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成瀬巳喜男『流れる』~女優たちの競演バトル

写真画像 [c]1956 TOHO CO., LTD.

大川(隅田川)そばの東京の花街、芸者置屋「つたの家」を舞台に繰り広げられる群像劇。つまりほとんどがセットで撮られている。しかも男性はほとんど出て来ない。性ばかりの映画だ。その錚々たる優たちの競演が見応えたっぷりだ。しかも時代の変化の中で、経済的に厳しくなっていく置屋の物語であり、成瀬巳喜男特有の滅びの美学というか、人生の影のようなものが全体の空気を支配している。

是枝裕和監督はきっとNetflixドラマ『舞妓さんちのまかないさん』を撮るときに、この成瀬巳喜男の『流れる』を何度も見て置屋のセットや撮り方を研究したことだろう。多くの性たちが出入りする公共的なスペースである部屋や玄関、電話のある廊下、台所などがある一階と私的な込み入った話をする二階の部屋。雨や雷、町の気配が窓外から感じられ、襖やガラス戸、窓を使いながら、人物たちの配置、奥行きのある縦構図をうまく使って撮影している。猫が時々歩き回るのも出入りの多い空間という演出に一役買っている。

映画はたゆたう川の流れがまず映し出され、橋や路地、職業斡旋所から紹介されてやってくる中の田中絹代の歩きとともに始まる。何度も映し出される「つたの家」の前の狭い路地。山田五十鈴演じるこの置屋の将つた奴は、借金があり、家も抵当に入っていて経済的に苦労している。それでいて田中絹代の名前が梨花だと呼びにくいから、「お春さんでいいわね」と勝手に決めてしまう。腹違いの姉、賀原夏子に借金もしており、いろいろと嫌味を言われ、金のためにパトロンを紹介される。

ここには芸者たちの玄人と一般人の素人、2つの世界の住人がいる。つた奴の娘の勝代を演じる高峰秀子は、玄人の世界に生まれて、芸者を半年でやめて素人の世界に留まっている中途半端な存在だ。山田五十鈴の妹の中北千枝子は夫と別れて子供と暮らしている出戻りの冴えない感じ。芸妓は、ベテランだがお座敷に声がかからなくなって、いつもお喋りと食べてばかりいる杉村春子、ドライな現代娘の岡田茉莉子がいる。さらに、山田五十鈴がいろいろと相談する料亭のお浜を演じるベテラン優、栗島すみ子がしたたかな女で存在感たっぷりだ。それぞれのキャラクターを女優たちが見事に演じている。特に杉村春子のアクが強さが強烈だ。山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、粟島すみ子、賀原夏子の女たちのバトル劇。バトルと言っても単純に言い合う訳ではなく、それぞれの心の探り合い、皮肉や嫌味、裏の企み、取り繕う見栄、不安、欲望、涙、そして男を求める女の性・・・。その芝居を見ているだけで面白い。杉村春子と岡田茉莉子が座敷から戻って、「芸者という商売は最高だ」と言って酔って踊り出す場面、杉村春子が「女に男はいらないって?」と高峰秀子や山田五十鈴と言い合って、涙し、笑いながらに出て行く場面など見応えがある。

この映画の女たちは、ことごとく男に振り回されており、男運が悪い。唯一登場する中北千枝子の元夫の加東大介は調子のいい色男で、病気の子供のことなんてどうでもいい無責任男。玄関先にちょこっと現れる。山田五十鈴は、かつて世話になっていた旦那を振って、惚れた男に金を貢いで借金を作り、杉村春子は年下の男と一緒に暮らしていたが逃げられてしまうし、岡田茉莉子も昔の男から電話がかかっていそいそと会いに行くが、今のみじめな姿にガッカリして戻って来る。いずれの男も映画には一切登場しない。高峰秀子が会いたいという父親も出てこない。嫌な男として出てくるのは、姪の芸妓のことで金を強請りに来た宮口清二だ。大声でいつも怒鳴りながら、女たちを困らせる。山田五十鈴は、そんな男にも酒をふるまったり、果物を買ってこさせたり、部屋を用意したり、穏便に済ませようと気を遣う。夜の見回りの巡査にも蕎麦を振舞ったりする気遣いや見栄、気前の良さが、経済的困窮にもつながったのだろう。山田五十鈴の相談に乗りながら、「つたの家」を買い取って料亭にしようと目論んでいる女将、栗島すみ子とは対照的だ。

借金の相談のため、かつての旦那に着飾って芸妓として会いに行った山田五十鈴が、会えずに一人寂しく置屋に戻ってくる場面が印象的だ。家の前の路地をとぼとぼと歩いてきて、田中絹代とすれ違った後ろ姿のロングショット。女の哀しさが伝わってくる。「料亭で働かないか」と栗島すみ子が田中絹代に声をかけ、そんな計画も知らないまま、弟子たちに三味線を新たな気持ちで教えている山田五十鈴と杉村春子。それを見ている田中絹代。その三味線の音と唄、二階で新たな一歩を進みだした高峰秀子のミシンの音。そんな音が聴こえつつ、この置屋とそれぞれの人生の未来を暗示するだけで終わるラストがまたいい。「つたの家」は料亭になり、山田五十鈴は川向こうで置屋を続けられるのか。田中絹代は死んだ夫と子供の故郷に戻るのか。高峰秀子は、洋裁の仕事で生活していけるのか。

時代の流れにあらがうように、なんとか未来を切り拓こうとしつつ、どうしようもなく流されていく女たち。ままならない人生の哀しみを抱えながら、それぞれの心の機微が丁寧に描かれている。


1956年製作/116分/日本配給:東宝
監督:成瀬巳喜男
脚色:田中澄江、井手俊郎
原作:幸田文
製作:藤本真澄
撮影:玉井正夫
美術:中古智
音楽:斎藤一郎
録音:三上長七郎
照明:石井長四郎
キャスト:田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、中北千枝子、松山なつ子、杉村春子、岡田茉莉子、泉千代、賀原夏子、栗島すみ子、宮口精二、仲谷昇、加東大介、竜岡晋

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