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泣いてもいいですか

娘が産まれてきてから涙もろくなったなと思う。娘が産まれる以前は感動することや悲しいことがあっても涙ぐむということはまずなかった。

すごく小さい頃はもちろん頻繁に泣いていたのだろうが、私の記憶にある、私が大泣きした経験は小3の時に友達と喧嘩をした時くらいだ。

それが娘が産まれてから大きく変わった。

娘の成長を感じる機会があると、すぐに涙腺が緩む。

それが顕著に現れるのが保育園の行事だ。

発表会や運動会はほんとうにやばい。

油断をしているとすぐに泣いてしまう。

娘は今6歳で、年長組の学年である。
先日、保育園最後の発表会があった。

美女と野獣の劇だったのだが、そこでポット婦人として立派に役割を果たす娘を見て、涙が堪えられなかった。

0歳の時から保育園に行って、ここまでよく頑張ってきてくれたし、大きく成長したなと感動である。

保育園に入った時はまだ歩くことすらできなかった。

それが今ではたくさんのセリフを覚えて、みんなの前で大きな声で言うことができている。

子どもの成長ってすごい。

これを書いている今も、発表会のことを思い出すとうるっときてしまう。

私は発表会のビデオ撮影係だったのだが、娘の活躍に感激するあまり撮影が疎かになってしまった。

撮れた映像を確認すると、ずっと画面が傾いていて、後からものすごく妻から怒られた。

ビデオがうまく撮影できなくなるくらい私は娘の行事には弱いのである。


娘の運動会の日は、恥ずかしいので絶対に泣かないと決めて出かけた。

泣かないでしっかりと娘の活躍を見届ける。娘が頑張るのに父親が泣いている場合ではないと強く心に誓ったのだ。

それはまるで一時的な別れに直面する男女のように。

「またすぐ会えるよね。私、今日は絶対に泣かないって決めてるんだ。お別れで涙なんて悲しすぎるでしょ。笑顔でたっちゃんのこと見送りたいよ。だって最後に会った私の顔が泣いていたなんて嫌でしょ?笑顔の私を覚えておいてね。タンザニアに行っても私のこと絶対忘れちゃだめなんだからね。私も毎日たっちゃんのこと考えてるからね。タンザニアも日本の空も繋がってる。離れてるように感じるけど、同じ空の下にいる。同じ空の下でたっちゃんを感じられる。わたしっ、わたしっ、やっぱりだめ。泣かないって決めたのに。わたし、わたし、ごめんね。もうだめ。ここでバイバイしよ。手紙書くね。絶対に返事かえしなさいよ!」

というくらい、私も娘の運動会で泣かないと決めていたのだ。

ただそれはもちろん、無理であり周りにいた娘の友達の保護者たちがひくくらい私は号泣した。

娘のことで涙してしまう場面は意外なところにもある。こんなところで涙する?というように自分でも驚く時がある。

つい先日の学校説明会がそれにあたる。
娘は来年小学校に入学するので、学校説明会に行ってきた。

親のみが参加する会である。
校長先生が学校の歴史を語ったり、学年主任が新一年生の持ち物について説明したり、生活指導の先生が学校の決まりを教えてくれたりした。

普通に考えれば感動のしどころのない会である。

実際に周りの保護者たちは会が終わったあと「長かったねー」とか「寒かったし疲れたー」などと話し合っていた。

一般的に言えばそれほど面白い話ではなかった。しかし私はそんな話を聞いているうちに、涙が込み上げてきた。自分でもおかしいと思ったが、感極まってきてしまったのである。

それはなぜかというと、つい最近まであんなに小さかった娘がもう小学校入学かと感慨深かったからだ。

2歳くらいまでのころは、外に出ると歩こうとせず、ずっと私が抱っこしていた。警戒心が強く親以外には懐かなかった娘。
娘はちょっとでも私の姿が見えなくなると「パパーパパー」と探しにきていた。

そんな娘もいつの間にか大きくなり、いよいよ小学生だと思うと、場違いではあるが目頭が熱くなってしまった。

こんなところで感傷に浸っていては、一か月後の卒園式が思いやられる。

私はどれくらい号泣するのだろうか。どの保護者よりも激しく泣くことは間違いない。迷惑だけはかけないように泣こうと思っている。

さらにまだちょっと先だが、娘の結婚式ではいったい私はどうなってしまうのだろうかと思う。おかしくなってしまわないといいが、自信がない。

と、娘の結婚式のことを少し想像しただけで、すでに涙で前が見えていないので、これ以上今日はもう書けない。

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