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卒論を提出した。提出しただけで、評価が嘘みたいに悪くて卒業できない可能性もあるし、もしかしたら単位の計算を間違えていて、卒業要件を満たせないしれない。それでも、卒業のために必須なもののひとつ、卒論を提出した。朝は霜が降りるほどに冷えていたけれど、昼になると冬には珍しく、群青色みたいな青空になっていた。



高校1年生の終わりに、将来は国語の先生になることと志望校を決めた。本を読むことが好きだったから、先生の国語の授業が楽しかったから、先生みたいな大人として子どもと関わりたいと思ったから。理由はこのくらいで、その先生がちょうど同じ県内の国立大学を卒業していたから、私もそこを目指すことにした。両親からは金銭的な都合から県外への進学は許されていなかったため、そういう意味でもちょうどよかった。誰にも反対されることのない志望校だったし、裏を返せば「もっと良いところを目指しなよ」とは言われないほどに当時の成績は酷かった。



高校2年生になっても同じ先生が担任だったから、口だけの奴と思われたくなくて学級委員に立候補して意欲をアピールした。この立候補が意欲であると思ってくれたかはわからないし、何に対する意欲だったのかも今では忘れてしまったが、先生はこの夏にとある論文コンクールを紹介してくれた。「これに出すなら読書感想文は免除でいいから」という甘言にのり、ちょうど身近にネタがあったのでそれを虚実交えながら原稿用紙にしたためた。冬頃に結果が出て、志望校の大学の学長賞と2万円分の図書カードを手に入れた。地元のラジオの取材も来たし、授賞式には夕方のニュース番組のカメラも入っていた。私の部活は集団競技だったから、初めて自分ひとりの力で手に入れた賞状だった。




どれもこれも嬉しかったけれど、オーディションに受かった人が大会に行っている間の、言い換えればオーディションに落ちた人だけが集まる日の部活の練習に、授賞式と日が被っていたために行かずに済んだことと、この受賞が大学の入試で有利に働くかもしれないことが嬉しかった。思い返せばこの頃から鬱を抱えるようにメタを抱えていたらしい。



高校3年生になり、塾へ通い始めた。ほとんど愛着は湧かなかったけれど、部活もクラスも同じではないのに勝手に仲良くなりたいと思っていた子がたまたまその塾にいたことが嬉しかった。塾へ通っても革命のように成績が上がることはなかったけれど、負けず嫌いな性格のおかげで、頑張れば届くくらいの模試の結果は出せるようになった。先生にAO入試を勧められていたから、センター試験の勉強と、AOでのプレゼンの準備とを並行する夏だった。友達の家に泊まりに行ったとき、ひとり早く目覚めてしまったから『枕草子』を読んでいた朝のカーテンの隙間は、冷房の空気をたっぷりと含み、涼しいどころか冷たそうに見えた。



1月にセンター試験を受けた。志望校とは違う大学が会場だった。イオンモールみたいなトイレが設置されている、綺麗な私立の大学だった。門の周りでは高校の先生たちがチョコレートや飴などのお菓子を配っていて、なんだかお祭りみたいだった。センター試験前という建前で、見た目が好きだった先生に握手してもらった。手の感触はもう覚えていないし、この先生の担当教科の点数は良くなかった。国語と、全教科の合計は過去最高得点だったが、大事を取って一般入試はひとつ下のランクの大学へ出願した。AO入試がダメだったら、第一志望へは入れないという選択をした。



センター試験が終わってからは友達と泣いたり笑ったりしながらプレゼン練習に打ち込んだ。部活の顧問の先生が進路に詳しく、何度も見てもらった。ドアをノックして失礼しますと言って入室すると、「今の「失礼します」は何点?」と聞かれたり、「このボールペンを10万円で買ってもらおうとしたらなんていう?」など、無茶な文言で攻められたりしたが、根性はついた気がする。AO入試当日には圧迫的な試験官もいたが、不安よりも怒りが勝って、とんでしまわずに済んだのは間違いなく高校の先生のおかげである。4年前のバレンタインデーが合格発表の日で、私はその日に受験生を終えた。第一志望への入学が叶った。



あれから4年間、ずっとひとりで頑張っていたようで、ずっと誰かが助けてくれていた。




初めてのアルバイト先であるファミレスにいたフリーターの田中さん。夏の暑い日にマルチパックのパルムを買ってくれた。特に忙しい時はハーゲンダッツだったりもした。教習所の新田先生。大学の予定との兼ね合いでなかなか卒検の予定が組めず、受付の人に不機嫌を散らされて萎えていた私を励まそうと当時のバイト先であるケーキ屋さんへ来てくれた。ネットで出会った2個上の当時大学生だった東北出身の人。大学の授業についていけそうにないと弱音を吐いたら、励ましじゃなくて弱音を吐いていい環境をくれた。塾バイト時代の生徒。成績は悪かった(あまり上げてあげられなかった)けれど、ずっと素直でいてくれて、最後には志望校に合格してくれた。サークルの先輩。ひどく失恋して泣き止まない私を連れて夜中に海へ行ってくれた。スタババイトの後輩。何もできない私を先輩として頼ってくれた。電車で席を譲ってくれた人。落とした財布を忘れものセンターへ届けてくれた人。同窓会で話してくれた人。遊びに誘ってくれた人。生んで、育ててくれた人。つらいときに会いに来てくれた人。毎晩電話をしてくれた人。



ここには書ききれない、書いても書いてもしかたない、もう会えない人も含めて、私の4年間は出会ってきた人のおかげでなりたっている。私のために時間を割いて、私のために心を擦り減らして、そうしてでも私を助けてあげたいと思ってくれた人のおかげで、ここまで生きてきた感じがする。卒論の提出でこんなことを思うのはおかしいのかもしれないけれど、なんだか、そういうふうに思った。



大学を卒業するときみたいな記事を書いて変なのだけれど、卒論を提出できたことは、指導教員や大学の友達のおかげなのはもちろん、それだけでなく、生まれてから今日までのあいだに私に優しくしてくれた全ての人のおかげだと思う。残りの4分の3の人生も、この子に優しくしてあげたい、と、思ってもらえるような人でありたい。まだ全然はじまりだと思うし。とにかく卒業できますように。それでは、またね。

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