190630パラダイムシフターnote用ヘッダ第07章19節

【第7章】奈落の底、掃溜の山 (19/23)【傷痕】

【目次】

【離別】

「ヌあ……っ!?」

 間抜けな声を上げながら、アサイラは空間に放り出される。円形状で、中央に天蓋付きのベッドが置かれた『淫魔』の部屋だ。

 アサイラたちを転送した『扉』は、相変わらずノイズまみれで、床と斜め向きになるような位置で空中に浮かんでいる。

「あー、ひどい目にあったのだわ」

『扉』の内から身軽に着地した『淫魔』は、じゅうたんのうえに転がるアサイラを横切り、ソファに背中を沈ませる。

「その娘をバスルームに連れてって、洗ってあげて。ついでに、あなた自身も」

「おまえがやれよ。クソ淫魔。俺の右腕は、ちぎれかけているんだぞ」

「どうせ、二、三日で元通りになるでしょ?」

 よろよろと立ち上がるアサイラの右腕を、『淫魔』は指さす。

 ひしゃげた腕は、アサイラの体内から分泌した黒い粘液におおわれ、闇色の分泌物は幾本もの繊維状となり、巻き付き、いまやギプスのように固定している。

「あなたの再生能力、シフターズ・エフェクトだとしても、本当に異常だわ。ドラゴンだって、そんな速度で再生したりはしない……」

『淫魔』は、ソファのうえに身を投げ出したまま、静かに寝息を立て始める。アサイラはため息をつき、自分の横に力なく転がる女エージェントに目を向ける。

「おい、おまえ。立てるか?」

 返事はない。アサイラは、二度目のため息をつき、獣耳の女性を担ぎ上げる。気絶しているわけではないが、女の瞳は虚ろで、意志の光を感じさせない。

 脱力しきった肉体は、必要以上に重く感じさせられる。

 アサイラは、片腕で難儀しながら、バスルームへと向かう。脱衣所で、虜囚の女エージェントを、いったん床に降ろす。

「本当は、クソ淫魔がやるべきなんだろうがな。あの気まぐれ女だ。あきらめろ」

 アサイラは、ひざをつき、獣耳女の上半身を起こす。インナーレオタードの背面に、チャックを見つけ、それを降ろす。

「う……ッ!?」

 女エージェントの背中を見たアサイラは、思わず息を呑む。

 そこには、無数の惨たらしい傷跡が刻みこまれていた。弾痕や斬撃のような、戦闘でついた跡には見えない。

 堅い棒か、あるいは鞭のようなもので何度もたたかれたような、裂傷の痕跡だ。

 拷問でも受けた経験があるのだろうか。だが、あれほど手練れの女エージェントが、そんなおくれをとるだろうか。

「……グルルルウッ!!」

 突然、獣耳女が振り返ると、犬歯をむき出しにし、アサイラの喉元に喰つこうとする。アサイラは、間一髪で回避する。

「あう……ッ!?」

 すでに戦う力を使い尽くしている女エージェントは、バランスを崩して、そのまま床に倒れこむ。それでも、顔を上げ、目を血走らせてアサイラをにらみつける。

「おい、無理をするな! 死ぬぞ!?」

「見るな……見るな見るな、見るなああぁぁぁ──ッ!!」

 獣耳女が、狂乱したかのようにわめき立てる。死にかけの狂犬のごとく牙をむき、アサイラは近づくことができない。

「ビイィ! クワイエット!!」

 手をこまねくアサイラの背後で、絶叫が響く。脱衣所の入り口には、家主である『淫魔』の姿があった。

「なに大騒ぎしているの! うたた寝もろくにできないのだわ!!」

『淫魔』は叱責しながら、脱衣所のなかに入ってくる。手狭になった空間で、装飾過剰なゴシックロリータドレスを脱ぎはじめる。

「あと、私もお風呂に入るのだわ! いやな臭いが、髪に染みついてる!!」

 唖然とするアサイラをしり目に、『淫魔』は黒いレース生地の下着姿となる。

 四つん這いとなって、未だ野獣のごときうなり声をあげる女エージェントの背を、『淫魔』は見て、目を細める。

「──虐待の跡だわ」

 ぼそり、と『淫魔』はつぶやく。

「あああアアアァァァ──ッ!!」

 獣耳の女は、咆哮する。全身に打ち込まれた重症の負傷が悲鳴を上げるのもかまわず、狂乱し、激しく暴れ出す。

「アサイラ! ちょっと、この娘を取りおさえて!!」

「……どこまで人使いが荒いんだか」

 アサイラは、女エージェントの側面に回り込み、右肩から体当たりをする。相手の体勢を崩したところに、左腕一本で不完全なアームロックを極める。

「う、うゥ……ッ!」

「……ごめんなさいだわ」

 なおも苦しげにうめき続ける獣耳女の両頬を、淫魔は白く長い指でそっと触れる。深紅の肉厚な唇が、ねっとりと女同士の接吻を交わす。

「あぁ……んッ」

 艶めかしいうめき声をあげて、女エージェントの瞳は陶酔に濁り、全身が脱力する。アサイラが拘束をほどくと、獣耳女はへなへなとその場に腰をつく。

「どうするんだ、クソ淫魔?」

「思ったより、この娘、ワケアリだわ。早々に処置してあげたほうが、いいかも……アサイラ、もう一仕事だわ」

「やれやれ、だ」

 アサイラは、額を手でおさえながら、嘆息をもらした。

【解錠】

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