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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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土曜日に迎えを待つぺピノ

2004年公開のフランス映画「コーラス」を制作したジャック・ぺランが、インタビューの中で「年をとるほど子供時代が身近に感じられるようになる。」と語っています。私もそんな歳になりました。
また、彼は「子供時代が美しければ大人の生活は切り開ける。非常に重大な時代だ。この時代の体験や試練、幸福や不幸、そして喜びの思い出が大人時代を決定づける。」とも言っています。

私の子供時代は二十歳の途中までで、とにかくボーとしていました。その期間に、ジグソーパズルのピースをため込んでいたように思います。じゃあ、どんなピースなのか一つ一つ言ってごらんなさいと言われたら言えません。記憶の何処かにしまわれていて、ただ取り出せないだけです。でも、一つだけ鮮明に覚えていることがあります。

小学5年生の時のことです。友達ではなかったけれど夏休み中に知り合いの子が亡くなりました。その時、私は誰もいない校庭の朝礼台の上に寝そべって空を見上げていました。いつも見ている空とは違いました。動きが止まり霞がかかって力を失った無機質な空はのっぺりした写真のように見えました。突然襲いかかってきた空虚な感覚は大人への第一歩だったかもしれません。

主役のマチューを演じるジェラール・ジュニョは、インタビューで、映画「コーラス」について次のように述べています。「この映画は、教育を考える映画です。誰でも人生の中でカギとなる人物に出会うチャンスがあります。自分のいいところを引き出してくれる人物です。フランス語の“育てる”という動詞には、“高いところに導く”という意味もあります。心身共にです。マチューは子ども達を高いところに導く人なのです。」と。
私にとってのマチューは小原國芳先生です。玉川学園の創設者で、先生の「十二の教育信条」を読んだ時、私のバラバラだったピースは一つにピタッとはまりました。これこそが「本当の自分」との出会いです。二十歳の時に自分の成すべきことが分かりました。
また、ジェラール・ジュニョ自らが監督・脚本・主演を務めた映画「バティニョールおじさん」のインタビューで、この映画の起源について、このように語っています。「アイディアは突然ではなく、だんだんと発酵する感じです。今まで見た映画や出会った人から、なんとなく少しずつインスピレーションを得て最後に形になってきます。長い年月がかかってできたものですが、常に考えていたのは普通の人が困難に対してどう行動するかでした。」ここでも、彼は重要なことを語ってくれています。ジュニョの説が正しければ、先の「子ども時代はボーとしていた」は、発酵していたと言い換えた方が正しいかもしれません。「チコちゃんに叱られる!」人なんて一人もいないんじゃないかと思います。

ジャック・ペランは更にこの映画のテーマについて次のように述べています。「映画『コーラス』に登場する子ども達は道に迷い孤独で少し反抗的でもある。愛情がないから反抗するんだ。誰かが彼らに少し気をとめてあげれば社会を憎まなくなるばかりか自力で何かしようとする。それこそがマチューが教えようとしたことなんだ。歌うことを通じてね。」

1949年1月15日、音楽家として挫折を繰り返した落ちこぼれのクレマン・マチューは、問題児を更生させる寄宿学校の舎監として赴任します。最初に出迎えたのは、7歳くらいのぺピノでした。彼は鍵のかかった門扉の鉄格子を両手でつかみながら、土曜日に迎えに来るパパを待っていたのでした。でも彼は戦災孤児でした。

不遇な二人のこの出会いから醸し出される雰囲気は、この映画全体を通じて音楽と共に流れて行きます。その基調となる曲は「思い出」です。シンプルな楽譜ですが、この雰囲気にぴったりのメロディでいつまでも耳に残る素敵な曲です。作曲したのは、音楽家でこの映画の監督でもあるクリストフ・バラティエと作曲家のブリュノ・クーレです。合唱隊が歌う時は「海への想い」と曲名が変わります。このテーマ曲が流れてくるといつも琴線に触れて胸が熱くなってきます。

1日目の舎監の仕事を終えたマチューは、日記にこう綴りました。
「第1日目は疲れた。何のためにここへ?校長も校舎も子ども達も怖かった。自室にいても殺されそうな気がする。」と。

