2004年公開のフランス映画「コーラス」を制作したジャック・ぺランが、インタビューの中で「年をとるほど子供時代が身近に感じられるようになる。」と語っています。私もそんな歳になりました。
また、彼は「子供時代が美しければ大人の生活は切り開ける。非常に重大な時代だ。この時代の体験や試練、幸福や不幸、そして喜びの思い出が大人時代を決定づける。」とも言っています。
私の子供時代は二十歳の途中までで、とにかくボーとしていました。その期間に、ジグソーパズルのピースをため込んでいたように思います。じゃあ、どんなピースなのか一つ一つ言ってごらんなさいと言われたら言えません。記憶の何処かにしまわれていて、ただ取り出せないだけです。でも、一つだけ鮮明に覚えていることがあります。
小学5年生の時のことです。友達ではなかったけれど夏休み中に知り合いの子が亡くなりました。その時、私は誰もいない校庭の朝礼台の上に寝そべって空を見上げていました。いつも見ている空とは違いました。動きが止まり霞がかかって力を失った無機質な空はのっぺりした写真のように見えました。突然襲いかかってきた空虚な感覚は大人への第一歩だったかもしれません。
主役のマチューを演じるジェラール・ジュニョは、インタビューで、映画「コーラス」について次のように述べています。「この映画は、教育を考える映画です。誰でも人生の中でカギとなる人物に出会うチャンスがあります。自分のいいところを引き出してくれる人物です。フランス語の“育てる”という動詞には、“高いところに導く”という意味もあります。心身共にです。マチューは子ども達を高いところに導く人なのです。」と。
私にとってのマチューは小原國芳先生です。玉川学園の創設者で、先生の「十二の教育信条」を読んだ時、私のバラバラだったピースは一つにピタッとはまりました。これこそが「本当の自分」との出会いです。二十歳の時に自分の成すべきことが分かりました。
また、ジェラール・ジュニョ自らが監督・脚本・主演を務めた映画「バティニョールおじさん」のインタビューで、この映画の起源について、このように語っています。「アイディアは突然ではなく、だんだんと発酵する感じです。今まで見た映画や出会った人から、なんとなく少しずつインスピレーションを得て最後に形になってきます。長い年月がかかってできたものですが、常に考えていたのは普通の人が困難に対してどう行動するかでした。」ここでも、彼は重要なことを語ってくれています。ジュニョの説が正しければ、先の「子ども時代はボーとしていた」は、発酵していたと言い換えた方が正しいかもしれません。「チコちゃんに叱られる!」人なんて一人もいないんじゃないかと思います。
ジャック・ペランは更にこの映画のテーマについて次のように述べています。「映画『コーラス』に登場する子ども達は道に迷い孤独で少し反抗的でもある。愛情がないから反抗するんだ。誰かが彼らに少し気をとめてあげれば社会を憎まなくなるばかりか自力で何かしようとする。それこそがマチューが教えようとしたことなんだ。歌うことを通じてね。」
不遇な二人のこの出会いから醸し出される雰囲気は、この映画全体を通じて音楽と共に流れて行きます。その基調となる曲は「思い出」です。シンプルな楽譜ですが、この雰囲気にぴったりのメロディでいつまでも耳に残る素敵な曲です。作曲したのは、音楽家でこの映画の監督でもあるクリストフ・バラティエと作曲家のブリュノ・クーレです。合唱隊が歌う時は「海への想い」と曲名が変わります。このテーマ曲が流れてくるといつも琴線に触れて胸が熱くなってきます。
