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1日も早く洋画が見たかった母の無茶ぶりを振り返る

4歳にして映画館での字幕版洋画鑑賞

母は洋画が大好きだった。たぶん、母は兄と私を産んで以降、1日でも早く映画館に行きたかったに違いない。それを証明するように、私が劇場で洋画を見た記憶は、1965年、4歳から始まる。その映画は「サウンド・オブ・ミュージック」。当時、劇場公開時に吹き替え版は無かったので、字幕版での鑑賞だ。

横長の大きなスクリーンいっぱいに広がる緑。その上にいる小さな人物がだんだん大きくなって「サウンド・オブ・ミュージック」を歌い出す冒頭のシーン、カーテンで作った遊び着を着て「ドレミの歌」を歌いながらはしゃぐシーンなどなど、たくさんの心躍るシーンが私を楽しませてくれた。特に好きだったのは、一番上のお姉さんが恋人とガゼボで「もうすぐ17才」を歌いながら躍るシーン。どんどん速くなるテンポと共に縦横無尽に動き回るダンスがすごく小気味よくて、その後、サントラで「もうすぐ17才」をかけては、何度も、あのシーンを思い出していた。

しかし、「さようなら、ごきげんよう」に合わせてひとりずつ欠けていくコンクールのシーンで、私の記憶はフェードアウトする。気が付いたら、小さな子供を背負ったお父さんや子供たちが山を登っていた。そう。歌うことのない亡命シーンは理解出来ずに寝てしまったのだ。無理もない、英語もわからず、字幕も読めないのだから。

ちなみに何故4歳で母が私を洋画に連れ出したのかというと、たぶん、2つ上の兄が小学生になったからだと思う。とかく我が家は兄基準で物事が決められることが多かった。「東映まんがまつり」というお子様向け映画興行も、小学校4年の時に「おにいちゃんが小学校を卒業するからこれが最後ね」と耳打ちされたのを覚えている。

7歳にして「2001年宇宙の旅」を体験

4歳の字幕版洋画鑑賞はなかなかのものと思うが、更にすごいなと思うのが7歳での「2001年宇宙の旅」鑑賞。あの難解と言われる映画を小学校1年生で体験している。もちろん、字幕版だ。子供ならつまらなくて寝てしまうのでは?と思われるだろうが、意外なことにちゃんと最初から最後までしっかり見ている。面白かったのだ。

「ツァラトストラはかく語りき」の力強い音楽と共に真っ暗な画面から現れる強い光、「美しく青きドナウ」に合わせてくるくる踊る宇宙船。圧巻の映像と深く響くクラシック音楽との融合は、私を飽きさせることがなかった。お気に入りだったのは、ラストの白い部屋のシーン。真っ白な壁・天井、ほのかに光る白い床。大きなベッドにも椅子にもテーブルにも全く影がない幻想的な空間と無機質で凛とした空気感がとても好きだった。

そもそも英語もわからず字幕も読めない子供にとって、字幕版の洋画は抽象的な存在でしかない。難解と言われるこの作品は、見たこともない不思議な映像とそれを彩る音楽に満ち溢れている。言葉がなくても人々を魅了する高い芸術性があったからこそ、子供の私でも楽しめたのだと思う。

ただし、この映画が「2001年宇宙の旅」だと把握したのは、高校生の時だ。それまでずっと私は「猿の惑星」を見たと信じていた。ある時、母に「私って『猿の惑星』見たよね」と尋ねたら、「そんな気持ち悪いものは見ない」と返された。ええー、じゃあ、あの猿は何?といろいろ探った結果、たどり着いたのが「2001年宇宙の旅」だった。

大人になってからリバイバル上映があり、ひとりで映画館に出かけた。ああ、これこれ、この映像、この音楽。「2001年宇宙の旅」は再び私を魅了した。しばらくの間、リバイバル上映があるたび、私は映画館に足を運んだ。しかし、次第にリバイバル上映も減り、見る機会は無くなっていった。午前十時の映画祭で上映されることもあったが、小さなスクリーンで見る気は無かったので、「2001年宇宙の旅」は遠い過去の記憶となっていった。

2018年、「2001年宇宙の旅」制作50周年ということで、10月に2週間限定上映があると知った。久しぶりの大きなスクリーンでの上映である。9月に開催された地元・名古屋SFシンポジウムで大いに興味を持った夫が予約してくれた先は、大阪エキスポシティのIMAX。包み込むような大画面で見られることの嬉しさと共に、少し不安があった。いかんせん、50年前の作品。子どもの頃の感動作が、古臭い陳腐な印象に変わってしまったらどうしようと思ったのだ。しかし、それは杞憂だった。素晴らしかった。美しかった。

なぜ母が「2001年宇宙の旅」を選択したのかはわからない。そして彼女がこの作品をどう思ったのかもわからない。しかし、7歳にして出会ったこの作品は、その後の私の嗜好に大きく影響している。抽象的表現・白い部屋・不思議な映像・クラシック音楽。すべて私の心をわくわくさせるものだ。母に情操教育という概念は無かったが、「2001年宇宙の旅」に触れさせてくれたお陰で、培われた感性はある。

そしてその後

漢字が少し読めるようになった頃、上映中に「あの字、なんて読むの?」と聞いたことがある。母はひとこと「映画の時は黙ってらっしゃい」と言うと、映像の世界に心を奪われていった。私たちのことをよく考えてくれる愛情深い母だったが、こと洋画に関しては自分本位だった。しかし、やがて私も成長し、母と洋画の話題を楽しめるようになり、二人で映画館にもたびたび出かけた。

今、姪の子供が4歳なのだが、よくぞこの幼い子供を字幕版に連れて行く勇気があったものだと感心する。母の無茶ぶりによって、4歳から始まった私の洋画人生だが、そこからの積み重ねがあってこそ、今の楽しみと喜びがある。

休日には「サウンド・オブ・ミュージック」が大好きで「2001年宇宙の旅」の良さがわかる夫と二人で映画館に足を運び、見終わった後にあれこれ感想を述べあったり、情報交換しあったりして楽しんでいる。

劇場に行くだけではない。配信サービスを多数契約し、popIn Aladdinという照明一体型プロジェクターを使って、洋画や海外テレビドラマをスクリーンに投影し、毎日毎晩、鑑賞している。

毎年、アカデミー賞授賞式が楽しみで、開催される月曜日の午前中は、真剣に会社を休もうかと悩むほどだ。実際、1度会社を休んで、夫と一緒に生中継パブリックビューイングに参加したこともある。映画ファンと一緒に見るアカデミー賞授賞式は格別だった。2020年2月、コロナの恐怖がじわじわと伝わり始めた頃だ。その後、コロナの影響で一時は映画館も休業要請が入ったが、2023年3月の今、人が集う機会も制限が無くなりつつある。また、ぜひ、パブリックビューイングでアカデミー賞授賞式を映画ファンと一緒に鑑賞したいものだ。来年、開催されないかなぁ。

#映画にまつわる思い出


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