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「白老町の魅力相関図」公開しました。


町を俯瞰するための第一弾

白老町ってどんな町なのか、その魅力がどこにあるのか、過去の歴史から紐解いて、白老町の魅力相関図と町の大きなストーリーを作りたいという気持ちが協力隊になった当初からありました。
白老町の町史を読むところからスタートし、町で出会う皆さんにも定期的にリサーチをしながら、何かまとめられたらと思い、丸一年…。

私がこれまでのリサーチでピックアップしてきた白老町の魅力の断片や、ワークショップを、私の意図や解釈を持たせて相関図にしてみたものを公開してみたいと思います。
(note用にこの相関図の裏側&解説を下に書いていきます)

白老町の魅力相関図|第一弾

▶︎白老町魅力相関図と物語づくりワークショップ開催

今回の魅力相関図は、見てもらった人によって感じること・思うところが違うと思います。これを叩き台に皆さんと意見交換してどんどん魅力相関図の精度を上げていきたい。相関図の説明と、そこから見えること・見えたことについて意見交換してみる会を開催してみます!

まだまだ発見できていないことがたくさんありますし、きっと今後も完成するものではない気がしますが、白老の魅力について考えるきっかけになればと思います。

①4月 6日(土)13:00〜 @白老町中央公民館・白老コミュニティセンター
        18:00〜 @竹浦コミュニティセンター
②4月12日(金)19:00〜 @白老町中央公民館・白老コミュニティセンター

魅力相関図公開までのあれこれについて

地域に根ざしたものでありたい

「地域に根ざしたものを」という気持ちは前職のリゾートにいたときからずっと思っていて、私の個人事業主の屋号「クライメイト(Climate)= 風土」にも現れている。(リゾート広報時代は、集客のためにアンパンマンショーや戦隊ものショーをやったら会社を辞めるを宣言していたw)

協力隊として着任するにあたり、町のことをもっと知らないと私の取り組みが地域に根ざしたまちづくり・魅力づくりにならないと思っていた。

そんな中、この「魅力相関図づくり」に着手したのは、ちょうど1年前(だった!)、星野リゾート時代の広報の先輩である南雲朋美さんを、白老町にお招きしたところからスタートしている。
南雲さんは星野リゾートで、各地域で展開している「界」ブランドの地域魅力の発掘やコンセプトメイキングを担当しながら、毎度大手メディアのでっかいパブリシティを獲得してくる超やり手の先輩だった。私が星野リゾートを退職して数年後に、南雲さんは「地域ビジネスプロデューサー」として各地の魅力づくりに携わり、地域の"魅力相関図"なるものや、コンセプトメイキングをしていた。

そんな活動を知っていた私は、絶対南雲さんに一度白老見てもらいたい、白老でも魅力相関図をつくりたい!と思っていて、念願叶って白老に滞在してもらい、魅力相関図の作り方についてレクチャーを受けていたのだった。

せっかく北海道に来てもらったので、ということで、スケジュールを調整してもらい、FMノースウェーブの「NoMaps Radio」にもゲスト出演してもらっている。地域の魅力づくりや魅力相関図のこと、そこのたどり着いたきっかけなど話してもらっているので、ぜひ興味がある人は聴いてもらいたい!(本編3分過ぎくらいから)
ラジオやっててよかったー!!

土から紐解く地域の魅力

ラジオの中でも言っているのだが、南雲さん流の魅力発掘は「土」から入る。一流のシェフが畑の土を食べるように(笑)、南雲さんはその土地のなりたち(地勢)から地域を見ていくのだ。

石狩低地およびその周辺の海陸地質図

改めて、魅力相関図の第一弾を見てもらいたい。
詳しくは、4月に実施するワークショップで解説するのだが、ここにポイントを少し書いておこうと思う(結果、少しじゃなくなっている)。

この部分が「地勢」の部分

右上の赤で囲った部分が、白老(さらにはその近郊)の地勢についてキーワードを出したもの。ポイントとしては、「火山性堆積物(で出来た土地)」「平らな地形(勇払平野から続く、潮流によって出来たシルト・粘土・砂・礫及び泥炭による低地)」「豊かな海・漁場(暖流・寒流がぶつかる場所)」として括っている。
これらの要素が今の白老になっていくベースではないかと思っているので、1個ずつ解説していく。
(専門家ではないので、言い回しや用語が不適切な場合はぜひご指摘をいただけたら嬉しいです)

農業不適格地としての白老 = 基幹産業がなかったことによる創造性

農業不適格地であったことによる産業づくりの試行錯誤

白老は、支笏や樽前などの火山による火山性堆積物で出来ていることから、農業が出来なかった。農業が出来なかったことからこの地域で生きるため・稼ぐために、(成功・失敗も含め)本当にさまざまな産業を生み出している。今でいうところのローカルベンチャー・マイクロベンチャー的なことを、豊かで多様な地域資源と創造性の組み合わせによってずっとやっている地域と言えるのではないかなと思う。