医務室のドアに仕掛けられた生徒のいたずらで用務員のマクサンスが大怪我をし、その犯人探しで、犯人が名乗り出ないことに腹を立てたラシャン校長は、生徒60人全員に6時間の反省室(独房)入りを課し、マチューは、まず一人目を名簿からランダムに選ぶように命じられました。これが舎監としての初仕事でした。彼が選んだ子は巻き毛で丸メガネをかけた善良そうなボニファスでした。校長はちょっと困った顔をしましたが、彼を反省室に連れて行くように体育教師のシャベールに命じました。シャベールは、「ぼくじゃない」と激しく抵抗する少年を引きずるようにして連れて行きました。校長は、マチューに「生徒は甘やかすな!1週間たてば分かる。前任者のレジャンから仕事について聞け。」と言い残し、その場を立ち去りました。

レジャンは袖をめくって10針縫った前腕の傷跡を見せてマチューを驚かせました。その傷は“羊”(あだ名)から煙草を押収した時にハサミで刺されたものでした。そして、医務室のドアのいたずらは、ル・ケレックの仕業だということをマチューだけに伝えました。最後に、彼はル・ケレックとモランジュにくれぐれも用心するように忠告し、「やられたら、やり返せ!これしかない!」と断言して、寄宿学校“池の底”を去って行きました。

マチューは、意を決して問題児の集まる教室に入りますが、教壇につまずいてセカンドバッグを取り落としてしまいました。近くにいた子どもがそれを拾い上げて、他の子にパスし、マチューはバッグを取り戻そうと追いかけ教室は大騒ぎになります。そこへ校長が入ってきて教室は凍りついたように静まり返りました。校長は、マチューが取り押さえた子どもに「また、おまえか!」と言って、罰を与えるようにマチューに命じますが、彼が「この子は何もしていません。」と言うと、教室の空気がガラッと変わりました。

医務室のドアのいたずらがル・ケレックの仕業だと知ったマチューは、身代わりとなって反省室にいるボニファスを助ける為、犯人は自ら名乗り出るようにと促しましたが、その願いは叶いませんでした。仕方なく、ル・ケレックの名前を呼ぶと取り押さえたあの少年が返事をしました。マチューは、彼を校長室に連れて行く為、自習の見張り役にモランジュを指名します。失笑が漏れる中、ル・ケレックを伴って校長室に向かいますが、その途中、3度目の脱走で捕まった戦災孤児のルクレールを折檻する校長の姿を目の当たりにして、ル・ケレックには、校長とは別の罰を与えることにしました。それは休み時間にマクサンスの怪我が快癒するまで看病することでした。それと同時に、マチューは校長を言いくるめて集団処罰の禁止を認めさせました。マクサンスには、自主的にル・ケレックが看病を買って出たと告げると、マクサンスは「子供たちが哀れだ。死んだ子もいる。“羊”だ。孤児で屋根から飛び下りた。世間は悪ガキ集団だと言うが、みんないい子だ。この子も。」と語ってくれました。

マチューが教室へ戻ると、案の定、反逆児のリーダーシップが発揮されて教室は大騒ぎでした。当のモランジュは、黒板にマチューのハゲ頭を茶化した似顔絵を描いていました。マチューは「悪くない。私も描いてみよう。」と言って、モランジュの洒落た横顔を描きます。モランジュに見せてから、マチューが「忘れてた」と言ってその絵に赤のチョークでピエロ鼻を描き加わえると、子ども達に大受けし、少し気落ちしたモランジュを席に戻しました。その後、名前と年齢と将来の夢を書く課題を与えましたが、意外にも全員が素直に書いてくれました。一人一人が夢を持っていることを知って喜んだマチューでしたが、「舎監」と書いた子は一人もいませんでした。

マクサンスの病状が悪化して入院した日に校長の歴史の授業がありました。モランジュは授業中に校長を茶化す漫画と文章をノートに書いていました。校長はそれを見つけ、マチューに「やられたら、やり返せ!反省室に入れろ!」と命じます。マチューはしかたなくモランジュを反省室に入れました。モランジュは反省室を出た後も、すぐに校長に叱られ1ヵ月の奉仕活動を命じられてしまいました。その間にマチューの計画は着々と進められました。

