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祈ること、開くこと(前編)

  インドに来て早くも2ヶ月半。このnoteを更新しようと思いつつ、随分時間が経ってしまった。今私はケーララ州、コッタヤムという町にある、マルマ療法の治療院で3週間のトリートメントを受けている。 
 マルマ療法はアーユルヴェーダの治療法と共通点も多いが、マルマというツボに似たエネルギーポイントを強い圧で刺激するのが特徴だ。
マルマ療法の治療院は、ケーララに伝わる武術カラリパヤットの道場と併設されていることが多い。カラリパヤットは3000年の歴史を持つ、世界最古の武術と言われている。剣や盾、棍棒を使い、動物を模した機敏でダイナミックな動きが特徴。その戦術にはマルマの攻撃も含み、マルマと人体を熟知した師範はグルッカルと呼ばれ、武術を教えるとともに治療も行う。
私が滞在している治療院も屋上が道場になっていて、夕方になると練習が始まる。やけにごつい男子ばかりが出入りしているので、通常のアーユルヴェーダの治療院とは少し趣が違う。
治療はまだ5日目が終わったばかりで、なんとも言えないが。マッサージはかなり圧が強い。アビヤンガと同様、二人掛かりで長いストロークでごしごし身体を擦りまくる。最初の3日くらいは、あちこち痛くて、気持ち良いとは程遠い。グルッカルによれば、筋肉の状態で同じマッサージを続けていても、毎日反応は違う。そのうち痛みがなくなると、心地よさを感じるようになる。最終的には、完全に体に緊張がない、リラックスした状態まで持って行く、そうしたら体は内側から大きく変化していく。そうなるまで、楽しみに待っていなさい。とのことだった。
 確かに体の変化は朝、アーサナをしてみるとよく分かった。身体の中心にエネルギーが充填されたような感覚がある。特にパドマ・アーサナなどの坐法で座ると。おへその中心に自然に気が入って、それが背骨からまっすぐに通って行く。それがなんとも心地よく。まさにアーサナとは「楽な身体のあり方」なのだと実感する。
 トリートメントは、朝早く一回のみなので、これが終わってしまうと特にやることがない。幸い泊まっている部屋は広くて、机がある。ここでようやく久しぶりに落ち着いてPCを開く余裕ができた。

先生の怪我

12月半ばにインドに着いた時、当初の予定では2月過ぎまでティルバンナーマライに滞在し、節分を過ぎた頃にケーララへ移動しようと考えていた。ところが着いてすぐに、私のヨガの先生であるジョシーの元に電話をすると、予想外の事態が起こっていた。ジョシーが転んで右腕を怪我したらしい。幸い骨折ではなかったが、右肩を脱臼し、右ひじにヒビが入ったとのこと。

「あなた今どこにいるの?」と看病をしている先生の妹が聞く。
「...もうインドです、ティルバンナーマライにいます。」
「いつまで、そこにいるの?」
「え~と、2月の初めまで。」
「そんなに居るの?こっちはヘルプが必要なの。まあ、弟がちょうど帰って来てるからいいけど。」
と言われた。

 ジョシーが一昨年に大きな足の手術をしたことは前回にも書いた。あの時すでに随分、体の自由が効かなくなってしまったのだが、さらに追い討ちをかけて、腕までもも怪我をしたこともショックを受けた。腕の怪我はそれほど重症ではないが、そう歳も年だし、すでに右足に相当なダメージがあるわけで、一体彼の身体はどうなってしまうのか。
 そして同時に、ここで一人静かに瞑想し、色んなサットサンにも参加しようと目論んでいた計画を、早速崩されたことにも、ショックを受けた。
 ジョシーから卒業というわけではないが、一昨年の足の手術以来、普通にプラクティカルなヨガを彼から学べなくなった今、この長期の旅では色々な場所を訪ねて、ヨガや瞑想を学んでみたいと、密かに考えていたのだった。ここ数年インドに来れば、ケーララの先生のそばで生活していたが、そこから少し距離をとって自分の足で歩き、自分の内なる声にゆっくり耳を傾ける時間も欲しかった。そして、ここ数年ヨガばかりしておざなりになっていた、絵を描くことへの情熱も戻り始めていた。