ここで流れる合唱隊の美しい歌声は、サンマルク少年少女合唱団によるものです。リヨンの街に、1986年に設立された比較的新しい合唱団ですが、色々な媒体を通じてフランス国民の3分の1が見たという映画「コーラス」の大ヒットで、一躍、世界に名を馳せるメジャーな合唱団となりました。映画の合唱隊はエキストラでリアリティーを出すために彼らの歌声も一部加えられています。ソロを歌うモランジュ役のジャン=バティスト・モニエだけがサンマルク少年少女合唱団の団員で4人のソリスト(エルザ、ジャサン、エマニュエル、ジャン=バティスト)の内の一人です。モニエとの出会いをジャック・ペランがインタビューで次のように語っています。「最初はビデオで見たんだ。監督のクリストフがリヨンで、あの声を聴いた。声のする教室へ行ってみると、非常に美しい少年が天使の声で歌っていた。クリストフはモニエをビデオに撮り事務所に送ってきた。事務所にいた全員がものすごい衝撃を受けた。もう映画はできたも同然だった。」と。
この映画では、サンマルク少年少女合唱団は歌声だけの出演ですが、彼らの姿を見たい方には、DVD「コーラス・イン・コンサート~映画『コーラス』より サンマルク少年少女合唱団」をお勧めします。3700人の観客を前にしても、ジャン=バティスト・モニエ(モランジュ役)は、映画以上のパフォーマンスを披露しています。他のソリストのピアスを着けた少女エルザもモニエに匹敵する美声で会場を沸かせています。映画「コーラス」以外の曲で「子らは声を合わせて」では、モニエの美声をソロでたっぷりと堪能することができますが、このDVDの最大の収穫は、何と言っても映画「コーラス」の主題歌「海への想い」でのモニエの歌唱力でしょう。映画では出せなかった終わりから3小節目のFの雑味のない自然な発声はことのほか美しく完全に聴衆を魅了しました。鳴りやまない拍手に、モニエ本人も納得のいくパフォーマンスができて嬉しかっに違いありません。また、エルザとのデュエットも絶品です。ライブでのこのクオリティーの高さは、プロの域に達しています。曲名は、アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲の「ピエ・イエス~『レクイエム』より」です。舞台セットが「オペラ座の怪人」のファントムの部屋に似せてあるのは、この曲のせいでしょうか?共演はラムルー管弦楽団で、コーラングレの音色と演奏が秀逸です。使用されているピアノがYAMAHAなのがちょっと誇らしい!
この映画と違って、実際の合唱団(アメリカ少年合唱団)が出演している映画があります。青年教師ウーリーの「ボーイ・ソプラノという声は、ほんのつかの間、神様から借りる声だ。やがて消える。」の台詞が印象に残る2014年の「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」です。映画の中では「国立少年合唱団」という名称になっています。この映画は、「コーラス」とテーマや設定がよく似ています。婚外子で母親を交通事故で亡くし一人ぼっちになった問題児のステットは、妻子のある父親に母親の葬儀の日に初めて会います。家庭を守りたい父親は、ステットを隠し子として扱い、ステットの歌声に才能を見出だしていた学校の校長に勧められ、経済力を活かして「国立少年合唱団」附属の寄宿学校に入学させます。ステットは、寄宿学校で、反抗的な態度を取ったり、様々な問題を起こしたりしますが、ダスティン・ホフマン演じる合唱団の指導者カーヴェルの指導によって、合唱団のソリストとなり、由緒あるニューヨークのリバーサイド教会の復活祭コンサートのディスカント(高音ソロ)に抜擢されます。曲はヘンデルの「メサイア」。ステットのハイDの響きよって、天使が舞い降りるのを見せられた聴衆は感動の渦に巻き込まれます。映画を鑑賞する私達もその聴衆の一人なのです。ステット役のギャレット・ウェアリングは、アメリカ合唱団の団員ではなく、オーディションで抜擢された新人です。映画の歌声はほとんど彼の美声ですが、高音の一部はスタントが担っています。ここが「コーラス」のジャン=バティスト・モニエ(モランジュ)と違うところです。ステットのこの大成功を目の当たりにしたステットの父親は、彼を家族に迎え入れることを決意し、妻の了解を得ます。迎えに来た新しい家族と共に寄宿学校を去るステットのカーヴェルに対する謝罪とここまで導いてもらった感謝のまなざしが涙を誘う素敵な映画です。国立少年合唱団附属学校長役のキャシー・ベイツの迫力ある演技も見ものです。