舎監の寝室は個室ですが、子ども達の寝室の一画にあり仕切りはカーテンのみです。マチューが1日の仕事を終えて寝室に戻ってきた時、騒ぎ声の中に歌声を耳にしました。決して上手じゃないけど、声のいい子もいました。その歌が頭に残り、何か出来ないかと考えたマチューは、封印していたセカンドバッグから譜面を取り出し、子どもに歌わせる曲を書き始めました。

1月30日にマチューは実験を開始しました。子ども一人一人に歌わせて、ソプラノ、アルト、バスのパートに分けて合唱隊を結成しました。歌を知らないぺピノは助手に、音程の取れないコルバンは譜面を持つ譜面台の係にして、全員に役割を与えました。そして毎晩、マチューの作曲した歌を歌わせました。歌で子ども達の心を掴んだマチューは、合唱隊を育てるには校長の許可がいると考え校長に直談判すると、意外にも許可が下りました。しくじったらクビだとの条件付きでしたが。 

2月15日に眼光鋭い不良少年モンダンが送り込まれてきました。本能的に凶暴な問題児で、残虐で破壊的な傾向が強く、とりわけ虚言癖がある少年でした。合唱隊では、いいバリトンの声だとマチューに評価され、バスのパートに配属されました。この時、罰の終わったモランジュと門にいたぺピノが体育教師のシャベールに連れられて教室に入ってきました。マチューはぺピノに「今日は土曜日じゃないぞ。」と言って、教卓に座らせてから、モランジュに声を聴かせるように促しましたが、拒否されました。

親に不満を持つモンダンは、モランジュに親近感を持ち、仲間になろうと持ちかけます。モンダンが、「おまえのおふくろは、おまえがジャマで預けてる。」と言うと、モランジュは「働いているからだ。」と答えますが、「娼婦だろ」と言われてモランジュはモンダンに飛びかかります。モンダンは反省室に入れられ、モランジュは脱走して、モンダンの言ったことを確かめに、母の働いているカフェへ向かいました。降りしきる雨の中、外からそっと母の働く姿を見たモランジュは安心してすぐに寄宿学校に戻りました。モランジュは盗み癖があって内向的な子でした。公立学校を何度も脱走し、未婚の母は息子に手を焼いていましたが、母親の意向に反して、モランジュは“池の底”に入れられてしまったのでした。

規則第8条“生徒が勝手に教室に入るのを禁ずる”を破って、黒板に書いてあった「海への想い」を歌っていたモランジュに、マチューが「校長が母親に知らせる」と言うと、「母親がなんだ!」と反抗しました。マチューは、「努力すれば報われる。君は自分に似合わない事をしている。無断外出、ケンカ、不良との付き合い。だが君の本心じゃない。明日からサボらずに合唱練習に参加しろ!寝ろ、行け!」と言って、その夜の日記に次のように記しました。「本人は気づいてないがーあれは奇跡の声。まれにみる才能だ!」と。

この日を境にモランジュは合唱隊の練習に参加するようになり、マチューはモランジュへの個人レッスンを積み重ねて歌声の才能を伸ばすと共に、合唱隊の質を高め、モランジュに「海への想い」をソロで歌わせて、その美声に酔いしれました。

ここで流れる合唱隊の美しい歌声は、サンマルク少年少女合唱団によるものです。リヨンの街に、1986年に設立された比較的新しい合唱団ですが、色々な媒体を通じてフランス国民の3分の1が見たという映画「コーラス」の大ヒットで、一躍、世界に名を馳せるメジャーな合唱団となりました。映画の合唱隊はエキストラでリアリティーを出すために彼らの歌声も一部加えられています。ソロを歌うモランジュ役のジャン=バティスト・モニエだけがサンマルク少年少女合唱団の団員で4人のソリスト(エルザ、ジャサン、エマニュエル、ジャン=バティスト)の内の一人です。モニエとの出会いをジャック・ペランがインタビューで次のように語っています。「最初はビデオで見たんだ。監督のクリストフがリヨンで、あの声を聴いた。声のする教室へ行ってみると、非常に美しい少年が天使の声で歌っていた。クリストフはモニエをビデオに撮り事務所に送ってきた。事務所にいた全員がものすごい衝撃を受けた。もう映画はできたも同然だった。」と。

