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こどものためではないよね

夫と別居してもうすぐ二ヶ月になる。

まだ少し肩に力が入っている。一人でこども三人を責任持って世話しなくては、という気持ちがどこかにある。

頑張りすぎては続かない。やることは山程あるけれど、少しずつ。休憩もちゃんととるし、遊びもする。

少しずつ、少しずつ。焦る気持ちとサボりたい気持ち、両方に言い聞かせる。焦ってもダメ、サボってもダメ。無理のない範囲で少しずつ。

こどもたち、特に下の小さいふたりは、土日祝日、夫と会っている。それでも、今まで家に居た人が居ない、という状況にすぐには慣れない。

例えば、こどもが「おとうさんに図工の作品を見せたい」などと言ったとき、すぐには見せられない。そういう時、夫婦仲がうまくいかなくても、こどものためには一緒に居たほうが良かったのかな、と思うこともある。

いやでも、私を別居へと突き動かしたのもまた、こどもの存在だった。こんな淀んだ家で育ててはいけない、という思いが、私を行動させた。

そして、今にして思えば、ここは大切な部分で、雑に語ってはいけないと感じる。

確かに、こどもの存在は私の背中を押したけれど、私はこどものために別居したのではない。淀んだ家で育てたくない、というのは私の気持ちであって、こどもの気持ちではない。

そこを見誤らないようにしないと、「こどもたちのために頑張ったのだから」と責任をこどもに押し付ける親になってしまいそう。

私が、私を守るためにやったのだ。その結果がこどもにとって良かったか悪かったか、それはまた別の話だと思う。

まあ、できれば、親が別居して良かったな、とこどもにも思ってもらえる生活にしたいけれど。

こどもたちは、おとうさんも好きだし、おかあさんも好き。その二人がうまくいかないという心労はどのくらいのものだろうかと想像する。

それを少しでも軽くするためには、離れていても夫も私も幸せそうだ、と安心することしかないんじゃないかな、と思う。

そして結局、いつもいつも結論は、「自分の人生をサボらない」というところへ還る。

私にとって、究極のおサボりは「ずるずると何も解決しないまま夫と暮らし続けること」であったので、そこだけはクリアできて良かったなと思っている。

次の人生の課題にも、サボらず焦らず、ゆっくりとりかかりたい。こどものためではなく、自分のために。





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