しろ note850日目くらい
公式コンテストに受賞した記事と公式マガジンに記載された記事。
大学時代に所属していた民族音楽サークルで体験したことを書きました。
自分が父親になって感じたこと
学校教育について考えたこと
運動音痴がランニングをして考えたこと
大学入学のために上京して、はじめて住んだのは国分寺市の恋ヶ窪というところだった。 とてもこじんまりとはしているものの、なんだかほんわかしたいい街だった。 何より恋ヶ窪という地名に惹かれた。 恋ヶ窪というそれだけでときめくような地名があるなんて、さすが東京だと18歳の私はとても感心したことをよく覚えている。 はじめて一人暮らしをした街なので、思い出はいくらでも汲み出てくる。 生まれてはじめて感じるような心躍ること、今でも辛いくらい嫌な気持ちになったこと、ここでは到底書け
この前の週末、妻が休日出勤をすることがあった。娘(小1)と息子(年中)とずっと家にいるのも退屈だしどこかに出かけようという話になった。 またその日は娘と息子の従姉妹のあいちゃん(小2)があいちゃんの両親の都合によりうちにくることになっていて、私と子ども3人で休日を一日を過ごす日になっていた。 あいちゃんのお母さんは妻の姉である。私は基本的に妻に絶対服従である。 妻はその姉に対して絶対服従している。妻も怖いが、妻の姉はさらに怖い。妻の姉の見た目は広末涼子にそっくりであるが
時の流れは早い。 子どもの成長は想像以上にあっという間である。川の流れのようにゆるやかではなく、華厳の滝のようなたちまちさである。 たちまちさという日本語があるのかよく分からないが、今の素直な感情からでた言葉なので許して欲しい。 何が言いたいかというと先日、娘の入学式があったのだ。 あんなに小さくて幼くてかわいかった娘が小学生になるなんて。 本当にびっくりする。0歳児クラスで保育園に娘を入れたのだが、はじめてお迎えに行った日をまるで昨日のことのように覚えている。 私がお迎え
空虚さを埋める。 それだけである。 とにかく自分の空っぽを埋めるために生きている。 なんの目標もなく目的もない。 ましてや生きる意味などこれっぽっちもない。 そんな中でも、むしろそんな中では刹那的に楽しいことを追求して生きるしかないのだ。 真面目に生きたかった。 社会課題を解決したり社会貢献ができたりするような人間でありたかった。 それはもう無理だ。日を追うごとに破滅が近づいている。それも加速度的に。指数関数的に破滅はもう目の前だ。 破滅を前にした自分はどうなるのだろうか?
夢の終わり。 または喪失感。 ◇ 娘の卒園式が先日あった。 それはもう素晴らしい式であった。 私は娘が会場に入場するやいなや涙が堪えきれなかった。 娘はというと先生に、まっすぐ前を向いて姿勢を良くして座るということを教えられているようで、保護者席には目もくれない。ちょっとさみしい。 卒園生が歌を披露する場面でも、先生の方を向き真面目に歌っている。 私はその歌を聴きさらに涙が溢れる。 娘のクラスメイトには泣いてしまって歌うどころではない子も出てきている。 私はそ
家事分担の気づきというお題がnote公式から出された。 ここは家事育児系noter(自称)の私の出番である。 私はこれまで誰の役にも立たない家事や育児についての記事をnoteで100くらい書いてきた。 100というのはものすごく適当でもしかしたら50くらいかもしれないし、200くらい書いているかもしれない。基本的に私は物を数えることと過去を振り返ることはしないので、そのあたりはものすごく曖昧である。 曖昧模糊としている。 そして曖昧模糊としているという表現を使いたいだけ
ついに娘の卒園式が近づいてきた。 娘は1歳になる前から保育園に通っている。 だから娘は保育園に入ってから6年の日々がもう過ぎようとしている。 あんな小さかった娘がもう普通に韓流アイドルの話ができるまで成長している。 そして私も娘によって父として成長させてもらった。 娘のおかげで父、または親になったと実感する。 先日、娘の卒園式の予行練習があった。 娘は前日から緊張を隠せない様子だった。 娘の先生はしっかりしていて頼りになるが、ちょっと怖い。 娘は先生が満足するような
情緒不安定を国是とし、それを信念として生きている。まったく誇るべきことではない上に、人格として破綻しているので、なんの言い訳もできないが事実なので申し訳ないが許していただけると本当にありがたい。 二週間くらい前、私は体調があまり良くなく、それに伴い気分も落ちていた。健全な肉体に健全な精神は宿るのだ。 健肉健精である。 元気があればなんでもできるとはよく言ったもので、アントキの猪木である。 人生はあなたが思うほど悪くない。早く元気出して、あの笑顔を見せてほしい。それはまりや