この映画では、サンマルク少年少女合唱団は歌声だけの出演ですが、彼らの姿を見たい方には、DVD「コーラス・イン・コンサート~映画『コーラス』より サンマルク少年少女合唱団」をお勧めします。3700人の観客を前にしても、ジャン=バティスト・モニエ(モランジュ役)は、映画以上のパフォーマンスを披露しています。他のソリストのピアスを着けた少女エルザもモニエに匹敵する美声で会場を沸かせています。映画「コーラス」以外の曲で「子らは声を合わせて」では、モニエの美声をソロでたっぷりと堪能することができますが、このDVDの最大の収穫は、何と言っても映画「コーラス」の主題歌「海への想い」でのモニエの歌唱力でしょう。映画では出せなかった終わりから3小節目のFの雑味のない自然な発声はことのほか美しく完全に聴衆を魅了しました。鳴りやまない拍手に、モニエ本人も納得のいくパフォーマンスができて嬉しかっに違いありません。また、エルザとのデュエットも絶品です。ライブでのこのクオリティーの高さは、プロの域に達しています。曲名は、アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲の「ピエ・イエス~『レクイエム』より」です。舞台セットが「オペラ座の怪人」のファントムの部屋に似せてあるのは、この曲のせいでしょうか?共演はラムルー管弦楽団で、コーラングレの音色と演奏が秀逸です。使用されているピアノがYAMAHAなのがちょっと誇らしい!

この映画と違って、実際の合唱団(アメリカ少年合唱団)が出演している映画があります。青年教師ウーリーの「ボーイ・ソプラノという声は、ほんのつかの間、神様から借りる声だ。やがて消える。」の台詞が印象に残る2014年の「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」です。映画の中では「国立少年合唱団」という名称になっています。この映画は、「コーラス」とテーマや設定がよく似ています。婚外子で母親を交通事故で亡くし一人ぼっちになった問題児のステットは、妻子のある父親に母親の葬儀の日に初めて会います。家庭を守りたい父親は、ステットを隠し子として扱い、ステットの歌声に才能を見出だしていた学校の校長に勧められ、経済力を活かして「国立少年合唱団」附属の寄宿学校に入学させます。ステットは、寄宿学校で、反抗的な態度を取ったり、様々な問題を起こしたりしますが、ダスティン・ホフマン演じる合唱団の指導者カーヴェルの指導によって、合唱団のソリストとなり、由緒あるニューヨークのリバーサイド教会の復活祭コンサートのディスカント(高音ソロ)に抜擢されます。曲はヘンデルの「メサイア」。ステットのハイDの響きよって、天使が舞い降りるのを見せられた聴衆は感動の渦に巻き込まれます。映画を鑑賞する私達もその聴衆の一人なのです。ステット役のギャレット・ウェアリングは、アメリカ合唱団の団員ではなく、オーディションで抜擢された新人です。映画の歌声はほとんど彼の美声ですが、高音の一部はスタントが担っています。ここが「コーラス」のジャン=バティスト・モニエ(モランジュ)と違うところです。ステットのこの大成功を目の当たりにしたステットの父親は、彼を家族に迎え入れることを決意し、妻の了解を得ます。迎えに来た新しい家族と共に寄宿学校を去るステットのカーヴェルに対する謝罪とここまで導いてもらった感謝のまなざしが涙を誘う素敵な映画です。国立少年合唱団附属学校長役のキャシー・ベイツの迫力ある演技も見ものです。

