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【書評】「伝統を守るために勝利を遠ざけた人びと」(中村敏雄『増補 オフサイドはなぜ反則か』平凡社,2001)

はじめに

 まず上のAmazonリンクで表示されてる金額は高いですが、中古で安いの(1600円ほど)がありましたのでご安心を。
 今回は今年noteの目標に掲げた「サッカーと文化」を書くための準備として読んだ本を紹介します。はじめは勉強のためだけに読んだのですが、想像以上に名著だったので、是非ともみなさんにも読んでほしいと思い、書評を書くに至りました。

スポーツ・ルール学の提唱者

 ある時『現代スポーツ評論』を手に取った時に中村敏雄先生を知りました。専門はスポーツ・ルール学で、「スポーツ・ルールの社会学を語らしたらこの人の右に出る者はいない」、「体育という教科の背後にあるスポーツの文化論的研究の道を切り開いた先駆」という、この分野では避けて通れない方です。
 ほかの著作もいくつか読みましたが、一貫して「スポーツをわかる」ことを主張し、本著はそのためにオフサイド・ルールの意義を文化的・社会的背景の変化から解き明かそうと試みたものです。

著者の思想

 本著に限らず、筆者の主張を乱暴にまとめると「スポーツをもっと知ろう!そのためにもっと議論しよう!」です。この本もそういった考えの元で書かれています。

明治期以降、わが国は多くのスポーツを輸入したが、その時に重視、推奨されたのは技能のレベルで欧米諸国に「追いつき追い越す」ことで、異文化であるスポーツが「わかる」ことは軽視あるいは無視され、それを一世紀以上も続けてきたのがわが国のスポーツ史であった。したがっていま「オフサイドはなぜ反則か」と問うのは、このように一面的な技能中心主義的文化受容の伝統と拘束から脱皮することが重要と思うからで、今日でもまだ専門家たちのなかにこの問いに答えられない人がいるということは、スポーツを外来文化と捉えてその特徴を明らかにすることや、これを普及、定着させることの意味などについて多様かつ活発な議論が行われてこなかったことを示している。(pp.139-140.)

 明治以降、日本の人たちがスポーツを受容してきたけれど、その根本的な部分に対する理解が足りないと述べています。そのため筆者は自身で研究するだけでなく、それを広く議論するために『現代スポーツ評論』を創刊します。

あらためてスポーツを人類が生み、かつ発展させてきた文化遺産と捉える視点を国民共有のものにしていくことの重要性が痛感され、そのための時と所を提供したいと考えたのが本紙創刊の動機である。
(引用元:中村敏雄(1999)「創刊のことば」『現代スポーツ評論』(1),p.5.)

 こういった問題意識に共感した方には是非オススメします。

フットボールを取り巻く変化

 イギリスにおいてフットボールは、社会的背景からプレーする場所を街中から空き地、校庭へと移していきました。本書では19世紀までを中心に描いていますが、20世紀以降は校庭からスタジアムへと移行し、プロスポーツとして成立していきます。たとえば街中から空き地へと移した理由は次の通りです。

「エドワード三世の時代(1327年〜77年)を通じて、フットボールは農民、職工、徒弟たちの間に広く普及し、そのため王国防衛に重要であった弓の練習がおろそかになり、フットボールに対する長くて無駄な抑圧が開始されることになった。この時以後イングランドでは、そして後にはスコットランドでも、王国防衛ということが多くのフットボール禁止令の交付を支える主要な理由になった」とマグーンは述べている。(pp.75-77.) 

 当時の人たちにとってフットボールは祭りで、その多くが懺悔火曜日と呼ばれる祭日に行われる、地域共同体の宗教行事でした。共同体の行事であったことから、共同体の団結を意味するものでもあり、したがって施政者に取って脅威である反乱の芽でもあったのでした。
 そうして街中のから空き地へと場所を移し、さらには学校教育が成熟し始めるとその場は校庭へと変えていきます。
 

勝利は「祭り」の終わりだった

 こうして場所は転々と変わっていきましたが、変わらないものがありました。それが「短時間で終わらないようにする」ということです。つまりタイトルの問い「オフサイドはなぜ反則か」に対する答えは「長く楽しみたかったから」です。

* マス・フットボールは、「一点先取」のゲームであり、どちらかのチームがゴールへボールを持ち込めば、それで竸戯は、また「祭り」のメイン・イベントも終了するというものであった。(p.235.)

 さまざまな歴史的背景から、場所をはじめとしてフットボールを取り巻く環境が変わりましたが、人々の中で変わらないのがこの「長く楽しみたい」という想いでした。つまり勝利は祭りであるフットボールを終わらせてしまう残念なものだったのです。

「祭典」である以上は、それが長く続くことを望むのが当然であり、フットボールはこの伝統をルールのなかに取り込み、すぐれた技術構造をもつボール・ゲームとして継承したスポーツであるということができる。オフサイド・ルールはこのような文化継承の過程における新しい価値の創造であり、そのためにこのルールはほかのパブリック・スクールも同様に取り入れたのである。(pp.231-233.)

 驚くことに当時のフットボールは一点先取にもかかわらず五日間続けて行われることが普通だったようです。ところが環境の変化(コートが小さくなるなど)から徐々に得点が入りやすくなっていき、それを防止するために生み出されたのがオフサイド・ルールだったのです。

おわりに

 少し引用が多くなってしまいましたが、オフサイドが反則、つまりよくないことと考えられた理由は「試合が早く終わってしまうから」でした。もちろんここに至るまでのさまざまなエピソード(ex.選手が観客に紛れ込む)こそが本当に面白いところなので、その辺りはぜひご自身で見つけてください。


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