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文学フリマ出店について

9月の文学フリマ大阪に出店すること

2023年、わたしがやり遂げたいことのトップであり、ここ最近の大きなチャレンジの一つ。

一応立場上、文学フリマに出店可能かどうかを管理職に確認すること、またどういった理由で参加を伝えるか、ということについて前に書きました。


結果からお伝えすると、残念ながら文学フリマ出店は叶わなくなりました。

公立の小学校の先生、という立場で利益が出る出ないに関わらず、教育研究以外の文章を書いて、自分で売るといった行為がだめだそうです。

まず管理職に伝えると、
「いいんじゃない?」
とやろうとしていることを面白がってくれるなかなかの好感触でして
「まあ、一応上にも聞いておくね。」
といった具合で、ほっと安堵していた中での連絡でした。

市の教育委員会で判断に迷い、都道府県の教育委員会まで上げてもらったらしいです。

市の教育委員会ならともかく、都道府県の教育委員会は1職員であるわたしのことなんて、認識していません。

例えどんなに熱意を訴えたところで「決まりだから」の一点張りでしょう。

わたしが納得がいかないと抗ったとて、お世話になっている管理職や市に迷惑をかけるわけにはいきません。

わたしは、都道府県に採用されている身なので、そこがだめと言うなら悔しいですが、従うしかないのです。


何故、文学フリマに出店したかったのか。


noteにエッセイを投稿し出してから、わたしは、ある一つの夢が出来ました。

夢、だなんて青臭い言葉、心にしまっていた想いを今日はつらつらと書いてみることにします、、!

長いです、多分。笑


文部科学省の#教師のバトンというハッシュタグをご存じでしょうか。

教員採用試験受験者の減少、なり手の減少、そういった客観的事実を考慮してか「先生という仕事の魅力をSNSで発信してもらおう」そういった趣旨でスタートした取り組みだったようです。

しかし、どうなったか。

人員不足による学校の立ち行かなさ、保護者からの理不尽な要求、残業代が出ないのに過労死ラインの残業、やってもやっても尽きない業務量、ぶちまけられたのは現役の先生の生の苦しみたち。

スタートしたのが2021年だったのに、今なおずっと2年以上使われ続けられているこのハッシュタグが、今の現状を示している、ともいえます。

このハッシュタグの内容を見たり、現状を知って、到底自分には出来そうにない、と教員採用試験を受けるのを辞めたり、合格を辞退したりする学生さんも多いと聞きます。

このハッシュタグ上に溢れる言葉は、到底他人事とは思えないことがたくさんありました。


また、心を病んで休職したり、退職していったりする先生も後を経ちません。実際にわたしの周りでも何人も見て来ました。

将来を背負っていく人材を育てる、そんな価値ある仕事の一つなのに(少なくともわたしはそう信じています)今こんなに教育現場は疲弊していて、なおかつ、「なりたい」と思える人が減っていく。

そして人員がマイナスになれば、今いる先生たちがその穴をカバーすべく働き、一層疲弊していく。


久々に友人と会ったとき、もしくは何気なく美容師さんに職業を聞かれたときにあがる声は「大変そう」。
「いい仕事ですね。」なんてまず言われない。
「先生」=「大変」その方程式は一般的に浸透しているように思われます。

AIの仕事が増えても、生身の人と人との関わりでしか、人は育たないのに。

子ども時代に、どんな大人に出会えるかで、大きくその子たちの未来は変わっていくかもしれないのに。

成り手が減ると、今度は教員免許のない人にも先生になってもらおうとする自治体も出始めました。

教育実習も行っていなくて、大学で専門知識もなにも習っていないのに?(数回の研修くらいはあるかもしれませんが)

