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尊敬できる唯一の人

どれくらい、生きているうちに尊敬できる人と出会えるものなのだろうか。

先日、よくお世話になっていた先輩が転勤することになった。
転勤先は遠くなく、簡単に会える距離にいる。それでも、一緒に仕事をすることがなくなるのかと思うと少し寂しさはある。
気の合う人と仕事ができるというのは、意外と大切なことだ。
会社の環境や福利厚生、給料面も大切だが働く上で、人間関係が最も重要だと僕は考えている。
仕事に対するモチベーションや次につながるキッカケが作りやすいからだ。

先輩とは入社当初から同じチームで働き、別のチームになってからも、よく気にかけてもらっていた。
当時、人見知りで会話もままならない僕は、思うように仕事ができずにいた。そのため、よく叱られて精神的に参り、退職を考えていた時期がある。
そんな時に、話をよく聞いてもらい、励ましや仕事を上手くやる方法など、精神的に介抱してもらっていた。

仕事だけではなく、プライベートでもかなりお世話になり、他人との距離感や物事の捉え方、全く興味のなかったバイクの免許を取得しのも先輩の影響だ。

人生を教わったと言っても過言でないほど、心の中に先輩の生き様がある。

僕の人生に変化をくれた人だ。

25という若いうちに、そんな素敵な人と出会えたことは幸せなことだと思う。
素敵な人や環境に身を置いていても、中には本気で尊敬できる人とまだ出会えていなという人は、割りと多くいるのかもしれない。
そんな中で、若いうちに尊敬できる人が身近にいたことを誇りに思う。

そして、同じように誰かに何かを与えられる人になりたいと思うようにもなった。

1つ心残りがある。
尊敬している気持ちをその先輩に伝えなかったことだ。いつでも会える距離だから、一生の別れではないからという気持ちがあったからだろう。
以前記事にした、照れながら友人に対してぼくが「唯一の友人で、大切に思ってる」と言った本音ように、先輩に対しても本心を伝えるべきだった。

伝えたいこと、伝えるべきことは照れながらでも伝える。
そんな、自分の中で大切にしていたことをしなかった。

以前、想いを伝えたときの友人の顔は、今でも覚えている。
喜んでいたのかはわからないけれど、アニメでありそうな台詞だと笑ってくれた。
そんな、大切な人の記憶に残ることを迷惑をかけない(自分よがりでない)程度にやっていきたい。

自分でも何言ってんだと、後から羞恥心は込み上がってくる。
それでも、言って良かったという味を知っている。
ちょっとした代償だ。

先輩がしてくれたように、誰かに寄り添える人でありたい。
今度は、与える側になれたらと思う。




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