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音楽の故郷~吉田拓郎

吉田拓郎が年内(2022)で引退することをニュースで知りました。
私が高2でギターを始めたのは拓郎の「イメージの詩」がきっかけでした。
私は中学の頃から天文ファンで天空の星ばかりを追っていましたが地上の星にも関心を持つようになりました。それは「自分は何者か?」と拓郎のあの独特な声質と言葉に問いかけられたからです。

久しぶりにYouTubeで拓郎の歌を何曲か聴いてみました。高評価をつけたのは
①『今日までそして明日から』
②『雪』
の2曲でした。

実は「結婚しようよ」が大ヒットしてから拓郎の歌は聴かなくなりました。好きだった拓郎の世界観が失われてしまったと思ったからです。

でも、もう1曲高評価をつけた曲があります。それは初めて聴く曲でした。
曲名は『いつも見ていたヒロシマ』。拓郎の原点がヒロシマにあることを知って嬉しく思いました。

吉田拓郎のプロフィールを簡単に紹介しておきます。

1946年
鹿児島で誕生。
1955年(9歳)
両親の別居で広島に転居。
1962年(16歳)
級友とバンドを結成。
1965年(19歳)
広島修道大学入学。
1966年(20歳)
フォークコンテストで全国第3位
1968年(22歳)
アマチュアフォークサークル“広島フォーク村”を結成。
1970年(24歳)
上京して『イメージの詩/マーク2』でデビュー。ファーストアルバム『青春の詩』発売。
1972年(26歳)
『結婚しようよ』をリリース。
1974年(28歳)
森進一に提供した『襟裳岬』が第16回日本レコード大賞を受賞しプロデューサーとしての手腕も発揮。

彼は中島みゆきさんや桑田佳祐さんをはじめ、米津玄師さんやあいみょんさんなど、さまざまなアーティストに影響を与えた日本音楽界のまさにレジェンドです。

その力の源は青春時代を過ごしたヒロシマにありました。

今ここにセピア色した宮島の写真が1枚あります。2歳の時の私が写っています。ヒロシマに行ったのはこの時だけですがヒロシマは私にとって音楽の故郷です。

2022/07/18 週刊女性PRIME(dmenuニュースより)

参考文献