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かえるかえないかわるかわらない

先日、ある地方自治体の職員の方と話す機会があった。
民間から転職されている方で、非常に視点が鋭い。

『変わることにアレルギーがある』

そう、ご自身が身を置いている組織についてお話しされた。


変革の時代と言われる。
今まで通りではいけないと言われる
でも、それは今に始まった事ではない。
30年ほど前、安打数の年間記録を打ち立てたイチローさん
日産のCMで
『かわらなきゃも、かわらなきゃ』
そう言っていた。

変わらなきゃ
その考え自体はずっとある。
進化論でも語られるが、
生き残るものとは、強いものではない。
変化できるものが生き残る
そんなことは誰もが分かっている。
でも、変われないのは何故なんだろう。


私はかつて、アメリカに住んでいた。
ある時、ワシントンDCに行き、地下鉄に乗ろうとした時、あまりに電車が来ない事に仰天したことがある。
電光掲示板の、
【前の駅発車したよ】
と通常なら表示される場所に、
【next unknown】
と言うような表示が平気で出る。

先日電車に乗ったら、
【乗務員への暴力行為は犯罪です】
そんな表示を見つけた。
当たり前のことである。
日本の電車が時間に正確であるが故、
1分たりとも遅れない事が当たり前であるが故、
それをベースとして我々は予定を組む。
だから、遅延したときに、
「どうしてくれるんだ!!」
と駅員さんに激高してしまう。
そんな行為が何にもならない事をわかってるのに。


以前、こんなnoteを書いた

電車は時刻表通りに来て、
電気はスイッチを入れたら使える
そんな当たり前の裏には、誰かの途方もない努力がある。

その【当たり前】を土台として、
【当たり前】の上に物事を積み上げていくと、
必然、【当たり前】が崩れた時、
全てが崩れ去る。
それは、言い換えれば、
『活動のバッファ(幅)が狭い』


PDCAと言う考え方がある。

このPDCA、とにかく時間と手間がかかる。

計画を立て、
トライアルを行い、
検証して、
実行に移す

変化させるためにはPDCAが必要で、
そのPDCAを行うのには時間と手間がかかる

なら、変わらない方が楽だ。
そうなるのは自然だと思う。

つまり、活動のバッファが狭いために、ミスが許されず、変化させるためには時間と手間がかかる
その為、
変えない方が楽じゃん、
それが共通認識になってしまう。

それでは、変化を促すにはどうしたらいいのか。

逆を行けばいい。
失敗を次への成功の糧だと許容し、
変化した方が楽

それが共通認識になればいい。

ゲームがそれである。


私が幼いころ、ゲームとは、本体にカセットやディスクをセットして遊ぶものだった。
この状態では、メーカーは出荷したら終わりである。
出荷後には、もう何が起ころうが手の施しようがない。
だから、当時のバグチェックには非常にコストがかかったと聞く。

今のゲームは違う。
バグがあればアップデートされ、
修正パッチが入る。
ネットワークの進化がそれを可能とした。

思うにPDCAとは、ゲームで言うソフト売り切りの時代の考え方ではないか
それが今は、売った後の方が大事な時代。

我々の活動に置き換えれば、
変化を実行する前にあれこれ時間と手間をかけるのではなく、
さっさと変化させて、出てきた問題点を都度修正していく
それくらいの幅があった方がうまくいく。

そして、変わることに理由を求めるのは良い
但し、変わらない事にも理由を求めるべきだ。

そうすれば、「だったら変えた方が楽」
そうなるのではと思う。


変えることが全てではない
改革が必ずしも良いわけではない
PDCAが必ずしも悪いわけではない

全てには、理由がいる。
かえるにも
かえないにも
かわるにも
かわらないにも



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