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読書というものについて。

本を読むということについて、私は会話という行為と近しいものに感じている。
恋愛小説を読めば、誰かと恋バナをしてる気分になるし、シリアスなものは真剣に友達の相談に乗っている気分になる。
軽いコメディであれば、読書中に話しかけられようが構わない。けれどもずっしりとした内容であれば「割り込むなよ」と思う。
そのように、読書をしている時の私の頭の中は会話中のそれと近しいものがある。

ただ違いがあるとすれば、言葉が鳴る所が喉でなく頭の中だということくらい。
人とひとたび喋り始めれば意外と会話が途切れず言葉が続くのと一緒で、本を読み始めると頭の中で自分の声がぐるぐると巡る。
本を通して、言葉の美しさに見惚れたり、共感に打ちひしがれたり、連想に連想を重ねて変な方向にいったり。
読んでいる間は何かを考えられずにはいられない。
紙とインクという非生物的なものを媒介して自分と向き合う時間がそこにはある。

人と喋り会話をすることは、社会において自分が存在していることを確かめる行為でもある。
自分と人との繋がりを確かめて、社会の一部であるのだなと、孤立しては無いんだなと実感する。

反対に読書をするとことは自分の輪郭をなぞって確かめる時間だ。本の内容から色んな思考が巡り、手繰り寄せて、あやふやな自分のピースを埋め、こんな形だったなと実感する。

普段は過剰な自意識を抱えつつもそれ自体はハッキリしていない。読書はそれを考え、自分の存在を確かめられる時間だと私は思う。
簡単にするなら「我思う、故に我あり」みたいな状態を作りやすい時間が読書の時間。


そんなことを思いながら、先日の受験ではずっと本を読んでいた。
行きの電車、待機時間、昼休憩、帰りの電車、エスカレーターでも。
本を読んだ後が一番落ち着ける気がする、自分があることが分かって、地に足がついて、ふわふわしなくて、頭が回る。
大好きな時間。余韻とはちょっとまた違う時間。

読んだ本の名前は「さんかく」
しじみの味噌汁みたいな本だった。
じんわりとあったかさが胃から広がって、
じゃりじゃりしないしじみと、朝早くにそれが出来てる事実。そんな丁寧さと気遣いにまた暖かくなる。
でも少し昨日の行いを間接的に、やんわりと咎められるような後ろめたさもありながら、
身体から毒素が抜けていく感じがして、またこれからに動き始める力をくれる。
まだお酒を飲める歳じゃないけど、そんな感じだろうな。
そんな本だった。
自分が長年考えてたことを問いとして刺してきて、答えはなあなあに終わっていった。けどなんかすっきりした感じもあった。
初めて本に挟まってるカードを書いて郵便局にいった。

明日からはまた世界史の一問一答にもどらなきゃいけない

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