この映画に関して言うと吹替版も素晴らしいです。音楽が作品の構成に大きな役割を果たす重要な要素となっている映画においては、声優の声質は音楽の一部と言っても過言ではありません。キャスティングがはまれば、字幕版以上に楽しめます。なぜなら、吹替版は、情報量が多く、細かなニュアンスが伝えられるからです。残念ながら、映画「コーラス」と「幸せはシャンソニヤ劇場から」の吹替版は映画音楽が醸し出す雰囲気を阻害しています。その音楽性に重要な役割を果たしている主役のジェラール・ジュニョの彼らしさが吹替版では出せていません。音楽性とは少しかけ離れた映画「バティニョールおじさん」についても同様です。叱責する場面においてもフランス語にはまろやかさがあります。フランス語そのものが音楽なのかもしれません。ヴィオリニストのリサ・バティアシュヴィリもインタビュー(サラサーテ Vol.59 P19)の中で「フランス音楽はフランス語のように流れるような美しさが特徴です。」と語っています。この特徴を日本語で表現するのはきっと至難の技でしょう。映画「コーラス」を鑑賞して、改めてフランス語とフランス音楽はエレガントで素敵だなと思いました。

モンダンは体育教師のシャベールの時計を盗んで2週間の反省室送りとなりました。大事なバリトンなのにとマチューは嘆きますが、その間も合唱隊は日ごとにめざましい成長を見せました。「夏の光」を歌う子ども達の表情は明るく輝いています。校長が、子ども達の遊びを真似て、校長室で紙飛行機を飛ばす光景が見られたのも丁度この頃でした。それに入院していたマクサンスも戻って来ました。それは平穏な日々の証でした。

その平穏な日々は、モンダンの失踪と校長室にあった20万フランの盗難であえなく消えてしまいます。校長は年内の外出禁止と合唱禁止を命じました。マチューは体育教師のシャベールの協力を得てレジスタンスを結成し、合唱隊は地下組織になりました。ここで歌われる曲は「亡き人への想い」です。モランジュの母ヴィオレットに捧げる歌として映画のエンドロールでも流れます。

5月13日の15時すぎにモンダンが憲兵に連れられて戻って来ました。校長は20万フランを盗んだことをモンダンに自白させようと30分も折檻しますが、モンダンは俺じゃないと言い張ります。限界に達したモンダンは校長の首を絞め、襲いかかります。急変を察した体育教師のシャベールが校長室に入り、モンダンを押さえ込み、すぐさま校長はモンダンが盗みを自白したと言って、憲兵に電話しました。モンダンはマチューに不気味な笑みを残して憲兵と共に去って行きました。

太陽がまぶしい素晴らしい季節に、青インクがマチューの頭めがけて降りかかって来ました。嫉妬したモランジュのしわざでした。母親のヴィオレットとマチューがベンチに腰掛けて仲良く話しするのを見たからです。息子のしわざと知ったヴィオレットは息子に「情けないわ!」と言い残してバス停に向かいました。マチューは後を追ってヴィオレットを宥め、モランジュをリヨンの音楽院に入れることを勧めました。

「やられたら、やり返せ!」。合唱隊は食堂でラモーの「夜」を練習していました。マチューはモランジュのソロの部分をカットしました。「僕のソロは?」と聞くモランジュにマチューは「君のソロがなくても合唱はできる!」ときっぱりと答え、腹を立てたモランジュは食堂から出て行きました。

そんな時に、伯爵夫人が合唱隊のウワサを聞きつけて、日曜にお仲間と聴きにくるとの手紙が届きます。校長はありがた迷惑だとマチューに苦言を呈しました。そして、もう一通マチューに手紙が届きます。マチューが好意を寄せるヴィオレットからでした。20日の午後4時広場のカフェで会いたい、と。それはマチューにとって期待外れの結果に終わりました。リヨンに住む技師と出会えたことを告げられたからです。

不遇なマチューは“池の底”。流れる曲は「思い出」。苦い思い出になってしまいました。寝室に戻ったマチューは、だらしなく靴を脱ぎ、ネクタイを無造作に剥ぎ取り、肩を落としました。そして、カーテンを開け、ぺピノの毛布の乱れを直しました。暗い寝室には、もう一人、不遇な人がいました。目はうつろで自分のしたことの代償の大きさに嘆いているようにも見えました。それは歌を取り上げられたモランジュでした。

