ドキュメンタリー『ボストン市庁舎』多様なる「場づくり」こそが必要

ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマンの新作である。上映時間4時間34分、と長い。フレデリック・ワイズマンは現在91歳。これまで病院、裁判所、福祉センター、警察署、美術館、図書館など、特定の場所にこだわり、公共的な機関をドキュメンタリーにしてきた。彼は市役所を撮りたかったらしい。インタビューによると、「出生証明や死亡証明、レストラン出店の許可証や運転免許の交付などといった、市民の日常生活の至るところに影響を及ぼしている。そんな部分も魅力的に感じました」と語っている。それも
ボストン市長の市政に興味があったわけではないようだ。何人かの市長に手紙を出して、取材協力OKと返事が来たのがボストン市だったらしい。そして、フレデリック・ワイズマンは事前に予備知識を入れて取材はしないようだ。事前の構成を決めてドキュメンタリーを作るのではなく、何も知らない状態で取材をはじめ、カメラを回し、現場で発見していくスタイルのようだ。

フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーは、ナレーションなし、字幕なし、音楽なし、インタビューなしのドキュメンタリーとして有名だ。観客に説明したり、考え方を導くようなことは一切せず、とにかくカメラを回し続ける。取材をし、現場の声に耳を傾け、現場に寄り添い続ける。特定の偏見や事前のバイアスが入ったような構成案をもとに取材しない。何かを発見し、面白さを見つけながらカメラを回していく手法。たぶん、撮影時間は膨大な量になるだろう。ナレーションも入れないため、上映時間も長い。この映画も、市長の演説や会議での意見を延々と映し続ける。だからちょっとボストン市の広報映画のようにも見える。ボストン市長は、アイリッシュ系移民で、アフリカや中南米などから多くの移民を受け入れ、民族差別や経済格差をなくそうとするリベラルな市長だ。地球環境に配慮するSDGsも意識した思考を持っている。そういう意味でこのドキュメンタリーは、強圧的なトランプ大統領のやり方と対照的な市民との向き合い方が、「民主主義の原点」を見る思いがするという批評もある。しかし、そんな政治的な視点で見るだけだとしたら、このドキュメンタリーの価値は半減する。

映画の後半、多くの移民が集まる経済的に貧しく治安の悪い地区で、大麻のお店を開く町内会の会議の様子が映し出される。企業側と住民側の話し合いが20分以上延々と続く。この地区の経済が豊かになると主張するチャイナ系の企業人、治安の乱れに不安を感じる黒人やラテン系、カーボヴェルデ(アフリカ北西部に位置する島の国家)系の住民女性たち。議論は白熱し、多様性のある社会の縮図のように、話はなかなかまとまらない。様々なコミュニティの様々な意見。この議論は実際には2時間以上続いたという。それぞれが、しっかりと自分の意見を言っているところが「日本とは違うな」と感じた。意見など簡単にまとまるものではない。ただみんなで議論する場を設定することの大切さを感じた。この現場の臨場感こそ、このドキュメンタリーの真骨頂だ。一つの意見にまとめることよりも、「場」が大事なのだ。それがフレデリック・ワイズマンの「場」にこだわる最大な理由だろう。「場」に集まって来る多くの人たちの多様な姿を描き出すこと。その「場」を描くことで、人間が見えてくるのだ。

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