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【書評】一坂太郎『幕末時代劇、「主役」たちの真実 ヒーローはこうやって作られた!』

 『花燃ゆ』と『西郷どん』を見届けた方として、敬愛する一坂先生の本。こういうのが欲しかった! そう納得できる一冊ではありますが、苦い思いがどうしたって湧いてきます。

歴史は、見つめる時代の価値観が作る

 これは私も歴史漫画、映画、そしてドラマを見ていて痛感することでもありますが、本作にはある概念が通底にあります。
 同じ歴史的な事実であろうとも、時代によって解釈が変わる――。
 極めて当然のことなのです。よく言われます。
「なんで結末わかってる、ネタバレ状態の歴史ものを楽しむの?」
 そんなことは明々白々だと思いますが、そうでもないらしい。しょっちゅう炎上していますよね。
「これは原作当時はこういう描写でよかったと思うけれども、現代だったらもっと……」

◆ 『銀河英雄伝説』のジェンダー周りの描写に違和感を表明した社会学者が炎上したが、実は原作者も同意見だったことが判明 - Togetter https://togetter.com/li/1591553

 なんだか吹き上がりますが、それはむしろ当然だということを、本書から確認しましょう。

日本の歴史フィクションは失敗したのかもしれない……

 この本では、第二次世界大戦前までのプロパガンダありきの作り方、戦後史の影響を受けた幕末ものについて分析しています。しょうもない作品はそうだとはっきり言い切るところがよいのです。概要を読むだけでめまいがしてくるような映画まで、よくご覧になっていると思います。
 『風とともに去りぬ』の影響もあってか、幕末志士が馬車を乗り回す映画とか。太陽族の影響を受けているものとか。珍作があるものだと唸らされます。

 そして本書で最も頷ける話が、大河ドラマ論なのです。一坂先生が衝撃を受けた大河ドラマは、1980年『獅子の時代』です。これは架空の会津と薩摩の人物を描く作品でした。
 ところがこれが失敗作とみなされたのか、稗史(正史に対しての民間人目線の歴史)目線の作品がなくなっていく。2008年『篤姫』のような、上級国民ホームドラマが受けるようになる。そのことへの懸念が表明されています。

 そして一坂先生は、司馬遼太郎への意見もなかなか毒が含まれています。私も同意見です。初期は稗史目線の作品があったものの、ニーズに応じたのかどうかそのへんはわかりませんけれども、英雄史観になると。そのことが大河はじめ歴史フィクション、ひいては日本人の歴史観に影響を与えていないとは思えないのです。

 もうこのままではまずいのではないだろうか? それは2020年『麒麟がくる』におけるあまりに執拗な駒叩きにも感じました。こういう現象は日本特有ではないかと思えるのです。
 イギリスを例に取りますと、フォレスターのホーンブロワーシリーズが1937年。前述の駒がオリキャラなら、ホーンブロワーだってそう。歴史は王侯貴族だけのものではないと理解して、需要があるからこその人気シリーズです。
 このあたりは、戦争画からもわかることではある。南北戦争やナポレオン戦争あたりの作品では、固有名詞がわかる英雄像が前面に出ています。それが第一次世界大戦ともなると、兵士たちの像を描くようになる。
 人類は、戦争にせよ、社会にせよ、市民も参加して作ると学んだはずだったのですが……日本はいったいどうなったのでしょう?
 そういう目線がなかったわけではない。『獅子の時代』にせよ、司馬遼太郎の『梟の城』にせよそう。オリキャラはファンタジーなんて意見はあったのか、なかったのか。本書を読んでいろいろ考えてしまいます。

