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鋭いギターがなぞる心の輪郭〈11月 毎日投稿〉

鋭くひずんだツインギターの迫力。轟音のベースは、カオスな音楽性を構成する一員でありながら、暴れまくるバンドを音楽としてまとめ上げている。ドラムはこれでもかという位にまくしたててくるのに冷静さを失わない。そして、この混沌としたサウンドの中で、つややかに、美しく響くボーカル。

豊かな情景描写とともに、生きることと切実に向き合う歌詞を、キャッチ―かつ美しいメロディーで艶やかに歌い上げる。私が高校生だったころ、私も含め邦ロック好きの友達が、みんな9mm Parabellum Bulletのことを好きだったなあと思い出す。

ひとことでロックと言ってもいろいろあるから、みんながみんな一様に聴くバンドというのは、それほど多くない。そして、なにをいつ、どのくらい聴くかはその人の自由であって、好きな音楽をすすめ合ったりCDを貸し借りすることはあっても、無理強いはしない。

音楽が本当に好きであればこそ、相手の好きな音楽も尊重するべきだ。自分の好きを押し付けることは、相手の好きを否定することと紙一重であり、すすめ方には細心の注意を払わなければいけない。そのあたりの礼儀正しさにおいて、私は友達に恵まれていた。

それでも9mmは、誰かが強烈な布教をするということなしに、全員の共通項になっていた。CDショップや、CATVの音楽番組、インターネットなどでおのおの出会い、おのおのが衝撃を受けていた。一度耳にしたら忘れられない音楽性がそうさせていたのだろう。

BUMP OF CHICKENガチオタクである私をはじめ、UVERworldガチファンの子も、インディーズバンドを日夜インターネットで漁りまくっていた子も、地元の小さなライブハウスから武道館までを飛び回り、ロキノン厨の真ん中を突っ走っていた部活の先輩も、メロコアが好きな子もV系が好きな子も、みんな9mmが好きだった。

それぞれ好きな曲やアルバムは違えど、一緒にカラオケに行ったら必ず、全員が1回ずつは9mmを入れた。9mmをカラオケで歌うのは一見難しそうに思えるが、キーが高めなので女子でも歌いやすく、メロディーがキャッチ―なので、上手い下手は別として、一度歌えるようになればものすごく気持ちいい。

『ハートに火をつけて』がリリースされたのは2012年の10月、私は高校3年生だった。当時の学力からそれなりに勉強しないと合格できない難易度の志望校を選んだので、友達とも遊ばず、毎日受験勉強ばかりしていた。

中学生のころからYouTubeで新しい音楽を漁るのが日課だったが、それもしなくなり、高2までに知ってウォークマンに入れていた曲を、ひたすらリピートする日々。

しかし、夏休み中で思うように学力を上げられず、そのまま秋を迎えてしまい、プレッシャーと自己嫌悪で心がぱりんと音を立てて割れてしまいそうだった。ある日、本当に無理になってしまって、勉強をサボってパソコンを付け、YouTubeで音楽を漁っていた。

今でこそYouTubeはスマホで簡単に見られる。むしろ息をするように見てしまって困るくらいだが、iPhoneが日本で最初に発売されたのが2008年。私が高校生の頃、ちょうどガラケーからスマホへの過渡期だった。

私は当時まだガラケーしか持っていなかった。ガラケーでもYouTubeを見られることは見られるけれど、画面が小さいし、パケット通信料がかかるので、当時は家族共用のパソコンで見るしかなかった。

受験生がリビングでパソコンを開いて毎日のようにYouTubeを見ていたら、確実に親に怒られる。でもその日ばかりは本当にメンタルがボロボロになっていて、親もそれをなんとなく察して何も言わなかった。

それまで毎日のように触れていた場所から離れると、たった半年程度のブランクとはいえ、ものすごく新鮮なものに感じられた。それまで新曲が出る度欠かさずチェックしていたミュージシャンを半年追いかけなかったら、まったく別のバンドのように感じられた。

そのときちょうど「ハートに火をつけて」のMVのショートバージョンが公式アカウントで公開されたばかりだった。今までずっと聴いてきた9mmの、全く新しい側面を見たような気がした。

いや、常に新しいものを吸収し、音楽性を広げ続ける9mm Parabellum Bulletというバンドにとって、それは1つの通過点でしかないのかもしれない。それでも私は、9mmを初めて聴いたときと同じくらいの、突き抜けるような衝撃を覚えた。

隣町の予備校まで電車で行って、模試を受けた帰り、自分の最寄りにはない大きなCDショップでこのシングルを買った。私の最寄りには小さなCDショップが3軒があるだけ。どこも品揃えが少なく、当時私が追いかけていたロキノン系ミュージシャンのCDを確実に買うには、取り寄せをして1週間待つしかなかった。

ネットショッピングはあったけれど、クレジットカードを持っていない学生が軽々しく使えるものではない。サブスクサービスはまだ誕生していなかった。

模試でしゅわしゅわに疲れ切った頭のままCDショップに寄り『ハートに火をつけて』を手に取った。あの日YouTubeで聴いて受けた衝撃が忘れられなくて、他にも何作か候補はあったけれど、ぶっちぎりでこのCDが欲しいと思った。

このCD、シングルでありながら4曲入りで、1曲目に表題曲ではなく「Scream For The Future」という2分足らずの短い曲が入っている。最初聴いたときから、この曲の張り裂けそうなギターが私は大好きだ。これほどまでに私の心の輪郭をなぞる音には、出会ったことがない。

心は目に見えない。そして常に揺れ動き、自分でさえコントロールし切れない。しなやかで我慢強いと思いきや、無理矢理押さえつけようとして不用意に触れば、思わぬところで壊れてしまう。

鋭くてじゃきじゃきしたギターが、いつも私の心の表面をわさわさと擦ってくる。「君の心はここで脈を打っているよ」「心のひだはこう波打つんだよ」と、あんなに力強くて鋭いのに、痛さを伴うことなく触って確かめてくれる。当時から今まで一度も変わらない。

秋から冬にかけて気温が下がるのと示し合わせるように、受験日がどんどん近づいてくる。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、それでもしがみつくように机に向かっていた。

大学受験で人生の全てが決まるわけじゃない。でも当時の私には、大学受験の先の未来なんて分からなかった。第一志望校に行けたら良くて、不合格だったら駄目なだけだった。

結局第一志望校には行けなくて、大学受験という自分との戦いに負けて、それでも人生は続いている。あの頃描くことさえできなかった未来を、私は生きている。

「Scream For The Future」がなぞる私の心は、ずっと変わらず同じようにどくどくと湧き上がり、波打って、ときに張り裂けそうになりながらも、くっきりとした輪郭を持ち、個体としての生存を保っている。


コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます