自己実現だとか自律型キャリアだとか

我が組織では、自律型キャリア形成との謳い文句でいくつかこれまでの昇進制度を変化させようという動きが見られます。そのために、いくつかのポストを社内での応募制にしてジョブ型への転換を図ろうという動きのようです。これは一見社員を自主性を促す取り組みに思えます。また、仕事を通して自己実現を達成できるような組織へ、みたいなことを喧伝したりしています。

しかし、一方で組織としての想像力は失われていっているように思います。これはなぜでしょうか。

これは、多様性に対する間違った理解と、間違った多様性の尊重がもたらす対話の損失、および主義(プリンシプル)の欠損による組織と個人の接続性の欠乏、という点に起因するのではないか、と考えています。

今般、持続可能性の重要性が指摘されるとともに、それを下支えするものとして多様性の尊重が強調されてきました。個性を重視され、多様性を過度に尊重されてきたがために、「違ってもいい」ということを「違っているのがいい」ひいては「踏み込まれたくない」、「否定されたくない」というように多様性の尊重を他人との相互関係からの逃避として利用してきたように思います。本来、多様性を尊重する意義というのは、価値判断を保留する辛抱強さを持つことにより、一人で考えるよりも深くそしてより先に我々を運んでゆく、というメリットをもたらすはずでした。多様性を尊重するがために対話が減少するということを意図していなかったのではないかと思います。

このように、間違った理解のまま多様性を尊重しすぎるがあまり、個々人間のつながりは薄らいでいき、より孤立を生む、という結果になりました。これが、ある面では必要以上にSNS等でバーチャルなつながりを渇望するという衝動に、他方で実世界でのコミュニケーションは遮断する、という反応を生んでしまった気がします。バーチャルでのつながりは、表面上の固定観念が同じもの同士が繋がるツールとなり、自己肯定感が育まれていきます。そして実社会には自分をわかる人はいない、というような極端な思考にもなるかもしれません。

このような傾向が継続した結果、社会、あるいは会社組織の雰囲気としては、言い争いを避ける、議論しない、かまわないでほしい、というように各プレーヤーのフィールドが細分化されていきます。各担当者は自分の持ち場でだけ、自分の与えられた仕事を最低限行ったり、組織を変えることなく自分の自己満足感を上げるような作業に没頭したりします。例えば、部下をマウンティングするためだけの細かい文言の修正を揚げ足取りのように行ったり、少し調べてたらわかるようなことをイノベーティブだといって仕事をしたりする人が生まれます。
当然ながら、組織で仕事をする、ということの意義と価値は、一人では成し遂げられないことを大人数で成し遂げるということですから、このような現象は組織としてのアウトプットに負の影響をもたらします。同時にこのようなくだらない人は組織の雰囲気察知には敏感な人が多いので、上司や人事にアピールするように自身のマウンティングアウトプットをアピールし、評価され、出世してしまいます。つまり、このような仕事の仕方が正解になっていきます。

では、どうすればいいのか。それが主義=プリンシプルなのだと思います。この学校のひとって面白いよね、この会社ってこういう感じだよね、という外から感じられるものがプリンシプルの存在と近いと思います。逆に言えば、この外から見える雰囲気を変えることができれば、それはプリンシプルを変えることができた、と言えるのではないでしょうか。だから、イノベーティブな会社の社員さんはやはり溌剌としているのでしょうし、イノベーティブだと言いながら日夜くだらない作業漬けになっている会社の社員さんの顔はどこか浮かないのではないでしょうか。
このプリンシプルはどのように生まれ、どう変化させればいいのか。それが対話であり、多様性なのだと思いますし、それを統率する役割をもつ軸なるものをはっきりさせる、ということなのではないでしょうか。世の中の役に立ちたいなら、役に立つ仕事ができるような環境を整える、それは何か議論する、あわいを見つける。そういった一つ一つの営みが軸になり、雰囲気になるのだろうと思っています。

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