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カレーをはじめて意識的に食べた時の思い出

カレーが好きである。
カレーが嫌いな人なんてこの世の中にいるだろうか、と書いたところで私の妹はカレーが大嫌いだったことを思い出した。

あっという間に書きたい内容に反する事実が確認されてしまったが、カレーが嫌いな人が少ないという前提で話を進める。

とにかく物心ついたころにはカレーが大好物であった。どの年齢段階で好きになったか定かではないが、少なくとも私の意識の中では人生でカレー好きでなかった瞬間がない。


そんなカレー好きの私が「カレーを食べた」と強烈に覚えている体験がある。
あれは小学校低学年の頃だった。

父親が仕事の関係で仲良くなった、インドの人の家にお呼ばれしてカレーをご馳走になった時のことである。

きっと父親は仕事の合間の雑談で「うちの息子ときたらカレーばかり食べているんだ」などとインドの人に話したのだと思う。

そしたらインドの人が「それなら本物のカレーを御子息にご馳走するよ」というようなことを言ってくれたのだと予想される。

とにかく父から「おまえのためにインドの人がカレーを用意してくれるから行くぞ」と変に恩をきせられつつカレーを食べに行くことが決まった。

小学校低学年の私は小躍りせんばかりに喜んだ。
今ではカレー以外にも美味しいものがあるのが分かっている。

しかし、当時は「カレーかそれ以外か」というローランド的思考だったので、本場のカレーを食べられるのが嬉しかったのである。

当日はラルフローレンかバーバリーか何か忘れたが、とにかく一張羅を着せられて、カレーをこぼして汚さないことを母から厳命されつつインドの人の家に向かった。

そしてインドの人と父で「ようこそ我が家へ」「本日はお招きいただき…」というようなやりとりを経たあと、ついに待望のカレータイムとなった。

豆のカレー、野菜のカレー、鶏肉のカレーなど数種類のカレーが食卓に並んでいた。

私は最初に豆のカレーをナンにつけて食べてみた。

ものすごく辛い。脳から「もうこれ以上食べてはいけない」と明確にメッセージがきている。

インドの人が「豆のカレーはとびきり辛いよ」とのことだったので他のカレーも試してみた。

しかしどのカレーも、等しく、均等に、一様に辛いのである。

こうして舌が痺れた私はインドの人が口直しに用意してくれた、カステラを大量に食べることになったのである。

カステラの甘さで中和しなければ、とてもじゃないが口の中のヒリヒリが取れないのだ。

インドの人からすればカレー好きの少年が来ると聞いていたのに、ひたすら甘いものを貪り食べる少年を招いてしまったことになった。

カレーが嫌いで人見知りが強く、警戒心に溢れる妹は母に抱っこされて、現実逃避を理由としてであろうがずっと寝ていた。

インドの人サイドも我が家サイドも「こんなはずではなかった」という気持ちを胸に抱き、「日本人のカレー好き少年を招く会」は静かに終了した。

カレーではなくカステラの粉で汚した、ラルフローレンだかバーバリーだか忘れた一張羅を着つつ、口数少なく帰路についたことを覚えている。

インドカレー原体験には後日談もある。

それはお土産として大量のカレー粉をもらったことである。
インドの人が上手に使えばきっととてもいい物だったのだと思う。

しかし、母はこのカレー粉をうまく使うレシピをインドの人から聞いていなかった。

だから母は有効な利用方法が分からずに、日本のカレーを作る手順で日本のカレールーの代わりにこのカレー粉を使ったのである。

結果としてかなり水っぽい、カレースープのような何かが出来上がったのである。

律儀な母はカレー粉がなくなるまで、このカレースープのような何かを生産し続けた。

だからしばらく「今日はカレーだよ」という母の声にまったくときめかなくなってしまった。


その後の人生では、私ははじめての海外旅行はインドに行ったり、近所のインドカレー屋に通い詰めたりするなどかなりのインドカレー好きになっている。

しかし、私のインドカレー原体験はなかなか苦い、いや辛いものになった。

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