マチューとモランジュは食堂でのわだかまりを引きずったまま今日という日を迎えてしまいました。伯爵夫人とお仲間の前で歌声を披露する合唱隊にとって一番の晴れ舞台だというのに。モランジュを除いた合唱隊はお揃いの白いシャツでおめかししました。モランジュは合唱隊の整列した雛壇の近くの大きな石柱にもたれ掛かり普段着のままの姿でポケットに両手を突っ込み、合唱隊を睨み付けつけながらも目はどことなく悲しげでした。伯爵夫人はこの少年のことが気になって、マチューに「罰を受けているのか」と尋ねますが、その質問に「別のパートです」とだけ答えて、すぐに指揮を始めました。曲は伯爵夫人お気に入りのラモーの「夜」でした。美しい合唱が続いて行きますが、ソロの部分に差し掛かると、マチューは一旦指揮を止め、モランジュに向かって「さあ、どうぞ~」と手を差し伸べます。モランジュは、はっとして、マチューの意図をはかりかねて躊躇しますが、ソロを歌うことを促されていることを察知すると、モランジュは、ポケットから両手を出し、姿勢を正してから、ソロの第一声を発しました。

この第一声を、監督のクリストフ・バラティエはメイキングの中で「彼の第一声は美しかった。テイク1はいつも驚きだが、彼が初めて声を出した時は、見学の人たちからも驚嘆の声が上がったよ。」と語っています。モランジュ役のジャン=バティスト・モニエはフランスの数ある合唱団の中でもトップクラスのソリストであることは間違いありません。彼の美声は勿論ですが、フランス語の存在を忘れてはならないと思います。少し鼻にかかった発音は彼の美声をより際立たせているように思うからです。私がステファン・グラッペリのヴァイオリンの音色を好むのはそのせいかもしれません。そう、彼の出生地はフランスのパリです。

モランジュの歌声は天使の歌声でした。伯爵夫人は胸に手を当てて校長に微笑みかけました。校長は作り笑いで返しますが、困惑した目でモランジュを見ます。ソロを歌い終えたモランジュにマチューは笑みを浮かべました。するとモランジュも笑みを浮かべながら合唱隊のハミングに合流して歌い続けました。算数を教える丸メガネをかけたラングロワは今にも泣き出しそうです。マチューは、この日の日記に、こう記しました。「私の指揮で歌う彼の目が多くを物語っていた。歌への愛。私に許された喜び。そして感謝の気持ちがあふれていた。」と。

この場面は映画のクライマックスで涙を誘います。モランジュのすねた顔が愛おしくて、ソロを歌い終えた彼のあの笑顔に観客は救われ涙します。ここでは観客は涙するだけではなく、ジャック・ペランの言葉に学ばなければなりません。「愛情がないから反抗するんだ。誰かが、彼らに少し気をとめてあげれば社会を憎まなくなるばかりか、自力で何かしようとする。」まさに、この場面のモランジュがその人です。マチューによって、彼は人との関わりに光を見いだしたのです。

初夏となり、子ども達は外へ出たがってウズウズしています。マチューはそんな子ども達の様子を見ながら考えを巡らせていました。大成功を収めた合唱隊は、風に乗って踊りたくなるような「凧」という明るい曲を練習していました。そんな中、チャンスがやって来ました。学校が2週間の休暇に入り、先生方がバカンスに出かけることになったのです。学校に残るのは、マチューとマクサンスと子ども達だけです。マチューとマクサンスは、昼食後に、こっそりと野外のリニャンの森へ子ども達を連れ出し、宝探しをして楽しみます。

校長は昇進と勲章ためにゴマをすりにリヨンへ行っていました。伯爵夫人のとりなしもあり、事は順調に進むかのように見えましたが、一本の電話で、校長の昇進と勲章の夢は灰となりました。学校で火災が発生し、寝室を焼き尽くしてしまったのです。「やられたら、やり返せ!」。特殊学校を脱け出したモンダンのしわざでした。校内で20万フランが見つかり、マチューはモンダンの犯行ではないと校長に訴えますが、校長は、「モンダンが犯人じゃなくてもタチの悪い不良だ。ほっとけ!」と言い放ってリヨンへ旅立ったのでした。20万フランの犯人はコルバンで、自分の夢である熱気球のための犯行でした。このことを知っているのはマチューとマクサンスだけでした。

