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【第1回〜その時の私〜】ネット記事を読まなくなった3つの理由

人間誰しも人からの見られ方は多様である。それと同じくらい、過去の自身の積み重ねが現在に与える影響は計り知れない。
そのような前提をもとに、過去の掲載しなかった自身の書き溜め
(ハキダメ!?)を掲載していきたい。
そんなシリーズ第1回目の文章は2014年1月9日に書いた文章です。

過去の私が教えてくれることがあるかもしれない。

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こんばんは今回はちょっと真面目に、しかもそれらしく記事を書いていこうと思います。

私は今年のクリスマスあたりから意識してGunosyというアプリとハフィントンポスト、さらにはBLOGOSServiceを用いてニュースの情報収集を行ってまいりました。
その数平均30本以上。さらに自ら購読している東京新聞も合わせると50本近くの記事を読んでいたこととなります。

(目が疲れました笑)

それを10日ほど続けてきた結果考えたことを少しまとめてみようと思います。


1.情報量の多さが原因で消化すること自体が目的化されてしまう。

特に何本読もうと決めたわけではないし、gunosyに関していえば興味のある分野を設定し予め取捨選択できるのだが、それでもタイトルに惹かれて記事を読もうとしてします。
そうすると時期に本来の目的を見失ってしまうのです。
本来の目的とは何でしょうか。自分の関心のある該当分野に対する新しいニュースを得ること。新しい見地を知ることであります。
記事を読むことが主体となって読み終わろう読み終わろうという気持ちになってしまいました。自分の行動に対して常日頃から企画書を作り上げるような気持ちで目的や理由を考えていかなければならないのでしょうね。


2.情報の取捨選択が可能で同じような考え方の記事やBlogばかり読んでしまう。
前項でも述べているが、興味の範囲をある程度設定できるサービスや、その記事のリンクに飛ぶ前に自分の脳という最大のフィルターを通す必要があります。故に、自分が「そうだそうだ!」と思いそうな内容が予測されるタイトルの記事のリンクに飛んでしまいます。その事自体が悪いことではないのかもしれないですが、傷の舐め合いというのかそういったもので満足してはいけないと思うのですよね。
考え方として、新しいものを吸収できなくなってしまうきっかけになってしまいます。


3.無料で換える情報に頼ってばかりでは安い知識しか得られない。

最後の理由です。「安かろう悪かろう」という言葉がありますよね。無料で得られる情報は無料で得られるものでしかないと思うのですよね。ただにはただなりの理由があって、然るべき価値でしかその情報は認識されていないから、その値段なのかなと思っています。 
無償でやること、利益を考えない。という姿勢は大事ではあると思います。しかし、現代の評価基準であるお金である程度評価されないものというものに傾ける時間はもったいないものであると考えております。

以上の3つの通りの理由で私はネットの記事等を日常的に読むことを止めております。
確かにネット記事等を読んで今の考え方が大きく変わった文章もあります。ただ自分の時間は自分でコントロールはしていきたいものですね。
それではまた。


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