ヒットの崩壊

書評「私たちの音楽観が変わってきている」(柴那典『ヒットの崩壊』講談社現代新書,2016)

はじめに

 この本、いや著者の柴那典を知ったのはSAJだった。スポーツアナリティクスに関するイベントながら、トークテーマは「データを評価に用いる」点で音楽業界とも共通していた。
 データを使って何らかを評価する際に必要なのが評価基準であるが、シンプルで馴染み深い基準の一つが「オリコン」である。一定の年齢以上の人たちであれば、一度はこれを話題にしたことがあるのではないだろうか。
 そんな音楽業界の評価基準の一つである「オリコン」がかつては音楽の「ヒット」を示していたが、今日では私たちの思う「ヒット」と「オリコン」が結びつかなくなっている。そうした評価基準のズレを「ヒットの崩壊」として論じているのがこの本だ。

時代にあった基準を作る

 ここ十数年の音楽業界が直面してきた「ヒットの崩壊」は、単なる不況などではなく、構造的な問題だった。それもたらしたのは、人々の価値観の抜本的な変化だった。
(引用元:はじめに,1項,10段落)

 「ヒットの崩壊」は正確には「ヒット『基準』の崩壊」だ。そして人々の「ヒットとは何か」の価値観の変化が崩壊をもたらしたと筆者は考える。
 かつてヒット曲とは「売れている曲」であり、売上枚数がヒットの指標として同意され、納得されていた。身近に言えば「みんなが買っているのは良い曲」だった。ところが技術の発展により私たちの音楽への関わり方はCD購入だけでなく、youtubeやサブスクなど多様になった。
 CD購入の影響力は相対的に低下していったことで、人々の音楽への価値観、評価基準に変化がもたらされたと考えられる。つまり音楽環境の変化に伴い、聴く人にとっての音楽観、ヒット観が変わってきている。

複雑になったヒット観

 本書の特徴の一つが、アーティストやプロデューサーへのインタビューだ。これによって音楽業界内部の考えを私たちも知ることができるが、下は「ヒットの方程式」が成立しなくなってきた現状に対するいきものがかり・水野良樹のコメントだ。

 やっぱり、かつてはヒット曲に関するルールがもう少しシンプルだったんですね。それが、00年代の後半から10年代に入って『何をヒット曲とするのか』というルールがだんだんわかりづらくなっていった。
(引用元:第1章,2項,71段落)

 「CDが売れること」と「ヒットしていること」がイコールではなくなったが、すぐに代わりの指標が生まれたわけではなかった。むしろ今でも(日本では)CD売上枚数は一つの説得力のある評価基準であると思っている。
 しかし同時にそれだけで測っては納得感は得られなくもなっており、ビルボードジャパンの指標にはyoutubeやサブスク、ラジオ、さらにはカラオケでの再生回数が加味されている。音楽との接点が増えた今日、広範囲をカバーしなければならないほどにヒット曲の定義は複雑になっている。

ヒットを測る定規が一つではなくなった

 ビルボードのヒットチャートは複雑なものを総合して一つにまとめようとしている(個別のものも提示しているが)。一方で個別のヒット観を認める方向もあり、それが現れている例として音楽番組の長尺化を筆者は挙げている。

 大型音楽番組が長時間化している背景にはこのことも大きいだろう。人気を測る「定規」が複数になった。一つの尺度でヒットを決められる時代ではなくなり、音楽シーンが多様化した。その結果、ラインナップの幅が大きく広がってきたわけである。
(引用元:第3章,2項,19段落)

 近年の音楽番組は一つのヒット観で出演者を決められなくなっている影響から、様々な世代や多様なジャンルのアーティストを揃える傾向にあり、それが大型音楽番組の長時間化をもたらしていると筆者は考える。
 このように音楽観の多様化を統合するのではなく、それぞれの独自性を認める評価の仕方もある。ただしここには一方で、人々に共通の音楽体験を提供する思惑も隠れている。共通の体験やイベント(お祭りのような)が減っている現在に対して、定番化した特番を打つことで共通意識を醸成する意図も感じられる。

おわりに

 「ヒットの崩壊」は私たちのヒット観の変容であるが、ヒット観はいまや「私たち」では括れないほどに細分化している。今の時代において細分化したヒット観を貫くような、共通したヒット曲は生まれるのだろうか。
 評価基準は私たちが作るものであると同時に、技術の変化が価値観を変えたように、周りの環境や誰かが提示した評価基準自体が私たちの価値観を作り上げる。ビルボードヒットチャートのようなデータによる評価基準の作成は、私たちが見えていない「ヒット観」を可視化して伝える意味を持っているかもしれない。


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