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読み返しても恥ずかしくないnoteを書くために。

過去のじぶんが書いたものを読んで、恥ずかしいと思ったことがあるひとは多いのではないだろうか。というか、思ったことのないひとは存在するのだろうか?

他人に褒められても、じぶんのなかの恥ずかしさは消えなかったりもする。

どんなに気をつけても、時間が経って読み返すと恥ずかしさを感じてしまうものだ。でも、恥ずかしさを減らすためにできることがある。

できるだけ、平熱で書くことだ。

すきなものや熱中していることについて書くときには、なおのこと用心深くなる必要がある。

平熱で書くということは、淡々と書くということではない。そのひとの「いつもの熱」で書くということである。

なぜ平熱で書くのか。理由は大きくふたつある。

ひとつめ。
読んでくれるひとは、平熱だからだ。ふつうの一般ピーポーが書く文章を読むときに、テンションがMAXになっていることはまずない。言葉だけのコミュニケーションでは、相手が平熱でいるほうが安心できるし信頼できる。
どうしても平熱でいられないときは、そう素直に書こう。「いま興奮しているのですが」と前置きして書くのだ。

ふたつめ。
熱い気持ちは、抑えて書いてこそ引き立つものだから。熱さをぶちまけられると、読み手は引く。つまり未来のじぶんも引く。熱さをそのままぶつけるのではなく、読み手に熱い気持ちを抱かせるように書く。読みたくなる熱さを書こう。

平熱で書くことは、ときどき難しい。
けれど、平熱で書くことを心がけていると、あとから読み返したときにも恥ずかしくない仕上がりに近づける。

そして平熱で書くことが、ほんとうの熱さを伝えることにもつながる。

狼少年の話を思い出してみてほしい。
「オオカミが来るぞー!」と言いふらし続けることで、ほんとうにオオカミが来たときに、誰にも信じられなくなってしまう。
文章も同じで、つねに「すきだー!」と大音量で伝えていると、そのひとの平熱がとんでもなく高熱になってしまい、ほんとうに熱くなっているとき理解されない。
平熱があることで、ガッと熱くなったときの本気が伝わる。暑くるしく書くことの強さが出る。

平熱の温度は、体温と同じで一人ひとりちがう。その温度感が、結果として個性になるのかもしれない。

わたしも、じぶんのnoteが恥ずかしくなることがある。だからこそ、これから書くnoteを「いいの書いたじゃん」と、ずっと未来のじぶん自身に言わせるものにしたい。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。