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大学生活を終えて



答辞(もどき)


霧のような雨が降る中でも凍える寒さはなく、すぐそばに春の気配が感じられるような穏やかな日に、大学を卒業しました。この日を迎えられたのは、学費を支払ってくれた両親、親身になって熱心に指導してくださった先生方、そして、いちばん近くで毎日を共にしてくれた友人たちのおかげです。この場を借りてお礼の言葉を申し上げます。ありがとうございました。



4年前、世間を賑わせていたのは私が無事に志望校に入学できたという晴れやかな報せではなく、未知のウイルスによる感染症の拡大という騒々しい話題でした。マスクの着用、手洗いうがい、混雑の回避、手指消毒などの基本的な感染対策が求められるということは、すなわち、初めて染めた茶色の髪で旅行に行くこと、履き慣れないパンプスを履き慣らすこと、新歓で友達を作ることなど、ここには挙げきれないほどの、高校生のときに想像していた大学生らしい生活の営みが制限されることと同義でした。


実際に入学式は中止になり、オリエンテーションは分散され、履修登録は各々の自宅で、授業はzoomかteamsで。これがいいのかも悪いのかもわからないまま、違和感だけを抱えて、それでも続く日々を過ごしていました。供給の不足する中で好きじゃない色のマスクをつけて、テイクアウト需要の高まるバイト先で「密になるから早く作れ!」とずれたマスクで叫ぶお客様を宥めていると、3月に染めた髪の毛はあっという間に地毛の色になっていました。誰にも褒められないうちにまだらになった髪色は、理不尽さと致し方なさとを処理しきれない心の色のようでした。


家にいてSNSを見ていても、いつも誰かと誰かが喧嘩していることに辟易し、退屈さとどうしようもない不満と怒りを抱えた私にとって、唯一の救いが読書でした。ネットの誰かのおすすめ本を手当たり次第に読む中で、私が誰かに薦めたいと思う本に出会うことができました。伊坂幸太郎の『砂漠』でした。平成中期の大学生活が描かれた『砂漠』には、行動的で明るくて、何より自由な登場人物が数多くいました。無責任な全能感で奔放に生きる彼らは、私の想像通りの大学生であり、『砂漠』の存在が、私の想像の大学生は空想ではなく実在するのだと根拠づけてくれるようでした。フィクションの作品に根拠づけてもらうなんて、卒業論文の執筆時には考えられないことですが、現実の方がフィクションみたいな毎日で、唯一縋れる神様のような本でした。



内に向いていた視野を再び外に向けられるようになり、暗かった世界が少し明るくなりました。遅れて始まった新歓ではたくさんの友達が出来ました。マスクをしているのに圧倒的な臨場感のある踊りに惹かれ、よさこいサークルに入りました。情勢によって出来ないことが増えていくのは悔しかったけれど、悔しさを共有できる先輩や同期がいることが嬉しかったです。大学に行く回数は相変わらず少ないままだったけれど、一回一回を大切に出来たから、約束もなく花火をしたり、麻雀をしたりすることが出来ました。県内ばかりで遊んでいたら、地元のことをたくさん知れました。9月の蒜山の冷えた空気が二の腕を撫でたとき、実家を出ずに県内の大学に進学してよかったと心から思いました。



次第に情勢が落ち着いて、旅行へ行くことも出来ました。高校生までは興味のなかった旅行なのに、出来ない期間を経ての旅行はかけがえのないもののようで、アルバイトで得たお金と時間が許す限り、たくさんの場所へ行きました。念願だった横浜の赤レンガ倉庫、好きなユーチューバーの聖地巡り、10代のうちに、と、990円の偽物の制服でUSJへも行きました。修学旅行ぶりに福岡へも行ったし、初めての沖縄へも行きました。思いつきでひとりで仙台へも行きました。どこにいっても、誰といっても、旅先で何があろうとも、帰ってからその全てを共有してくれる存在がずっとどこかにいたことが嬉しかったです。



教師を志して大学へ入ったけれど、教育実習の中で自分の力量不足を痛感し、民間企業への就職活動を決意しました。それでも、教師という仕事は今でも魅力的だと思います。子どもたちの素直な声に、笑顔に、気さくさに、あんなに近くで触れられて、あんなに近くで救われる仕事は他にないはずだからです。私の竹取物語の授業はいつもの先生の優れた授業には及ばず、拙く幼いのに、「なるほど〜!」と子どもたちの声が上がったとき、大きな達成感が得られました。子どもたちを成長させなくてはいけないのに、子どもたちに成長させてもらった1ヶ月間の実習期間でした。実習校の指導教員にも、たくさんの嬉しい言葉をもらいました。



就職活動では地方に住んでいることの困難さを感じる場面がたくさんありました。時間的な困難、交通費などの金銭的な困難、これまでの人生での経験値も、小さいとは違うけれど、なんだか薄いような気がしました。卒業後は、地方に住んで首都の影響を受ける者としてではなく、世に大きな影響を与える側になりたいと思って就活を進め、内定を得ることが出来ました。たくさんの困難さはあったけれど、常に人に支えられた就職活動でした。企業側の人事の方、アルバイト先の店長、就職活動をしている友達。わからないことも悩んだことも、ぜんぶ周りの人のおかげで解決できました。内定を承諾して全てが終わったとき、「これでいいのかな」よりも「卒業後が楽しみだ」と思えたのは周りの人のおかげです。



伊坂幸太郎『砂漠』の中にはこんな言葉があります。「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ。」これは、大学の卒業式の場面での学長の言葉です。大学1年生のときにこの言葉と初めて出会ったときにはあまり深く考えてはいなかったのですが、作中の彼らと同じ状況の今、この言葉の重みが感じられます。4月からは、砂漠のような社会へ出ていきます。水もない、食料もない、果てしなく続くそこで、自分らしく活躍することができるかどうか、考えるだけで不安と期待がないまぜで眠れなくなりそうです。私の学生時代は間違いなくオアシスでした。人に恵まれ、苦労せず、豊かで満ちていた生活でした。どうしても縋ってしまうような気もします。



同作には、このような考え方もあります。「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」これは、『砂漠』の価値観のもとになっているサン=テグジュペリ『人間の土地』の一節です。大学生活の中で、私はこのことを何度も何度も感じました。理不尽さに打ちのめされそうになったとき、恋愛で死にたくなったとき、何をしても結果が出ないとき、どうしようもないことが障害になって思い通りにならないとき、それらに共感し、一緒になって怒って泣いてくれた周りの人のおかげで今の私があります。



来週の今頃、私は砂漠にいます。水も食料もなく、果てしなく続くその場所に、オアシスはあるのでしょうか。オアシスとは学生時代の思い出なのでしょうか。私は違う気がします。社会という砂漠でオアシスになり得るのは、きっと、伊坂幸太郎の、サン=テグジュペリの言うとおり、豊かな人間関係なのだと思います。それに気づくことができた4年間を過ごせて、いま、私はとても幸せです。豊かな心で、豊かな世界を創造するひとりの人間として、社会で活躍していきたいと思います。この先も、大学が豊かな人間関係を育む場であることを、大学生でいることが、豊かな人間関係を育む機会であることを祈って、答辞(もどき)とさせていただきます。ありがとうございました。

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