そして、こんな状況なのに、政府からは根本的で具体的な解決策は、ほとんど降りて来ません。

わたしが選んだ職業は、そんなに国から軽んじられる職業なんだろうか。



すごくやるせなくなりました。

しがない、一先生であるわたしが出来ることはなんだろう。

わたしは学級担任を受け持ったときには、たくさんの学級通信を書き、日々の子どもたちの様子や言葉、そして担任の思いを伝えてきました。

伝えることで、子どもたちの一緒に成長をサポートしてくれるたくさんの保護者に出会えました。保護者の理解が子どもたちや学級の安定に繋がることもありました。

改めて気づいた、思っていることをちゃんと言葉にする大切さ。

でも届くのは、全ての保護者の方に伝えられたとしても一年に30〜40人と、限界があります。

そして全国には、様々な保護者の方がいます。

昔、先生から受けたひどい言動などが理由で、学校自体に不信感を持つ保護者の方もいるでしょう。
何を考えているんだろう、と我が子の担任のことをもっと知りたいと思っている保護者の方だっているかもしれません。

そして、我が子が元気で通っていてくれればそれでいいかな、と特に学校に関心のない保護者の方もいます。


そして、どこかで、子どもたちの現状や、今の教育現場をより良くしようと奮闘する先生もたくさんいます。

反対に、変わらない周りの環境に諦めて自分を守ることに徹する先生たちも。

教育免許を取得する予定なものの、なることに迷ってる学生の方もいるでしょう。

先生になって、10年弱。
たった、と呼べる歳月かもしれません。

わたしじゃなくて「隣のクラスの○○先生が良かった」と言われたこと。
わたしの言葉が子どもたちに全く響かなかったこと。
自身の未熟さをお家の方に叱られたこと。
同僚の先生と上手く関係を築けなかったこと。そしてもう全て投げ出して、終わりにしようと思ったこと。

わたしの人生の中の10年間より悔しい思いをしたし、悲しんだし、苦しみました。

でも、それでも目の前の子どもたちの出来なかったことが出来るようになっていくパワーや、集団として成長していく姿が、わたしの喜びや力になりました。

ああ、やっぱりわたし先生で良かったな、って。

先生はこんなことで悩んでいるのか。
こんな想いでこんな取り組みをしているのか。
こんな想いで目の前の子どもたちと関わっているのか。

知ることで、かける言葉や行動だって変わってくるかもしれない。

誰かの本気の言葉は、誰かの気づきをもたらしたり、人を後押しする、勇気づけたりするかもしれない。


そして、わたしは先生をしているけれど、先生という職業だけがわたしの全てじゃないんです。

先生だって誰かに大切に思われている1人の人間。
そう心から思ってもらえると、一部の人から心ない言葉をぶつけられることも減るのかもしれない。

いろんな場所に出かけて、様々な経験をして、たくさんの本を読んで、教育以外のことだって、もっと学びたい。

多くのことを感じて考えた結果、器の大きくて、豊かな人間になっていくんじゃないか。

結果としてそれが、いい先生、子どもたちから魅力的な大人に映るんじゃないか。


もしわたしが書くことで、誰かに何か伝わるのならば。

もしほんのちょっぴりでも、わたしの言葉が、誰かの気づきや後押し、勇気や優しさに変わるのならば。

もしそれらが誰かの行動に変わっていき、めぐり巡って子どもたちの幸せに還元されるのならば。


普段noteで読んでいただける方以外にも、読んでもらえる良い機会だった文学フリマ出店。
その一つの夢が絶たれてしまったことは、結構がっかりきたのが正直なところでした。

だけど、わたしはこれからもめげずに書き続けたいなあ、と思っています。

文学フリマ出店は無理でも、続けていれば、いつかもっと、たくさんの人に読んでもらえる日が来るかもしれない!

食べるの好き〜
楽しいこと好き〜
面倒くさいことはきらい〜
なゆるゆる人間なわたしだけど、数日間に渡ってこれを書いているうちに、何度も泣きそうになってしまいました。

もしかすると自分は、意外と熱い人間なのかもしれない。笑


ここまで長〜い自分語りにも関わらず最後まで読んでいただけた方々、
いつも「スキ」を押していだいてる方々、大好きです!

やっほい!!

どこかで撮った かわゆいヤギ'S


#決意表明 、かもしれない
#先生 #文学フリマ





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