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ビールへの思い

 日本の四季はどうなってしまったのか。(実はこの文は去年の夏に書いて
保存のまま放擲されていたもの。1年くらいぼーっとしていたところ、人に会わないせいもあり、最近言葉が出て来にくくなっているのでなんでもいいから文を
と出してきた次第です。
しかし途中の部分がなくなっていて、突然のように以下の文になっていた。)

 それはさておき、ビールはもの心ついた頃はキリンしかなかったような気がする。その後アサヒが出て商品名も社名だけだったと思うが、その後いろんな銘柄が出てきて、今では選ぶのもしんどいくらい。しかもアルコール度数を考えたりする。でもプリン体0とか糖質0とか大きく書いてあるのはもう飲まなくてもいいと思う。

昔行った旅は大抵一人旅だったが、怖がりなのに一人旅が好きという困った人の絶対的な味方がビールだった。ベルリンで雨に降られて飛び込んだレストランで出てきたベルリナー・キンドル。ニトラ(スロバキア)の学食で出てきたビール大瓶が日本円で四十円だったピルスナー、ヒースロー空港の混んだパブでようやく出会ったステラ・アルトワ。酒を友として旅をした古い中国の詩人を標榜する媼だった。

そんな外国旅で飲んで一番ウマイ!と思ったのはインドのキングフィッシャービール。

10年以上前の夏、ある会合でインドのバンガロールに一人旅をした。
そもそも不思議な旅だった。向こうが言ってきたホテルを探すと同じ名前のが三つくらいあった。それで問い合わせたら、来ればわかるという。誰か空港に迎えに行くという。着いたら確かに私の名前を書いた紙を持った人が立っていた。てっきりその会合の関係者だと思ったが、単なるタクシーの運転手だという。この人に身を任せて良いものかと私は不安になった。

そして滞在中、「あらゆることが可能、しかも何一つ確かなことはない。」感が付きまとった。(この言葉は昔読んだ小説に出ていたと思うが出典は今は定かではない。)
着いてからなかなかビールにありつけず、3日くらい経ってからレストランでミントヌードルと共に運ばれてきたのがそれだった。

インドの人はあまりアルコールを飲まないようで、一週間くらいの滞在で次に機会があったのは、帰りの空港でのこと。

荷物の超過料金を払う段で、係の青年が私のクレジット・カードを何回も卓上の機器に通すのだがうまくいかない。そのうちカードが摩滅して変になるのではと不安になった。その上アッという顔をしたと思ったらそのカードがどこかへ行ったらしく、必死に探している。ずいぶん早く空港に着いたのに、出発の時間が迫っていた。
やっとカードが出てきて、ホッとして出発前にカウンターでビールを頼んだところ、グラスに冷えたキングフィッシャービールが出てきた。

旅の終わりに一人で乾杯した。紆余曲折はあったが最終的には会合での仕事は恙無く終えることができた。
飛行機が出発して窓外を見ていると、夜空が明るくなったと思ったら大きな稲妻が現れた。ヒンズーの神インドラは雷神だったことが思われた。インドからのWelcome and good-bye のメッセージのようだった。

それから数年後、大阪の民博のレストランで卓上のメニューの傍に、研究者たちが推奨する世界のビールランキングがあった。その中にキングフィッシャーを見つけた時は、あらこんなところでという感じで、人間なら「その節はどうも」というところだった。

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