすることが、あるがままを見る目を曇らせる。だからスワミ・アトマナンダも「プラクティスの最後は、何もしないで手放しなさい」と言うのだろう。
 それともうひとつ、いくら厳しいプラクティスを続けていたとしても、本当に望む場所には決してたどり着けないから。山登りのために準備運動をし始めたとする、でもずっと準備運動をしていても、山頂へはたどり着かない。だから先生達は言う、「さあ、もう準備運動はやめなさい、そして黙ってここにいなさい。あなたたちは最初から山頂にいるのだから、そのことに気がつきなさい。」
 
 ガンガー・ミラのサットサンは本当にゲリラ的で、その日の最後に次のサットサンの日にちと場所が伝達された。場所はいつもいつも野外で、ある時は警察に集会は禁止だと止められたこともあった。
 ガンジス川の両河岸の斜面沿いに町が続くリシュケシュでは、オートリキシャーはメイン通り沿いしか機能しておらず、いつも1時間以上かけて歩いて通っていた。メイン通りを外れたガンガー沿いの細道はには大小さまざまなアシュラムがあって、修行者達がそこで暮らしていた。
 聖地らしい、本当に気持ちいい散歩道なのだが、暑いので、着く頃にはヘロヘロになっていて、さらに炎天下で話を聞くので、終わって再び帰りつく頃には、日差しに当たりすぎて頭がぼんやりした。4月の下旬になれば、リシュケシュでもかなり気温が上がってきて、初めて体験する北インドの夏は、ケーララとは全然違っていた。部屋の壁は夜になっても熱がこもって暑い、肌もかさかさになる。幸い宿は高台にあって、夜は涼しい風が吹き込んできた。暑さに耐えられずに、不用心は承知だったが、ドアを全開で風を入れなければ眠れなかった。
 アジャンタナンダ・アシュラムも、スワミジのヨーロッパツアーのために閉めてしまったし、旅人も暑さを逃れてみな北のほうへ移動を始めていた。そろそろ私も動く時だ。
 瞑想を学びたいと始めた旅なのに、行く先々でそれを否定されるとは、一体どうしたことだろう?本当にジョシーのいうとおり私には瞑想は必要ないのか。ジョンがいうとおり、どんな伝統的なプラクティスを通しても、真実を知ることはできないのか。
 次の目的地はインドにおけるチベット仏教のセンター、ダラムサラ。

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