火災が発生した時、子ども達は野外にいたので難を逃れることができました。校長は、火災を未然に防げなかった責任を、マチューとマクサンスに取らせるために、マクサンスには一時停職を、マチューには解雇を命じました。更にマチューに「生徒たちとの別れは禁じる。18時のバスで出て行け」と命令しました。

マチューは、この日のことを日記に、こう綴りました。「生徒が規則を破って別れに来ると思ったが、ムダだった。彼らは賢明にも無関心を装った。モランジュさえ。悲しかった。」と。

マチューが門に向かって、とぼとぼ歩いていると、道に紙飛行機がたくさん落ちていました。それらを拾い上げて見てみると、“元気でマチュー先生” “アバよハゲ頭” 、音符を書いた紙にはモランジュの名前もありました。みんなが紙飛行機にお別れの言葉を書いてくれたのです。そして、「凧」を合唱しながら、窓から紙飛行機を飛ばしてくれました。校長は怒って、歌うのを止めさせようとしましたが、部屋の内側から鍵をかけられてしまったので、ドアを叩くことしかできませんでした。

多彩な個性に溢れた子ども達の顔は敢えて出さず高所の窓から手を振るだけの映像は洒落っ気のあるフランスの気の利いた演出でこの美しい光景にうっとりしてしまいます。

マチューの日記の最後にはこう綴られていました。「この瞬間、私は無上の喜びに包まれた。全世界に叫びたかった。だが無名の私の叫びを誰が聞いてくれるだろう。自分の事は、よく分かってた。私はマチュー。落ちこぼれの音楽家。失業した教師。」と。

マチューが解雇された後、ヴィオレットはモランジュを迎えに来て、彼をリヨンの音楽院に入れます。技師はモランジュを寮に入れようとしましたが、ヴィオレットが反対したので、去って行きました。「やられたら、やり返せ!」。教師たちとマクサンスは団結して校長の横暴を告発して、校長は解雇されました。モランジュはリヨンの音楽院で研鑽を積んで世界で活躍する指揮者となります。そして、50年ぶりにぺピノと再会し、マチューの日記帳を、君への形見だよ、と言われて渡されました。マチューは死ぬまで音楽を教え続けました。名声を求める事もなく、小さな自分の夢に生き、多くの人を幸せにしました。

“池の底”を出た不遇なマチューは、バス停に向かいます。そこへ、あろうことかぺピノが「マチュー先生」と叫びながら走って来ます。右手に持ったラグビーボールの形をした手提げ袋を揺らしながら、左腕には熊の子の縫いぐるみを大事そうに抱えて。マチューが「どうした?」と聞くと、「僕も連れてって」と言いました。マチューは罰を受けるから戻れと厳しく諭し、バスに乗り込んで、バスは発車します。不遇なぺピノが寂しそうにバスを見送っていると、バスが止まって、バスのドアが開きました。笑みを浮かべたぺピノはバスに駆け寄り、マチューに抱き抱えられて、バスに乗り込みました。

不遇な二人に似つかわしい終わり方に観客もホッとします。流れる曲は「途中でみてごらん」です。マチューの優しさとぺピノのこの人に付いていくという判断の正しさを称賛するかのような余韻の残る名曲です。迎えに来たのはパパではなかったけれど二人が旅立った日は1949年バカンスさなかのある土曜日でした。


余談ですが、マチュー役のジェラール・ジュニョとぺピノ役のマクサンス・ペランは、2008年の映画「幸せはシャンソニア劇場から」で親子を演じています。「コーラス」の続編を思わせる粋なはからいに心が和みます。因みにマクサンス・ペランは、ジャック・ペランの息子で、クリストフ・バラティエ監督の従兄弟です。

(See you)

「土曜日に迎えを待つぺピノ」を簡潔にまとめた「『映画コーラス』の3本の矢」はAmazonカスタマーレビュー用に書きました。

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