この映画に関して言うと吹替版も素晴らしいです。音楽が作品の構成に大きな役割を果たす重要な要素となっている映画においては、声優の声質は音楽の一部と言っても過言ではありません。キャスティングがはまれば、字幕版以上に楽しめます。なぜなら、吹替版は、情報量が多く、細かなニュアンスが伝えられるからです。残念ながら、映画「コーラス」と「幸せはシャンソニヤ劇場から」の吹替版は映画音楽が醸し出す雰囲気を阻害しています。その音楽性に重要な役割を果たしている主役のジェラール・ジュニョの彼らしさが吹替版では出せていません。音楽性とは少しかけ離れた映画「バティニョールおじさん」についても同様です。叱責する場面においてもフランス語にはまろやかさがあります。フランス語そのものが音楽なのかもしれません。ヴィオリニストのリサ・バティアシュヴィリもインタビュー(サラサーテ Vol.59 P19)の中で「フランス音楽はフランス語のように流れるような美しさが特徴です。」と語っています。この特徴を日本語で表現するのはきっと至難の技でしょう。映画「コーラス」を鑑賞して、改めてフランス語とフランス音楽はエレガントで素敵だなと思いました。
この第一声を、監督のクリストフ・バラティエはメイキングの中で「彼の第一声は美しかった。テイク1はいつも驚きだが、彼が初めて声を出した時は、見学の人たちからも驚嘆の声が上がったよ。」と語っています。モランジュ役のジャン=バティスト・モニエはフランスの数ある合唱団の中でもトップクラスのソリストであることは間違いありません。彼の美声は勿論ですが、フランス語の存在を忘れてはならないと思います。少し鼻にかかった発音は彼の美声をより際立たせているように思うからです。私がステファン・グラッペリのヴァイオリンの音色を好むのはそのせいかもしれません。そう、彼の出生地はフランスのパリです。
この場面は映画のクライマックスで涙を誘います。モランジュのすねた顔が愛おしくて、ソロを歌い終えた彼のあの笑顔に観客は救われ涙します。ここでは観客は涙するだけではなく、ジャック・ペランの言葉に学ばなければなりません。「愛情がないから反抗するんだ。誰かが、彼らに少し気をとめてあげれば社会を憎まなくなるばかりか、自力で何かしようとする。」まさに、この場面のモランジュがその人です。マチューによって、彼は人との関わりに光を見いだしたのです。
多彩な個性に溢れた子ども達の顔は敢えて出さず高所の窓から手を振るだけの映像は洒落っ気のあるフランスの気の利いた演出でこの美しい光景にうっとりしてしまいます。
マチューが解雇された後、ヴィオレットはモランジュを迎えに来て、彼をリヨンの音楽院に入れます。技師はモランジュを寮に入れようとしましたが、ヴィオレットが反対したので、去って行きました。「やられたら、やり返せ!」。教師たちとマクサンスは団結して校長の横暴を告発して、校長は解雇されました。モランジュはリヨンの音楽院で研鑽を積んで世界で活躍する指揮者となります。そして、50年ぶりにぺピノと再会し、マチューの日記帳を、君への形見だよ、と言われて渡されました。マチューは死ぬまで音楽を教え続けました。名声を求める事もなく、小さな自分の夢に生き、多くの人を幸せにしました。
不遇な二人に似つかわしい終わり方に観客もホッとします。流れる曲は「途中でみてごらん」です。マチューの優しさとぺピノのこの人に付いていくという判断の正しさを称賛するかのような余韻の残る名曲です。迎えに来たのはパパではなかったけれど二人が旅立った日は1949年バカンスさなかのある土曜日でした。
余談ですが、マチュー役のジェラール・ジュニョとぺピノ役のマクサンス・ペランは、2008年の映画「幸せはシャンソニア劇場から」で親子を演じています。「コーラス」の続編を思わせる粋なはからいに心が和みます。因みにマクサンス・ペランは、ジャック・ペランの息子で、クリストフ・バラティエ監督の従兄弟です。
(See you)