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『われら闇より天を見る』

クリス・ウィタカー著、鈴木恵訳『われら闇より天を見る』(WE BEGIN AT THE END)を読んだ。「このミス」を始めとする日本のミステリー賞3冠に輝く作品だ。

ストーリーを簡潔にまとめるのは正直難しい。海岸沿いの小さな街ケープ・ヘイブンの警察署長ウォーカーは30年ぶりに出所する幼い頃からの親友ヴィンセントを出迎える。ヴィンセントは15歳で恋人の妹を誤って車で跳ね殺し服役していたが、その最中に所内で別の囚人を殺し、合計30年の服役後の出所だった。

ヴィンセントの昔の恋人スターは自称「無法者」の娘ダッチェスと弟ロビンの二人の子を持つシングルマザーでクラブで歌って生計を立てている。ヴィンセントの出所後のある夜にスターは酷い暴力を受けた後、銃殺される。警察に通報したのはヴィンセントで駆けつけたウォーカーは血糊のついた姿のヴィンセントを目にする。

ウォーカーはヴィンセントが犯人ではないと信じているが、ヴィンセント自身は犯行を否認せず、何も語らない。死刑を避けられない状況が迫る中、ヴィンセントは民事弁護士のマーサに弁護を依頼する。マーサはウォーカーの昔の恋人であった。

この殺人事件の犯人は誰なのか?ウォーカーはヴィンセントの無実を信じ、弁護士マーサと協力して捜査を続け、ついには真実に辿り着く。

ミステリーとしては以上のようなことなのだが、この小説は被害者の娘、ダッチェスが主人公と思える。小説のかなりの部分がこのダッチェスの物語からなっている。幼いながら酒に溺れる母親と弟の面倒を見ながら何とか生活を維持していたのだが、母親が殺された後は、遠く離れた農場に暮らす祖父に引き取られる。また、祖父亡き後は養子先が見つかるまで、また別の家庭で世話になり、その家庭でトラブルを起こしては、ついに施設へと送られる。

ダッチェスがどうにもならない不運な状況の下、大切な弟を守ろうと必死になり、でも空回りして更に不運に見舞われていくのが、悲しく映る。ダッチェスと弟のロビンの悲惨な生活、周囲との軋轢や差し伸べられる親切など、小説のかなりの部分がこの二人を描いている。もちろんこの二人もミステリーの筋から無縁ではないのだが、ひとつの物語として成立している。

様々な登場人物にそれぞれの悲哀が描かれ(どうにもやるせない気にはなるが)、人物描写が緻密で説得性があるため、小説に厚みを与えている。そして最後まで読み終わると、想像すらできなかった結末に「やられた!」という思いを持たされた。そういう意味で、この作品はミステリーとして大いに成功していると言えると思う。

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