 その旅の最初のポイントがこのティルバンナーマライだった。1月末から2週間どうしても参加したセミナーもあった。そうやってジョシーから少し離れて、新しいことに向かおうとしているのを、見透かされたような気がしたからだ。インドの師弟関係は大抵そうだけれど、決まった先生がいながら、あちこち他を徘徊するのはあまり歓迎されない。
 ジョシーのことは敬愛していたし、アーサナがあまりできなくなっても、学ぶことはたくさんあったが、シンプルにプラクティカルなヨガをまだまだ勉強したい気持ちが消えたわけではない。だからといって、彼との関わりを放り出してしまうことも、考えられなかった。インドに来る前から揺れ動いていたのに、怪我の知らせで私はすっかり動揺してしまった。
 とにもかくにも、ケーララに行かないという選択肢はない。多分早めに行くのが良いのだろう、しかし「やろう」と考えてた計画を崩されて、腹立たしい気持ちもなくはなかった。せっかく来たのだからやはりティルバンナーマライも満喫したい。たまたま1月初めに友人とここで待ち合わせて会うことになっていたので、それを口実に私はケーララ行きをだらだらと引き延ばす事にした。
 罪悪感がないわけではなかったが、罪悪感から自分のやりたいことをやらずに済ますことは、できればしたくなかった。ケーララに行こうと、自然に思った時が行きどきだ。

 瞑想の日々

 ティルバンナーマライでは、一人で気ままに毎日アシュラムで瞑想し、時間を見つけてサットサンなどに顔を出した。今回は特にシヴァ・シャクティのダルシャンに毎日通った。シヴァ・シャクティはティルバンナーマライに住む有名な女性の聖者で、シーズン中は毎朝20分ほどのダルシャンを行う。その20分の間彼女は一切話をしない。
 彼女は毎朝10時過ぎになると、しずしずとホールに入ってくる。一旦座って全体を見回し、今度はゆっくり歩きながら一人一人の目を見つめていく、そして再び椅子に座って全体を見回したら、またゆっくり帰ってゆく。
たったこれだけなのだが、シーズン中はダルシャンは毎回満席になる。初めての人は、少々きょとんそし、ある人は恍惚とし、ある人は大泣きする。毎回、自分の状態で受け取るものが違ってくる。
 これまでも、何度か彼女のダルシャンに行っていたのだが、いまいちピンとこなかった。しかし今年は時にものすごく深いエネルギーを受け取ることができた。
 人生に様々な変化があり、その流れで思い切ってアパートを引き払ってインドに来てしまったが、ここでどうするかという展望はほとんどなかった。行き当たりばったり、と言えば思い切りがいいが、当然不安もあった。ジョシーの健康状態がより悪くなったことで、さらに私は混乱していた。
 あれ以来、私は先生の弟に何度か電話して状態を確認していたが、腕のサポーターを付けたがらず気がつくと外してしまうので、なかなか良くならない。手が上がらないので食事もトイレも一苦労だ。去年以来から腰も随分曲がってきてしまったと言う。

 何故、神様は私が希望を抱いていたものを次々と、奪ってしまったんだろう。
何故、私が愛する人に、こんなに次々と痛みを与えるんだろう。答えの見つからない悲しみが、深く心の底に沈殿していた。インドの伝統的なヴェーダンタやアドヴァイダの教えは素晴らしかったが、人生は全て幻と言い切ったところで、悲しみが癒えるわけでもない。今はただ静かにハートを開いてくれる、女性的なエネルギーを必要としていたのだろう。シヴァ・シャクティのアシュラムのホールに座っていると、身体の芯に深いエネルギーが流れ込み、胸の中心が大きく軽く空洞になって、風が抜けてゆくように感じることもあった。
 その後ラマナアシュラムで瞑想し直すと、より深く集中できたので、シヴァシャクティからラマナシュラムのコースが日々の日課になっていた。
 やはりラマナ・アシュラムは特別で、ここで不思議な感覚に引き込まれることが何度もあった。
 アルナーチャラの中腹に、ラマナ・マハリシが若い頃住んでいたという、スカンダアシュラムがある。見晴らしの良い場所に建つ、小さなアシュラムで、今のラマナアシュラムからそこまでの30分弱の山道は、巡礼路のようになっている。
 ある日そこへ行き、一番奥のラマナ・マハリシの写真が飾ってある祠のようなスペースに座った。4人座ればいっぱいになる大きさで、若い女性が一人、そこで号泣していた。目を閉じて座ると、彼女のエネルギーにシンクロしたのか、すっと深い感覚に包まれた。
 
