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秩序があって安全(離婚調停①)

離婚調停なるものに通っている。

調停は、家庭裁判所内で行われる。そこは家からそう遠くなかったけれど、なにしろ最寄りの家庭裁判所がどこにあるのかということも知らずに生きてきて(そして大抵の人は、所在地を知らずに一生を終えるのだろうけれども)、私は計らずもそれを知ることになり、これから月に一回通うことになろうとは、人生というのは本当に思いもかけない事が起こるものよ、と他人事のように思う。

他人事のように思うけれど、私、本人が申立人なのであった。私が始めたことなのだ。

もちろん調停をせずに話合い(協議離婚)という道もあるけれど、話合いにとにかく応じたくない、と岩のように動かない夫を動かすにはこうするしかなかった。調停も欠席するものだろうと思っていたけれど、それはギリギリ思い留まったようで、夫も弁護士と一緒に現れたそうだ。

そうだ、というのは、調停は夫婦が顔を合わせずに行うことが出来るので、私は夫の姿を見ていない。

私達夫婦は、それぞれ別の待合室で待機し、順番が来ると調停員の待つ部屋で代わるがわる話を聞いてもらい、全ての話合いに決着がついた最終日、最後の最後に同席して終わるのだと説明を受けた。

もちろん、相手の顔を見たいという場合は、“その日の最後の締め”みたいな時に立ち会えば良いのだけれど(専門用語がわからなくてすみません)、そこは一緒に暮らしてきた夫婦だから、表情だけでなんとなく相手の心情がわかってしまうだろうと思うと、気が重くて立ち会う気にはなれず、弁護士にお任せしている。

調停の部屋は、明るいすりガラスの窓がある図工準備室みたいに小さな部屋で、長机とパイプ椅子と電話だけが置いてある。調停員も、必要に応じて同席する裁判官も、法務服を着ているわけでもなく、なんならスーツですらない。役所の相談窓口くらいの雰囲気で、口調も穏やかな方で安心した。

第一回は婚姻継続費用の話で終った。これはいわゆる生活費の事で、離婚後の養育費に似たもの。

夫からの生活費支払いは、何ヶ月も滞っていたので、それを遡って請求し、離婚成立まできちんと支払うように、改めて金額を取り決める。

金額はそれぞれの家庭の汲むべき事情で多少上下するものの、基本はお互いの収入に応じて裁判所が定めた金額があるので、粛々と進むだけだ。

少し違ったのは、夫が「生活費を支払う代わりに、家の鍵を元に戻すように」と条件を出したことだ。

これには、私側の弁護士はもちろん、夫側の弁護士でさえも「それは無理なのでは」と夫を諭したそうで、調停員もこちら側の主張にすぐ納得してくれた。

ここまでこじれた夫婦関係で、夫が合鍵を持って好き勝手に住居を荒らす恐怖を、第三者に理解してもらえて有り難い。

そして、こどもが生きていくための生活費を、何かの条件と引き換えにする、交渉材料にする、という点が、気持ちはわからなくはないけれど、改めて話の通じなさを感じる。

現在、私の収入がないから、それは私の生活費にもなるわけで、面白くないのはわかるけれども。では、私が今仕事を始めたとして、これだけ三人三様のケアがいるこどもたちを誰が面倒見るのですか、という問題については、なかったことにされている。

ともかく、生活費は過去に遡って支払われることになり、一段落。状況を知っている親きょうだいには、ご迷惑ご心配をおかけしました。

その次は親権の話になる。夫は親権が欲しいとのことで、今まで子育てを丸投げしてきたのに、それはいくらなんでも無理筋でしょうよ、と思うけれども、夫も承知の上であえてそう言っているのかもしれず、これはまた話が長くなるので別の機会にでも書きたい。

離婚調停は確かに大変だけれども、公の場所で公正な立場の人が居るというのは、本当に有り難く、夫婦二人で話合いをしていた時に比べれば、よっぽどストレスが少ない。

そもそも、話合いが成立するような関係だったら離婚せずに済んだのかもしれない。

初めて離婚調停に向かう日、遅刻してはいけないから一時間も前に到着し、隣のビルに広いロビーがあったので、そこのベンチに座って持参したコーヒーを飲みながら待っていた。

隣のビルだから、私と同じように時間を潰している人もいるかもしれないなあ、もしかして、夫も同じ事を考えてここに来たりして。

そんな事を考えていると、一時間もあるのだから、今の気持ちを文章で書き留めたい、という気持ちが出てきた。

離婚調停がもうすぐ始まるというのに、自分の気持ちを書き留めたいなんて、私は自分の思い出話がどれだけ好きなんだよと呆れてしまって、実行はしなかった。でもその代わりにしっかりと記憶に留めておこうと思って、そして今取り出して、結局書いている。

ガラスの向こうを歩く人達は、この隣に裁判所があるのを知っているのか、それともそこで働く人達なのか。私は、初めての場所で緊張していたけれど、やっとここまで来られたという安堵の方が大きかった。

自分が得をしたいとか、相手をやり込めてやろうとか、そういう気持ちがないおかげで、心が凪いでいる。

ガラス越しのオフィス街で、行き交う車や急ぐ人たちを見ているのに、まるで禅寺から枯山水を眺めている心持ちで、ただただ静かに時間が過ぎるのを待った。

今から行く場所は、秩序があって安全だ。




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