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EMI Legacyについて

東芝EMIの隠れた名盤のアナログ再発の監修をしてくれないかと古巣のユニバーサル・ミュージックからありがたい事に依頼されて,
7月頃から色々動いていたのですが11月29日無事に5タイトルが発売になりました。

発売に至るまでの経緯などを書いてみたいと思います

内容はこちらをご覧ください

https://tower.jp/article/feature_item/2023/08/11/0707

音源はこちら

僕は学生の頃から中古レコード店通いが趣味でした。今は無きハンター(テレビ・スポットがあったんです)当時からあるディスク・ユニオン(渋谷の公園通りと原宿ラフォーレにもありました)など通って色々ディグしたものです。

そして今でも時間があればレコ屋に行き、新入荷は何かないかと探し、初めての町に行けば「近所のレコード店」で検索して店を探します(赤羽で検索したらタイのレコード専門(雑貨も売ってますが)店があって驚きました)

僕のディレクターの最初のヒットは1985年日本のカルト・バンドの元祖、ジャックスのベスト盤の再発なんです。
当時ジャックスはニューウェイブの文脈で再評価されて中古盤は高騰していました。
僕は図書館にあったのを友人が借りてきて、それをダビングしたカセットで聞いていました。
企画を出した時に社内では、彼らの事を知る人も少なく、再評価の状況も知られていませんでした。
そしてベスト盤をリリースした所、50位以内(オリコンの左ページというやつですね)に入って当時の制作部長の石坂敬一さんに高級中華を奢ってもらいました。

それで気を良くした僕はCDの時代に入った事を良いことにマニアックな作品をどんどん再発CD化して一人ほくそ笑んでいたものです。

当時人気絶頂のTMネットワークの3人が在籍したSPEEDWAYというバンドが2枚アルバムを東芝EMIの残しており、なぜがTMのキャリアからは抹消されていました。このベスト盤を編集した所、かなり売れた記憶があります(なぜかサブスクで聴けるので興味のある方は聞いてみてください)

当時、サンディー&ザ・サンセッツを担当していたのですが、久保田麻琴さんがカッティングに拘って作業は深夜。新人ディレクターの僕はカッティングという作業の意味そのものが良く分かっておらず真琴さんに「レコーディングとミックスとカッティングは音質を決める作業としては同じ重要性がある」と言われたのを今も覚えています。

大瀧詠一さんがカッティングのノウハウがまだない70年台にレベルを突っ込みすぎてカッテイング・マシンに煙を吹かせたというのは有名な話ですが
薬師丸ひろ子のカッテイングが当時、東芝EMIの御殿場工場(当時はなんと5台のカッティング・マシンがあったそうです)で行い、プロデューサーの大瀧詠一さんが立ち合い、やっと終了したのに帰る途中でやっぱりもう一回やると引き返したなんていうエピソードも聞きました。

そして日本のアナログ・レコードは1990年にはメジャーからはリリースされなくなります。
なので僕がアナログのカッティング作業を知っているディレクターの最後の世代なんです。

以前にも書いた事なので省略しますがとあるきっかけで2007年(早いでしょ)アナログ・レコードの魅力を再発見してまたレコードを集め始め、まだ社内一人だけ残っていたカッテイングを知るエンジニアに色々取材して知識を深めていきました。

同じアルバムの国違い、年代違い、フォーマット違い、さらに禁断のテスト・プレスまでを買い集め、そのサウンドの違いを検証しました。ドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」とロキシー・ミュージックの「アバロン」ビートルズの「アビーロード」は10枚くらいあったと思います。

そして2015年頃からアナログ・ブームが起こって来ました。2016年にフィロソフィーのダンスのアナログを出そうと思い27年ぶりにカッティングに立ち会いました。
その後フィロソフィーのダンスはシングル10枚!!アルバム2枚をリリースしアナログ・レコードの制作のノウハウはかなり蓄えられました。

つまりレコード・マニアであり、当時のカッテイングも知っていて、尚且つ現行のカッテイングの知見もある人間は、多分業界僕くらいだと思います。

その僕がセレクトして、音質も監修したのですから、これは自身を持ってお勧めしたいと思います。

宜しくお願いいたします。

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