 まるで子宮の中のように、薄暗く、生暖かい暗闇。
 そこに一筋、尽きせぬ柔らかなエネルギーが注がれている。
 暗闇は深く静かで、そこにいる私は生まれてもいないし、死んでもいない。

 そうだった、生まれる前、私はこんな暗闇の中にいた。
 なんという懐かしさだろう。
 なんという心地よさ。
 その暗闇の中の私は、私を私だと思う前の私だ。
 
 そして私は生まれることに、怯えていた。
 生まれるのは怖い、沢山の悲しみ、沢山の痛み、そんな事に耐えられない。
 すると、一筋の光が私に注がれる。
 大丈夫だよ、生まれておいで、大丈夫、全ては見守られ、愛されているから。
 大丈夫、生まれておいで...
 
 気がつくと、私も彼女と一緒に泣いていて、はっとして目を開けると、その場所は思ったより明るかった。時間にすると、ほんの5分か10分だったと思う。

 アルナーチャラはエゴを焼き尽くす

 ティルバンナーマライには、長年スピリチュアルなプラクティスを積んで来た人が
沢山集まっていたが、私もそんな人々の何人かと仲良くなった。何故かインドの神秘家OSHOのお弟子さんが多かった。きっと彼らが厳格すぎず、オープンで率直なところに惹かれたのかもしれない。縁あってそのうちの一人からカウンセリングを受ける事になった。ケーララへ行く前に何かと混乱している心のうちを整理したかったのだ。
 セッションの当日、カウンセラーのTさんが、私が滞在しているゲストハウスの部屋に現れると、私は一気に今まであったことをまくしたてた。ジョシーとの出会いや、彼の健康状態がどんどん悪くなる事に対しての悲しみと戸惑い、同時に結婚生活が破綻したことや、仕事も半ば放り出して、アパートを引き払ってインドに来てしまったことなど...
 彼女は私の話を一通り聞き終わると、言った。
 「で、聞きたいんだけど...」「さっきから色々話して居るけれど、自分のことより
、先生の話の方が多いわね。先生が大変な状況なのはわかったわ、で自分のことはどうなのかしら?自分だって大変なんでしょう?」
「まあ、そうですね...」それは確かにそうだった。
「きっと私は、大変な先生のことを考えることで、自分のことから目を背けようとしてるんだと思います。」
「あと、ご両親の話がひとつも出なかったけど、あなたとご両親の関係はどうかしら?」
 私はインドでの生活のことを相談したつもりが、彼女はそのもっと根っこの方から探りを入れて来た。

 こうしたスピリチュアルなセッションでは、表面に起こっていることよりも先に、もっと奥にある、特に親との関係を見て行くことが多い。全ての関係性は親との関係の雛形だと言わているからだ。
 私たちは自分の心の縮図を関係性の中に投影する。自分の外側のことを言う時も、本当は内側の世界のことを言っている。自分の外の世界が変われば、何かが良くなる、変わると思いがちだが、本当は私の内側に世界の種子はある。
 だから人が、何か特別な関係性の中で悩んでいるとしたら、その雛形を自分の内なる世界から見つけ出すことから始めていくのだ。

 そう言われて、私はすぐ思い当たることがあった。私の母親との関係だ。
 母は敬虔なクリスチャンで、ティーンエイジャーの頃から私はそれに反発して育った彼女はいつも私にこう言っていた「人の役に立つ仕事をしなさい」それは保母さんとか看護婦とか学校の先生とか、そういう関係の仕事だったが、正直私には全く興味が湧かなかった。もっと自由で華やかん仕事がしたい。80年代育ちの田舎娘は、堅実なことを言う母の言葉を完全に無視していた。
 それが急に変わったのは、母が突然亡くなってからだった。亡くなる半年前から急に体調を崩し始め、倒れて病院に運ばれたら末期の胆管ガン。それから3ヶ月であっという間に亡くなってしまった。

 彼女が亡くなってはじめて、私は母の望んでいたことをひとつもかなえなかったことに気がついて愕然としたのだった。彼女が喜ぶようなことを私は全くしていない。子供も作らず年中旅をしてフワフワと地に足がつかない。仕事だってバリバリやっているわけじゃなく、何もかも中途半端じゃないか。
 そうなのだった、私は体の不自由なジョシーの世話をすることで、こう言いたかったのだ「お母さん、私だってちゃんと人の世話をすることができるんです。」
 そして自分の事情をそっちのけで、人のことを考えるのは、母が人生おいてずっとしてきたことだった。

