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想像した以上の騒がしい未来が待っていた

私がはじめてライブに行ったバンドはスピッツである。私が高校生の時に、スピッツがその時住んでいた田舎町の県民文化ホールまでライブをしに来てくれた。

そのころスピッツはチェリーが売れた直後の特に大人気の時期だったので、なぜ片田舎の県民文化ホールまで来ようと思ってくれたのかは謎だが、大いに感謝しつつチケットを取った。

そして妹と一緒に人生初ライブに行った。

ライブというのは思っていたよりも音が大きくそして感動し興奮するものなのだと素直に思った。

そしてその時に一番心に残ったフレーズがチェリーという曲の

きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる

という部分である。ただ正確に言えばライブでは

きっと想像した以上に騒がしい未来が「君たち」を待ってる

と歌詞の一部を変えて歌ってくれた。原曲では「僕を」待ってる、なのだが、「僕を」のところを「君たちを」待ってるに変えてくれた。

本当の歌詞とちょっと変えてくれたおかげもあり、このフレーズを私はよく思い出す。


例えば大学に入学して東京に出てきた時。
私は高校生まではかなり真面目で、派手に遊ぶということはなかった。

大学に入ると友達ができて、朝まで飲んだりカラオケをしたり、ラウンドワンに出かけたり、旅行に行ったりと大学生らしい遊びを覚えた。

研究室(ゼミ)に配属されてからは、そこの仲間とも仲良くなり、研究についての議論をしたり、それ以外のことを語り合ったりと楽しく過ごした。(研究のことよりそれ以外のことを話す方が圧倒的に多かったが)

私にとってそれは「騒がしい未来」だった。

大学に入学する前、きっと私は大学生になっても、一人暮らしのアパートと学校を往復するような毎日を送るのだろうと想像していた。

それがいい意味で想像を裏切り、「騒がしい未来が待って」いた。
私はあの時のライブで草野正宗さんが歌っていたことを思い出して、ほんとに草野正宗さんの言う(歌う)とおりだなと感じた。

そしてこれは人生のいろんな場面で感じる。

就職した時もそうだった。
楽しい大学生活も終わりいよいよ働くことが中心となる人生が始まるのだなと思った。
きっと毎日疲れ果てて、家と職場を往復するだけの日々になると想像した。

しかしこれもいい意味で想像と違った未来が訪れた。

それは職場に配属された同期ととても仲良くなったからである。週に2日は同期のみんな、または同期の誰かと飲みに行き、仕事の愚痴や将来どうなりたいかということを熱く語り合える仲になった。

休みの日も一緒に過ごすようになり、なんだか青春が延長されたような感覚がした。

というよりも高校時代までろくに青春っぽいことをしてこなかった私に遅れてきた青春が訪れたと言うべきであろうか。

今でも同期とは家族ぐるみで付き合いがあり、私にとってありがたい存在である。

そして「想像もしないような騒がしい未来」の一番は子どもがいる生活である。
子どもがいるようになってからは、それまでの人生で考えもしなかったようなことがたくさん起こる。

子どもを育てることは想像もしなかったくらい大変である。
しかし子どもは想像もしなかったくらいかわいい。自分の子どもは想像の100倍以上かわいい。

ただ子どもがいると毎日慌ただしく過ぎていき、まさに「想像もしないような騒がしい日々」である。
草野正宗さんは預言者である。今のところの私の人生で草野正宗さんの言葉はことごとく当てはまる。
「想像しないような騒がしい日々」がこれでもかというくらい訪れている。

そしてそれはこの一年でもそのように感じることがあった。

というのもnoteを始めて昨日でちょうど一年がたった。今日から二年目である。

私はLINEもやっていないくらいのSNS未経験者である。
Twitter、FacebookやInstagramなどもっての外である。

私は基本的に顔も知らない人とコミュニケーションを取ったことがない。

それどころか私は現実の世界でも交友関係が狭い。
地元の友人とはとっくの昔に縁が切れている。

そして私が東京に来て入った大学の学部と学科は私の今の仕事と深い関わりがある。

そこは狭い世界であり、大学の仲間と仕事の仲間が被ってくる。大学の仲間も仕事の仲間も同じ仕事をしていて、直接的には関わらなくてもどこで誰が何をしているかなんとなく知っている。

それに加えて、親族である、妻、義父、義母、おじ、おば、いとこ、実母(結婚して退職するまでの数年だけではあるが)は私と同じ仕事をしているか、過去にしていた。

だから私は友達、親族とわりと価値観を同じくする人たちに囲まれている。
私は広い世界を知らない。

だがnoteを始めてから私の世界は劇的に広くなった。今までnoteをせずに生きていたら触れ合えなかった人たちと、交流する機会がうまれたのである。

noteを始めた時はそんなことを考えもせず、ただ自己満足的に、自分の記録用に文章を書けばいいと思っていた。

しかし、noteを始めてみるとスキをくれたり、フォローしてくれたり、コメントをしてくれたりといろいろな人とのやりとりができた。

その中で関わる人は様々な経歴や経験があり、その人たちがもっている思想や思考が多岐に渡っている。
こんな世界もあるのだと、私は日々驚き勉強になり、見識が深まるばかりである。

これこそ草野正宗さんの「想像もしないような騒がしい未来」である。

noteの記事はいい意味で騒がしい。みんなが自由に好きなことを書いている。そしてどの記事もその人の背負ってきた歴史が滲み出ていて、こんな人生もあるのだと知的好奇心が満たされる。

noteがなければ知れなかった、個人の人生に触れることができ、大いに考えさせられる。
まさかこんな「騒がしい未来が待っている」とは思いもしなかった。

草野正宗さんのこの言葉を人生のいろんな場面で噛み締めるにつけ、一流のアーティストは端的に的確に物事を表現するのだなと思う。

そして私は今日から始まる2年目のnote生活でも文章を書くことを続けて、さらなる「想像もしないような騒がしい未来」がやってくるといいなと思っている。

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