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助産師を3か月で辞めた


私は、助産師を3か月で辞めた。

高校2年の頃に本気で進路と向き合ったときから助産師になるまで、助産師になるためだけに前に進んできたから、辞めたと知った周りの人たちの中で驚かない人はいなかった。
けれど、自分にとっては想定内の結果であり、とても前向きな決断で、生きるための選択でしかなかった。
実際、転職して、今は自分に合った内容の仕事ができていて、自分に合った環境で働くことができている。と、感じている。
今の仕事になってから、それまでに比べて、精神的に安定している期間が圧倒的に増えたし、自分の未来を現実的かつ前向きに考えられることが増えた。
“自分に合った環境で生きるって本当に大切”と実感して、毎日毎日、転職してよかったと思いながら生きている。
こんな感じだから、転職するという自分の決断は一瞬も後悔したことがないどころか、色んな人に自慢しまくりたいくらい満足している。

(誤解を招くのが嫌なので、補足。
助産師という職業がしんどいと言っているわけではなく、ただ私には合わなかったというだけです。助産師はとても魅力的で、本当に素敵な職業で、今でも憧れです。もちろん大変なことはあります。でもそれはどんな仕事も同じ)


ただ。
時々、助産師として生きる道を辞めたことに対して、胸が苦しくなることがある。
助産学生時代のクラスメイトから直接やSNSを通して仕事での幸せなエピソードを聞いたときや、助産師としての素敵な未来についての悩みを聞いたとき。違う助産学校に進学した看護学生時代の友人が、助産師として頑張っている姿を知ったとき。
心の底から助産師の友人たちのことを応援しているし、本気で尊敬している。もうついていけなくなった助産師としての色んなエピソードを聞くのは本当におもしろくて楽しいし、頑張っている姿を知れるのは本当に嬉しい。
でも時々、そんな感情たちの隅から、自分に対するモヤモヤした感情が顔を出してきて、苦しくなる。
辞めたことに後悔はない。
今考えても、私には助産師という仕事は出来なかったと思う。
転職は最高の選択だったと本気で思う。
それでも、私の中には“助産師という仕事への想い”が自分が思ってる以上に強く残っているのだな、と気付かされる。
助産師という仕事への憧れや、尊敬がある。
理想の助産師像を思い描き、助産師としてのライフプランも何十年後まで本気で考えて、キラキラした未来を想像していた過去が、確実にある。
そしてこの過去を、私は、なんとなくなかったことにしようとしていたような気がする。

つい最近、助産学生時代の教科書などを実家に持って帰るために、整理してダンボールに詰めた。その中で、助産学生だった時の私が、就職する予定の病院に提出するために書いた「私の目指す助産師像」という小論文が出てきた。
その小論文を読んで、少し胸が苦しくなったと同時に、助産師としてのキラキラした未来を想像し計画していた過去の自分をどこかに残しておきたい、と思った。

だから、その小論文の文章そのままと、今のモヤモヤする、胸が苦しくなる素直な気持ちを、このnoteに記録として残しておこうと決めた。



《私の目指す助産師像》
   私は、豊富な知識と高度な技術と、常に相手を慮ることのできる人間性を身につけた助産師になりたいと考えている。また、常に貪欲に学習し続け、助産師としてのレベルを上げ続けていけるような人になりたいと考えている。
   近年、様々な場面で、自己決定や個人の権利が重要であるといわれ、主張される時代に変化してきており、出産に関しても、自然なお産や、医療者側ではなく妊婦が主体的となる「自分で産む」お産が望ましいという考えが広まっている。しかし、同時にハイリスク妊婦も増加傾向にあり、助産師としての役割は幅広く、より柔軟性を求められるようになっているのではないかと考える。また、知識や技術を身につけるだけでなく、身につけたものを必要な場面で活用できる、力を有効に発揮するための能力も必要になってくるのではないかと考えており、そのためには、常に学習し続ける意識を持った上で、経験を積み重ねていくことが大切であると考える。助産師になっても常にこの考えを大切にし、必要な力を身につけ、どのような場面でも適切に対応できる助産師になりたい。また、看護ケア・助産ケアを提供する者の人間性や関わり方は、相手の精神的な面に直接的な影響を与えるものであると同時に、実施するケアの質を左右する大きな要因となる。そのため、助産師は知識や技術だけのレベルが高いだけでは意味がなく、人間性のレベルの高さも重要になってくると考えている。私は、どのような場面であっても、どのような対象者に対しても、常に相手を慮ることのできる人を、人間性のレベルの高い人であると考えているため、そのような助産師になることを目指している。
   常に学習し続け様々な経験を積むことで、豊富な知識と高度な技術を身につけ、日々の生活の中から対人関係を意識し生活することでレベルの高い人間性を身につけることで、幅広い場面で活躍できる助産師になっていきたいと考えている。将来的には、分娩介助や病院での妊産褥婦へのケアだけでなく、生殖医療や若い世代への性教育、多様なセクシュアリティ、1か月健診以降の育児、社会的養護など、女性の一生に関わる職業としての役割を積極的に担っていく助産師になっていきたいと考えている。




私は、自分で助産師になる道を決め、助産師になった後、自分で転職する道を選んだ。
どの選択も、その選択に伴うどの感情も、過去の自分が経験した、確実に存在した事実。
そして、その過去に対して現れる、今の自分が経験する感情もまた、事実。
当たり前だけれど、それを事実と認識し100%受け入れることは、今の私には少し難しいのかもしれない。


モヤモヤしたり、苦しくなったり、過去をなかったことにしたくなったら、ここに戻ってこようと思う。そして、確実にあった事実と向き合い、心の底から受け入れられるようになりたい。
そして、今以上に、今の仕事を選び今の生活をしている自分の道に満足しながら生きていきたいと思っている。

そして、もし生まれ変わりがあるとするなら、助産師が天職!といえるくらい助産師に向いている人間になり、理想の助産師像を再現し、思い描いていたようなキラキラした助産師としての人生を歩んでみたいな、と思っている。








最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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