“顔ハメ看板”と化していく英雄たち

 こういう日本人特有の歴史観は、本書の対象外としているゲームやアプリにも現れているのではないかと私は思っていまして。
 歴史ものとされるゲームって、日本のものだと英雄をガチャで引くシステムですよね。それが海外のものはちがう。ユニット単位で個性があるとか。文明文化ごとに特性がついているとか。英雄史観ではないのです。
 SNSでは、こういう意見を見かけます。
「ゲームを入り口にして歴史を学んで何が悪いんだ!」
 さてどうでしょう……ゲームの時点で日本人特有の英雄史観に染まっていることは自覚した方がよいかもしれませんね。海外の英雄をカードにするようなアプリは、デリカシーに欠けるものが多く、そのうち問題化しやしないかと私は憂慮しています。その前に、他の国がもっと洗練された上位互換を出すような予感もありますけど。

 そういう日本独自のアプリで珍妙極まりないとされているものが、女体化18禁、歴史上の人物と恋愛する乙女ゲーです。
 黄忠を女体化して20前後にするとか、侮辱じゃないかとか。画像検索結果が汚染されて迷惑だとか。
 乙女ゲーは……幕末京都でヒロインに壁ドンしている徳川慶喜はただの暇人じゃないかとか。
 言いたいことは山ほどありますが、時間がもったいないのでやめておきます。あ、一点だけ。センスが絶望的に古いものもありますよね。これも他の国が上位互換を出すというか。中国料理擬人化アプリの方が上出来に思えたとか。まあ、ファンに喧嘩売ってもしょうがないのでやめておきますか。

 話を本書に戻して先に進めますと。
 本書では、坂本龍馬は歴史研究の成果ではなく、見る側の理想像が反映されていると分析しています。龍馬以外もそうですけれども、特に龍馬が顕著であると。
 だからこそ人気が出る! けれどもそれでいいのか? そういう問題提起です。戦国時代ならば織田信長、あるいは伊達政宗がこの枠の筆頭でしょうか。
 要するに、顔ハメ看板状態です。龍馬や信長のポーズをとった看板があって、そこに発表当時の理想像が顔を出してニッコリ笑う。そういうシステムになっていると。史実なんてキャラクター設定でしかない。漫画やゲームキャラの身長体重血液型みたいなもんですな。本気で史実の人物とつきあったりするわけじゃないですからね。そういう意味では大河も乙女ゲーも、できが悪ければそうなると。
 改めて『麒麟がくる』の信長は英断でしたよね。そういう顔ハメ看板路線じゃないし、乙女ゲーにあんな信長がいても攻略するかというとそうでもないし。攻めたドラマだと思います。

 ゲームにせよ、ドラマにせよ。それで真面目に歴史を学ぶわけじゃないからええやん!……そういう意見はごもっともだとは思いますけれども。
 歴史上の人物、しかも権力側の人間に勝手な理想像を反映し、萌え、信じ込み……歴史上指摘をするとかえって怒り出すと。龍馬や信長ならまだしも、ヒトラーやトランプでまでそういうことをする人がいるのです。早晩、何かをしないとまずいのではないかと心配になってきました。

 そういう人間心理への問題提起もあるようで、これはマストバイの一冊だと思えるのです。

あの大河に突っ込んでないって?

 そうそう、最後に注意事項。
 実は幕末大河への言及が、2010年『龍馬伝』までしかカバーしていません。あの『花燃ゆ』、『西郷どん』は? そう思う方は、彼のブログや『吉田松陰190歳』および星亮一氏との共著『大河ドラマと日本人』をお勧めします。
 研究者がドラマやフィクションを批評すると、バカにされたりもする。大人気ないなんてことも言われる。けれども、悪質なものは放置しっぱなしでもよろしくない。幕末史でそのことに果敢に挑んでいるのが一坂先生だと思います。彼は歴史知識のみならず、フィクション批評眼もありますからそこは安心です。
 そんな彼は『青天を衝け』をどう思っているのやら。まあ、なんとなく想像はつくと言いますか。
 私の意見は、シンプルなものです。もう、あと20年は幕末以降を舞台とした大河は見たくない。海外のVODが、良質な幕末ドラマを作りますように。そう願う次第です。
 一坂先生が提案している伊藤博文にせよ。星先生が提案している北海道開拓史にせよ。しがらみのないVODが“忖度”なしのよいものを作れるでしょうね。

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