 それからTさんは、私の家の中にある化粧品などのボトルを集めて、「家族の座」(ファミリー・コンステレーション)というワークをはじめた。これはドイツ人の心理療法家バート・へリンガー氏によって確立されたワーク。通常はグループで家族の役割を演じながら行うらしいが、今回彼女はその簡易版として、ボトルを家族のメンバーに見立てて、そのエネルギーの流れを読み取って行く。
 ボトルを並べただけで、何か深いことが分かるのか、と訝る人もいるだろうけれど
これがやってみると結構分かるのだ。

 私が家族に感じている距離感や罪悪感、戸惑い、そして愛情...
心の中に隠されているエネルギーの流れを、直感的に感じて再確認する。ただ今あるエネルギーの流れを、あえて変えることなく、確認して感じる。それだけで深い変容が起こるのだと言う。家族という自らのルーツを見ることは、私が世界に対してかけているフィルターをあぶり出しにしていく。
 家族との関係に、どんなに嫌なこと、認めなくないことがあったとしても、自らのルーツにノーと言うことは、自分の命にノーということなのだ。そしてノーと言えば言うほど、その避けたい関係性の雛形を、私たちは世界に対して投影していってしまうのだと言う。
「無意識にぼんやりと生きていれば、人は必ずこの長いルーツによって育まれた
この家族の力学の中から出られないんです。でも、あなたはここに来て瞑想を学んでいるわけだから、この力学に巻き込まれて生きるか、自らの中心にしっかり留まって生きるか、その選択ははっきりしているでしょう?だから家族にありがとうと言って、しっかり背を向けて自分の道を歩んでください。そうすることで、家族のエネルギーとあなたはしっかり繋がることができるんです。」

 深い彼女の言葉に射抜かれた。まるで今まで気がつかなかった場所にすっとエネルギーが通って言った感じだ。こんなところにこんなエネルギーの力学が働いていたのか...と気がつくだけでまさに、暗かった場所に意識の光が当たるようだった。

 セッションの最後に、彼女はジョシーに見立てたボトルを私の対面に置いた。彼女は何故かとても小さなボトルを選んだ。「ここから何を感じる?」
「そうですね、私が思うほどには彼は困っていない。...むしろ手を放せていないのは私の方なのかも。」
「私も同じように感じるわ。何とかしなきゃって思っているのはあなたの方。先生はこのエネルギーの感じだと「どっちでもいい」んじゃない?あなたが来ればそれをエンジョイするし、来なければそれはそれで良し。」そして小さなボトルを指して言った。「あなたの前にある、この小さなもの。それは、あなたが外側でなんとかしなきゃって思うことじゃ無い、あなたがあなたの内側で育んでいくものだと思うの。それが何なのか私ははっきりは言えない。でも、それは私たちみんなが探しているものよ。そのためにあなたはインドに来たんじゃない?」

 セッションの後、心を落ち着けるためにアシュラムへ行った。
薄暗がりの中で、ただじっと座っていると、光の当たった場所に静かに新しいエネルギーが降り注いでいくように感じた。開かれた場所からエネルギーがあふれて、涙になって流れ落ちて行った。
 これが東京でのセッションなら、何か変容が起こったとしても、日々の生活に紛れてまた忘れてしまうに違いない。しかし今この特別な場所で、こうして静かに座れる環境にあることは本当に素晴らしかった。ただただ、ここで呆然と、座って泣いていたとしても、誰も何も言わなかった。

 実に私は本当に沢山の思いをジョシーに投影していたのだ、と気がついた。母に対する罪悪感、結婚しているのにインドに出かけてしまう罪悪感、そしてスピリチュアルなドリーム。

 私が彼の世話を献身的にして、また彼が日本に帰って来て、WSをやったりして昔のお弟子さんや他の人々が認めてくれれば、そうした罪悪感や私が人生で失ったものへの喪失感が全部チャラになって私はすっきりできる。
 もしそれが全部なかったら?私が自分で勝手にしがみついていた、希望や夢を全部手放したら一体何が残るんだろう?

