ぼくのなつやすみと私の夏休み
大学生の頃、学校に行けなくなった期間がある。人間関係のトラブルというどこにでもある、どうでもいい理由であったが当時の私としては大きく悩み授業にでない日が続いた。
昼間は何もすることがなかったので、ゲームをしていた。PlayStationの「ぼくのなつやすみ」を朝からずっとしていた。
私は、ゲームの中の「ぼく」になって虫取りをしたり魚釣りをしたりしていた。小さい頃していたことの追体験ができるような郷愁あふれる、とても面白いゲームであった。
当時の私は、うまくいかない現実に対して、子どもがえりをおこしていたのかなと思う。ゲームを通してその子どもがえりした気持ちを満たしていたのかなと思う。
逆に言えば、大学生が現実の世界で子どもがえりをすることは許されないが、「ぼくのなつやすみ」はそれを許してくれる仮想現実だったのである。
「ぼくのなつやすみ」では夏休み中、田舎の親戚に「ぼく」は預けられる。そして8月31日に自宅に戻るところでゲームはエンディングを迎える。
しかしゲーム内にバグがあり、とある操作をすると8月32日を迎えて、「ぼく」以外の人が消えるという現象が起こることが分かったのである。
大学に行っていなかった当時の私は、8月32日の「ぼく」のように、まさしく終わらない夏休みを過ごしていて誰とも会わない日々を過ごしていた。
誰からも取り残されたような、32日、33日、34日と永遠に続くような夏休みを一人で過ごしていた。
そんな中でも「ぼくのなつやすみ」をして、子ども時代を追体験することで、なんとか精神的なバランスを保っていたように思う。
あの時期にはひたすらゲームをすることが自分には必要だったのかな、と大人になってからは思う。
大学の先生からの助けがあり、復学することを決めたところで私の永遠に続くかと思われた夏休みは終わった。留年したが無事に卒業することができた。
あれ以来、8月はちゃんと31日で終わる人生を送ることができている。でも8月が終わらないかと思ったあの一年のことは絶対に忘れない。
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