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間違いは途中で始まり

生まれる前から

そのフィルムは映し出されていて

僕等はそれぞれ主人公

生まれる前から

映画は始まっていて

生まれてからは

最初は小さかった

『自分』と名付けられてさえなかったものが

徐々に育っていき

目に映るものすべてに価値をつけはじめる

要る要らない

要らないにカテゴライズされたものには

ほぼ触れないようになり

その世界は閉ざされて

知ることもなくなる

価値のあるものだけを

価値のあるものだけを

あとは要らない

でも、、

ほんとのところ

価値なんてわかってなくて

何故なら

価値としたものを集めても集めても

完全な幸せなんてわからなくて

空しくなったりして

この世の全てを測定したみたいな顔して

わかった気になってる自分こそ

価値がないのでは?と

疑いはじめもする

『要らない』が増える度に世界は狭くなり

行くところが無くなってく

覗きたい世界が無くなってく

窮屈でつまらないを作ってく

あれ?

どうして価値なんて決まるようになったっけ?

価値あるものがあれば

自分が幸せになれる

選り好んでたくさん集めれば

疑い無い幸せに、、、なれるはずだったのに

こんな狭くて

人が自分より上だったり下だったりだとか

自分が喜ぶから価値があって

喜ばないなら価値がない

そんな世界の

何が『幸せ』だっていうんだろう?

世界は広い

息を飲むような美に溢れ

自分が合わない人でも

誰かにとっては大切な人

自分の大切な人のように

価値というなら

どれも等しく価値があるはず

世界中に編み込まれた光が

僕らの映画は真っ暗にせずに

灯りをしてくれてるのは

僕等に探し物を見つけてもらうため

月日を経て

経験を積み

見つけては集めた喜ぶための方法

自分の『幸福論』を

過信しすぎて探すことより

閉ざすことを進めてた

心が何を観たいか?

それを無理に言葉にするんじゃなくて

単純に心の笑うほうへ歩いてみるのもいいよな

価値なんてつけずに

生まれる前から

そのフィルムは映し出されていて

僕等はその映画の主人公

ただ、

幸せを知るために表れた光

はじめまして、 胸の奥の言葉にしがたい動きを 僕なりに解明し それを形にして伝えることで 生きる上で日々上下する感情の動きを 良い受け取り方使い方が 出来るような表現を日々追及して 渡していきたいです 未熟なエゴイストですがよろしくお願いします (。-人-。)