 ただ、彼が彼であることを認めること、
 そして私が私であることを認めること。

 健康状態が悪化してゆく彼を、許せないのは私の方だった。それはまるで、ヨガの素晴らしさを教えてくれた彼が、私が見ていたヨガの夢を打ち砕こうとしているように感じた。私は夢から覚める事に抵抗していたのだ。ヨギと自分を呼ぶのだから、ヨ年を取ってもヨガの力で元気であってほしい。ヨガの力で奇跡を見せてほしい。腰の曲がったヨギなんてあんまりだ、と。しかし彼が今、あるがままの彼であることを私が認めない限り、私が私自身であることも、私は同じように認められないのだ。

 アルナーチャラはエゴを焼き尽くす、と言われている。普通に考えられているように、エゴとは自分勝手にわがままを言うことではない。むしろ本来の自分から自らを引き離す、エネルギーの集合体だ。エゴは様々な想念のかたまり。先に書いた家族間の関係から引き起こされたパターン。社会や伝統から植え付けられた条件付け、自分はこうでありたいという希望、こうであってはいけないという価値観、性別や国籍、職業意識...それらが組み合わさって「私」という幻想のアイデンティティを作り出す。そのエゴとしての「私」は自分の深い存在とつながっていない限り、何の根も持たない。
 根を持たないエゴは巧妙に、本来の私でない人生を生きようとする。常にこうでなければ、あれをしなければ、と外側に手を伸ばす。
 
 ラマナ・マハリシをはじめ、アドヴァイダのティーチャーたちが「何もするな」というのは、何かをすることで、その幻想の自己がより強化されてくからだ。だからその外に伸ばす手を止めて、くるりと向きを変えて、内側の源へ戻って行きなさい。静かに、シンプルに、今存在している自分自身とともにありなさい。その時こそ、本来の自分自身を発見することができるのだと。

 エゴが焼き尽くされた時、そこに残って居る私は誰なのか?自分だと思っていたものが、本当は自分ではなかったら?それはエゴにとって思いも掛けない私かもしれない。もしかしたら、本来の自分はエゴにとって、決して心地良いものではないかもしれない。だからアルナーチャラと一度繋がると怖いのよ。と多くの人が言う。「ティルバンナーマライを離れても追いかけてくるからね。」

 私からエゴを剥ぎ取ったら、魂が本当にしたいと望んでいることは何だろう?
 それは、まだ私にはわからなかった。
 Tさんが言うように、私はそれを知りたくてインドに来たんだろう。ただ今、確かなことは、とにかく私はここに来たかったということだけ、そこから先は何もわからない。

 結局、ティルバンナーマライには1ヶ月滞在し、満月のプラダクシナをしてからジョシーの元に向かうことにした。
 プラダクシナとは寺院を右肩に見ながら時計回り回る礼拝方法で、ここではアルナーチャラ自体がご神体なので、その山の周りを時計回りに一周することを言う。ラマナ・マハリシも奨励した、非常にパワフルで霊験あらたかな巡礼路だ。アシュラムのWEBサイトにも「アルナーチャラの周りを回ること(ギリプラダクシナ)は人生におけるすべての不幸と病の万能薬」と書かれている。
 プラダクシナは基本的にはいつでもできるが、最もパワーが高まるのは満月の時。その時期は、沢山の巡礼者たちが押し寄せて町は大騒ぎになる。噂では、あのラジニカーントも顔を隠してこっそり山の周りを歩きにきているとか。

 何度も来ているのに何かとチャンスがなく、今回はじめて満月の夜に歩いてみることにした。インド人の巡礼者に混じって一人で歩く。ティルバンナーマライは結構物騒で、普段は午後7時過ぎたら一人歩きはしないのだが、この日だけは町は一晩中人にあふれているから心配ないと教えられた。満月を見ながら、インドで夜の一人歩きができるというのは貴重な時間でもあった。
 月あかりの下、人の流れの中で、淡々と歩き続けていると、時々自分が回っているのか、風景が回っているのかよく分からない瞬間があった。右肩に少しずつ形を変える、アルナーチャラのシルエットがある、その不動の中心とともに歩くと、心が静まり、体の感覚が薄れ、ただ大きな流れの中に自分が溶け去ってゆくようだった。道端に座ったババ達と目があうと彼らは「オーム・ナマシヴァーヤ」と声をかけてくる。世界は私の前で次々と展開されてゆく、回りながら時空を超えて。私はただ運ばれてゆくだけだ。

 あるサットサンで聞いた、印象深い言葉が思い出された。
「私たちは波ではなく、大海そのものなのです。手放すとは、その波を大海へと帰すこと。そもそも始めからずっと、私たちは大海だったのですから。」

アルナーチャラはエゴを焼き尽くす
砕かれた波は、大海へと返って行く

(つづく)


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