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タイのカフェ事情 その変化

2015年7月


私事ですが、大学生時代にタイに留学してから今年で10年になります。パートナーシップでの連載も長く続けさせていただき、初期の頃と現在とでは、「タイの事情」に変化を感じる部分もたくさんあります。そのひとつが、「カフェ事情」です。

初めてタイを訪れた際、タイで飲む「カフェー・イェン」すなわち、アイスコーヒーの甘さに面食らった覚えがあります。コーヒーに限らず、練乳入りのミルクティー、はちみつ入りの緑茶、塩と砂糖を加えたみかんジュースといった具合に、冷たい飲み物は甘味が加えられたものが一般的で、その甘さも、日本人の好みよりもかなり強めのものばかりでした。
わたしが入るような食堂で出されるのは、すでに砂糖や練乳が加えられた作り置きのコーヒーなので、甘さを抑えるために、たっぷり入れてくれる氷が解けるのを待って薄まったものを飲んだり、それを待てない時には、氷ごとミキサーに入れて細かく砕き、シェイクのようにする、「パン」と呼ばれる飲み方にしてもらったりしていたものです。甘くないアイスコーヒーを飲むためには、外国人観光客向けの、少し高級なお店に入るか、その場でコーヒーを淹れてくれる屋台を探す必要がありました。そして、そういったお店や屋台でも必ずしもイメージ通りのコーヒーが飲めるわけではなく、提供されるのは、エスプレッソコーヒーの氷水割りであったり、インスタントコーヒーであったり、コーヒー豆以外の穀物をブレンドしてつくられるタイの昔ながらのコーヒー風飲料であったりすることもしばしばありました。

 それが、最近ではかなり本格的なドリップコーヒーを扱うカフェが本当に増えました。それも焙煎からお店でやっていたり、厳選した豆を仕入れていたり、こだわりのあるお店も少なくありません。チェーンのコーヒーショップもたくさんありますが、若いオーナーが宿屋の軒下などの小さなスペースを活用したり、自宅の一部を改築するなどして開店している個人経営のお店も増えていて、それぞれのお店にオリジナリティがありカフェめぐりも楽しめるようになりました。カフェの情報だけを扱う専門雑誌が発行されたり、人気のカフェがカッピング(試飲)やラテアートのワークショップを開催するなど、コーヒー通のタイ人も増えてきていることがうかがえます。

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ラテアートや、カップなどの食器にもお店のこだわりが表れます。ホットのドリンクをこのようなグラスで出すお店も多いように感じます。おしゃれなのですが、取っ手がないと「あちち」となって、個人的には苦手です。

 タイにおいてコーヒーの歴史はさほど古くないと考えられていて、1900年代にインドネシアから入ったと言われています。その後、アヘンの原料であるケシに代わる換金作物として、タイの王室プロジェクトによりコーヒー豆の栽培が奨励されるようになったことで、良質なコーヒー豆が国内で生産されるようになりました。ブラジル、コロンビア、ベトナムなどがコーヒー豆の産地としてよく知られていますが、タイもそれらの国々と同様、「コーヒーベルト」と呼ばれる、赤道近くの地域に属しており、コーヒー栽培に適した地質や気候をそなえています。特に、かつて麻薬用作物が盛んに栽培され、「ゴールデントライアングル」と呼ばれていた山岳地帯などの高地はコーヒー栽培に最適で、最高級のアラビカ種が生産されています。そして、ブランド化された国産のコーヒー豆は、ホテルや国際線の航空会社、外資系のコーヒーチェーン店でも扱われ、その多くが国内で消費されるほどに、現在ではコーヒーはタイの人々になじみ深い飲み物になっています。

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摘み取られ、天日干しをしているコーヒーの実

 タイでカフェが流行している背景には、そういった良質の国産コーヒーの生産量が増したということのほかに、人々のライフスタイルの変化もあるのではないかと思っています。タイに留学していた当初、ある友人が、「食堂でひとりで食事をしているところを知り会いに見られるのは、トイレのドアに鍵をかけ忘れるよりも恥ずかしい」と言うのを聞いたことがあります。彼女の場合はあまりに極端でしたが、飲み食いは仲間同士でワイワイとするもの、という雰囲気は確かにあったように感じます。大学の食堂でもみんな必ずグループで座って食事をしており、たまたまひとりだけ食事の時間がズレたとしても、わざわざ付き合ってくれる友達があったりしたものです。「冷たいものでも飲んで一息つこう」という時に立ち寄るのも、おしゃれな雰囲気のカフェよりも、大人数で気兼ねなく騒げるような、アイスクリームショップや、ミルクスタンドであることがほとんどでした。ミルクスタンドでは、味や香り、色(!)のついた冷たいミルクをはじめとした飲み物のほか、ディップ付きのトーストなどが定番メニューです。

ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)が非常に普及した近頃のタイでは、パソコン、スマートフォン、タブレット端末などをお供にひとりきりで過ごすことは、恥ずかしいことや寂しいことではなく、当たり前の日常のひとつになりました。多くのカフェではインターネット接続が無料で提供されており、デジタルデバイスをたずさえ、ゆったりとしたひとりきりの時間を楽しむ人の姿が増えました。そういったなかで、カフェのくつろげる空間や、本格的なコーヒーを楽しむ風潮も、定着していったのではないでしょうか。
学生たちにとって、以前カフェは「静かに勉強ができる涼しい場所」として利用されるだけでしたが、現在は「ゲームやSNSをしながら休憩できる場所」としても利用されています。数年前までは、学生街に一番多くある商店といえば、インターネットに接続されたパソコンがずらりと並んだ「インターネット屋」でした。寮にインターネットを引くのは、現在ほど簡単ではなかったので、必要な時にこういったお店に足を運び、メールをしたり、オンラインゲームをしたりする学生が多かったのです。学期末になると、レポート作成のための調べもので利用する学生たちで満席のお店も続出でした。
しかし、こういったインターネット屋はほとんど見られなくなり、かわりに学生街に台頭してきたのが様々なスタイルのカフェです。なかには、大学教授や職員が副業として経営しているお店もあるとききます。やはり試験前にはカフェで勉強をする学生がありますが、時期を問わず、ひとりで座っている学生の姿も珍しくはなくなりました。
 観光街にしてみても、以前はカフェといえば外国人向けの印象でしたが、今ではタイ人向けのお店も次々に登場しています。カフェメニューだけでなくパット・タイやカオ・パットなどのおなじみのタイ料理が注文できるお店や、コーヒーに合わせてグリーンカレーのスパゲッティ、センヤイのラザーニャ風といった折衷メニューを用意しているお店、ココナツミルクやもち米を使ったタイの伝統菓子をコーヒーと一緒に楽しめるお店など、斬新なローカライズがなされています。

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イタリアンのパスタをタイ料理にアレンジした料理も、カフェメニューの定番になりつつあります。


 単純に異国から入った嗜好品が定着したというのではなく、ならではの展開をみせているところが、国産コーヒーの美味しさと共に、タイスタイルのカフェの魅力です。美味しいコーヒーや、寛げる空間だけでなく、日本人の感覚では、奇抜なメニューやちょっと不思議なコンセプトのお店に出会えるのも、タイでのカフェめぐりの醍醐味です。


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タイで展開しているコーヒーチェーンのチェンマイ国際空港内店の看板。おそらく、ASEANではなく、Asianと書きたかったのではないかと。このチェーンはコーヒーのほか、サンドイッチやタイ料理などのメニューも充実しています。

この記事は、2015年7月、日・タイ経済協力協会発行『日・タイパートナーシップ』に掲載されたものです。




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