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食材の多様性事情 ゲテモノからSDGsへ

「でたー」

緊急事態宣言期間中、チェンマイ在住の友人とオンラインチャットをしていた際、相手の後ろのほうから小さな悲鳴が聞こえました。彼女には、小学生のお子さんがいて、その日も休校中で”ステイホーム”していました。先程まで映り込んでいた姿が見えなくなったな、と思っていると、声をあげながら母親のもとにかけ戻ってきました。

なにがでたのか?幽霊か?ゴキブリか?

席を外した友人は、戻ってくると、「サソリだった」と一言。きけば最近家でよく出るそうで、慣れた様子で空き容器を使って捕獲していました。
 
 日本では野生のサソリをみかける機会はほとんどないと思いますが、タイでは案外身近に生息しており、民家に入り込んでしまうことも多いものです。小さいサソリほど強い毒を持つ種類が多く、仮に毒性が弱いものであっても刺された痛みはかなり強いと聞きます(幸い、わたしに実体験はありません)。その友人宅では、シーズンになると室内でサソリを見かけることがあり、靴や布団に入り込んでいないかチェックしているとのことです。
 そして驚いたことには、生け捕りにされたサソリはその後、瓶で酒漬けにされていました。なんでも、生きたまま酒につけることで、薬効のある酒になるんだとか。皮膚から入ると毒になるものが、酒漬けにして口から入れば薬になるとは不思議な感じがしますが、実際サソリを食用とする地域もあり、タイでも屋台に姿揚げが並んでいることもあります。


チェンライ県、ワット・プラタート・ドイ・ワオ(Wat Phra That Doi Wao)のサソリ巨像


 タイでは地域によってはサソリのほか、カエルや、コオロギ、タガメなど、日本の感覚では意外に感じるものも食用とされています。こういった食文化は「ゲテモノ」としてメディアで面白おかしく取り上げられることもありますが、それは別の文化圏からの先入観による見え方で、現地では珍味や日常食になっていることも少なくありません。食文化はその文化圏の歴史、地理的環境など様々な背景のほか、社会生活や世界観ともかかわっています。
 たとえば、先程は「カエル」と書きましたが、正確には日本語の「カエル」にあたる動物がすべて食用となるわけではなく、タイ語でコップと呼ばれるものの養殖だけが食用とされます。日本ではカエルとひとくくりに呼んで同じものと認識している生き物が、タイ語では、コップ、キアット、ウンアーン、カーンコック、パートと、別の名前で呼ばれる生き物として区別して認識されているのです。

 これは日本の海産物にまつわる語彙と通じるものかもしれません。海産物をたくさん食べてきた日本では、外国語に訳出できない分類がたくさんあります。昆布、わかめ、ひじき、そして食べられない海草も、いずれも日本語以外では「海藻」にあたる言葉でしか訳せないことが一般的です。区別をする必要がなければ、概念も語彙も存在しないも同じなのです。それまで食べ物ではない「海草・海藻」と認識されていたものが、食文化の広がりにより区別されるようになり、外国語でも日本語由来の語彙が使われたり、それまで一般的でなかった下位分類の名称が使われるようになることもあります。

 


 魚介類や鶏卵の生食や発酵食品を使うといった日本の食習慣も、以前は諸外国から奇妙な目でみられていました。しかし、現在では寿司、刺身、そして味噌や納豆もかなり広く受け入れられています。その意味では、独特にみえる食材を使う食文化も、今後世界に広がっていく可能性が十分にあるのではないでしょうか。

 世界で和食の評価が高まったのは、健康志向によるブームがきっかけだったといわれていますが、近年はSDGs(Sustainable Development Goals持続可能な開発目標)の観点から昆虫食に関心があつまっています。世界的な人口増加による食糧不足や環境問題を解決する緒が昆虫食にあるのではないかと研究が進められているのです。
 実は昆虫は豊富なタンパク質のほかミネラルやビタミンなど栄養価が高く、鳥類や哺乳類にとって優れた栄養源です。しかも豚や牛などの家畜と比較し、少ない土地や餌での飼育が可能で、成長が早く可食部も多いことから、環境への負荷が少ないのはもちろん、低コストで生産効率も高いといえます。さらには温室効果ガス(メタンガス、二酸化炭素)の排出量も家畜に比べて格段に少ないなど、食料とするのには多くの利点があるというわけです。日本の企業や大学でも食用コオロギの養殖や研究に取り組むところもあります。

 日本では粉末にしたコオロギを使ったせんべいなど、原型を感じさせない昆虫食が開発されていますが、タイではコオロギのほか、タガメ、バッタ、イモムシ、赤アリなどの姿揚げが市場で売られ、スナック菓子のように食べられています。蜂の子や赤アリの卵は生食にされることも。昆虫食は地域差があり、都会っ子には昆虫食に抵抗がある人も少なくありませんが、バンコクの屋台でもこういった昆虫食が売られているのを見かけます。また、チェンマイでは屋台だけでなく、郷土料理のレストランでイモムシの揚げ物がメニューに入っていることもあり、ジャンクフードではなく立派な一品料理として提供されます。
 この郷土料理に登場するイモムシは、日本語ではタケツトガという蛾の幼虫で、その見た目からタイ語では「ロット・ドゥアン」すなわち「新幹線」という名前がついています。その名の通り、昆虫の姿揚げのなかではかなりマイルドなビジュアルなので、昆虫食初心者にも比較的抵抗が少なく試せるものかもしれません。わたし自身も、タイではじめて食べた昆虫食が、ロット・ドゥアンのフライでした。留学中に友人たちと食事に行った際に勧められ、一瞬躊躇しましたが、あえて事も無げに食べてみせたことを覚えています。

 実はその時の友人たちの間では、わたしは「ドリアンが苦手」ということが有名になっていました。一度勧められた際に「好きじゃないから」と丁重にお断りしたところ、「それは本当の美味しさを知らないからだ」という親切心(と、おそらくは反応を面白がる気持ちもいくらかあって)か、その後もたびたびドリアンを勧められたり、ドリアン味のスナックをそれと知らずに試させられたりということが起こっていたのです。実際「ドリアンの美味しさは一度ではわからない」という言説があり、且つ、好きでなければ自ら買うことはないので、ある意味では理にかなってはいたのですが、正直わたしにとってはありがた迷惑な事態となっていました。
 ドリアンは高級品なうえ、シーズンも持ち込める場所も限られているので、ドリアン攻めは長く続くことはありませんでしたが、虫となれば話は別です。一年中屋台で簡単に買えるものなので、ここで「食べられない」ということになれば、今度は別の虫を次々に勧められるかもしれない、それは避けたいと思い、動揺を隠して食べてみせたのでした。
 食べてみると、サクサクとした食感で、なんでもなく食べられるものです。そのお店のディップが美味しかったこともあり、それ以後、別の機会で同じお店で食事をした際に注文したこともあります。

 ただ、虫ははじめてだといいつつも、平気な顔で食べたことが逆に印象に残ったのか、留学から帰国する際には「お土産に」と、その時同席した友人のひとりからロット・ドゥアンのフライを渡されました。それも「日本では買えないでしょう。ご家族やお友達に持っていってあげて」とかなり大きな容器に入ったものを…。


 食材も含め、各地にはやはり現地でしか味わえない郷土料理がたくさんあります。虫はともかくも、またチェンマイで北タイ料理が味わえる日を待ち遠しく思っています。


この記事は、2021年、日・タイ経済協力機構発行『日・タイパートナーシップ (171)』pp. 41-43 に掲載されたものです。


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