子どもの頃は辛いことが多かった。 私は不器用でどんくさい子どもだったので、学校であまりいいことがなかった。 できないことがたくさんあって自己肯定感が下がる場面が多かった。 そして子どもとは残酷なものでそのような、できない子どものことをあげつらったり、からかったりする。 私もずいぶん、クラスメイトからバカにされて嫌な思いをした。 私が鉄棒ができない様子を真似されたり、私が描いた自画像が下手すぎてタコみたいと言われたり、リコーダーのテストでコソコソ笑われたりとかそんな経験をた
この歳になるとなかなか初体験ということはしなくなる。 もちろんこれまでの人生で、やったことがないことはたくさんある。 ラクダに乗ったり、ドリアンを食べたり、インディードに登録したり、アスクルで名刺を作ったり、社内のクラウドを整備したりとまだやったことがないことが少し考えただけでもたくさん思い付く。 一般的に歳を取ると人は保守的になり、なかなか若い頃のように思い切って新しいことをはじめなくなるのではないのかなと私は考えている。 そんな中で私は、先日、久しぶりの初体験をし
見えない敵と戦う。それは辛いことである。 目の前に明らかに敵と分かる相手がいれば、その出方によって戦う方法も考えられる。 正々堂々と真正面から勝負を挑まれるならば、相手にならなくはないという覚悟はもっているつもりだ。 ちょっと強そうな人だったら、全力で逃げるかもしれないが、目の前に相手がいれば逃げるか逃げないかという判断も自分でできる。 敵が目に見えていれば対策の取りようがあるのだ。 ただ、いくさの相手が見えない場合は様相が変わってくる。 明らかに敵はいるのだが、表
私は楽な方に流されやすい性格である。 大河に落ちた一葉の枯葉くらい流されやすい。 楽しんごという名前を見て、はっとするくらい楽が好きである。ドドスコしてしまうくらい楽な方向へ行きがちだ。 そして今週も流された。楽な方へと。 川の流れのようにおだやかにこの身を任せてしまったのである。楽な方へと。 どういうことかというと、今週、私はゲームを始めてしまった。 そもそも私はゲームが大好きで小学生の頃から、ゲームが友達というような生活を送っていた。 大人になってからもプレーステ
娘が産まれてきてから涙もろくなったなと思う。娘が産まれる以前は感動することや悲しいことがあっても涙ぐむということはまずなかった。 すごく小さい頃はもちろん頻繁に泣いていたのだろうが、私の記憶にある、私が大泣きした経験は小3の時に友達と喧嘩をした時くらいだ。 それが娘が産まれてから大きく変わった。 娘の成長を感じる機会があると、すぐに涙腺が緩む。 それが顕著に現れるのが保育園の行事だ。 発表会や運動会はほんとうにやばい。 油断をしているとすぐに泣いてしまう。 娘は
私は日々、目立たず、慎ましやかな人生を送っている。 昼間は与えられた仕事を無難にこなし、夜は子どもたち(6歳娘、4歳息子)の世話を見る。 そんな普通な人生を私は送っている。私は普通が好きだし、普通を維持することは普通に難しいことだと思っているので、それだけで満足している部分はある。 しかしどこかで突き抜けたいという気持ちをもっているということも事実である。 ちょっと世代からずれるが夜の校舎窓ガラス壊してまわりたい気分になることがあるのだ。 盗んだバイクで走りだしてはい
私は三重県出身の自称関西人であるが、関西には全く詳しくない。18で上京して、関東で暮らす年月の方が長くなっているので、関西のことより東京近辺のことの方がよほど詳しくなっている。 ただ、やはり出身地に近い場所には興味があるのだ。 そういった中で私は、大阪の新今宮の再開発に数年前から興味をもっていた。 大阪のことは詳しくないが、新今宮周辺は労働者の街であり、あの有名な通天閣があるということはなんとなく知っている。 そして二度付け禁止の串カツ屋さんもたくさんあるらしい。 私が
2024年1月1日 私の実家(三重)に行くために、東京駅から新幹線に乗った。 新幹線に乗る時の楽しみといえば、なんと言っても車内で駅弁を食べることである。 デパートなどでわざわざ駅弁フェアをやるくらい、世の中の人は駅弁に心をときめかせる。 駅弁の中には食べ物だけでなく、旅情や夢が詰まっていると言っても過言ではないだろう。 私、妻、娘(6歳)、息子(4歳)は駅弁を吟味するために、乗るべき新幹線の発車時刻よりだいぶ前に東京駅に到着した。 東京駅は人でごった返していたが