(ちなみに同様に農業不適格な土地である、苫小牧や室蘭は工業の町という選択を、登別は温泉があったことから観光(+漁業)を軸にしたまちづくりを行ってきたということかな…ということと、行政的なリーダーシップが他地域の方が強かったのだろうかとも考えたり)

札幌本道誕生と白老アイヌの人たちの選択

札幌本道誕生と、白老への注目

苫小牧方面から潮流によって堆積した砂や泥が白老町の低地・海岸線の地形を作っている。北海道開拓期に、札幌ー函館間の道路を作るという一大事業があり、そのルートが36号線になっているのだが、当初の計画では、札幌から小樽方面を通って、峠を越えて室蘭に入るルートが候補として挙げられていたそうだ。しかし、峠越えはかなりのコストがかかるということから、低地帯である札幌ー苫小牧ー室蘭のルートで札幌本道をつくるということになったようだ。

札幌本道が開通した際に、明治天皇が行幸しているのだが、その際に白老でも一泊されている。白老のアイヌの人と地域の人が、その一行を大変丁寧にもてなしたことが記録にも残っており、それをきっかけに白老とそこでのアイヌの人たちの暮らしや文化に注目が集まることになる。
白老のアイヌの人たちは、研究者や観光客を迎えるという選択をするのだが、それは白老で生活し続けるため、さらにはアイヌ文化を正しく伝えるための選択であったのだが、当時は"観光アイヌ"と揶揄されたこともあったと記録されている。

白老アイヌ協会の山丸和幸さんは、「先人たちを敬いながら新しい文化をー」と"変化していくこと"をよしとしてくれるのだが、それはこの当時のアイヌの人たちも、敬うことを忘れず変化していく人たちだったのかなと感じている。(一方で、この観光の受け入れという選択に対して、先人を敬うことを忘れてお金を儲けることに走っていった人たちもいるけどともおっしゃっていた)

海と共に暮らしてきた地域

SHIPSが海岸や港の魅力化を…と取り組んでいるにも関わらず、掘り下げが足りていないのが、海にまつわるところ。
縄文時代後期からすでに漁労が行われていたであろう遺跡も出ているところであり、アイヌの人たちも海での暮らしが色濃かった。(ウポポイ学芸員で白老町出身の八幡巴絵さんは、「平取は山のアイヌ、白老は海のアイヌと言われていた」とも言っている。また、和人とアイヌの人々の協業が行われる背景には、乱獲期があり、漁獲量が減ったことも要因になると教えてもらった。)
漁業は奥深すぎて、理解できていない部分が多く、今年は漁業やその歴史についてもっと深く学ぶことに注力しなければいけない。
(今見ると、白老港の場所は、左上の産業づくりのほうに伸びていく方が自然だなと反省…)
私の勉強が足りないのは置いておいて、白老とその暮らしにおいて、やはり漁業は大事な産業であり暮らしや文化とも深く結びついている。ここをしっかり掘り下げて、港の魅力化にも結びつけていきたい。

さまざまなルーツの持ち寄りによって育まれている = 先駆的多文化共生

単独・無組織で入植してきた白老の地域だからこその気風がある?

白老町への入植は、単独・無組織であったと記録が残っている。色々な地域から入植してきたことを想像してみると、生活様式も言葉も文化も違った人たち同士が少しずつすり合わせながら、暮らしていったのではないかというイメージが出来る。先住していたアイヌの文化はもちろん、多文化だったのではないかと思う。
一方で、集落や集団で入植してきたわけでないことから、強者的な理論でなにかを取り込んだり潰したりということも、他地域と比べて起こりにくかったのではないかとも想像できる。
農業には向かず、厳しい生活環境の中で、アイヌの文化も含めてそれぞれの文化をすり合わせ、共存・共生してきたのが白老町なのだと考えると、先駆的な多文化共生地域ともっと言える可能性がある。

全然関係ない話かもしれないが、某雑誌者の営業担当が、他の地域での営業に比べて、白老に来るときはホッとすると言っていた。また、初回のSHIPS AIRで来白していた田中彰くんは、「いろんな地域で滞在制作しているけど、白老町の人はすごく人の話を聞いてくれるように思う(他の地域はもっと自分の話をしたがる)」と言っていた。これらは、上記のような成り立ちや気風から感じ取られているものなのだろうか…

また、先日苫小牧民報の半澤記者と話した際に、「(これまた関係ない話かもしれないが)アイヌ民族文化財団の野本正博さんが、白老は女性が元気なんだよなと言っていた」と聞いた。
これはもしかしたら、共存・共生を前提にした土地だったことを背景に、いわゆる女性の方がコミュニケーション能力に長けていて、そのコミュニケーションの上に多文化な生活が成り立っていたから(女性が元気)と言えたりするんだろうか…など、想像・妄想は尽きない…

ここからさらに未来に向けて

この「魅力相関図」は過去を振り返りながら、白老を白老たらしめているものは何か、そのストーリーを過去から紐解いていくわけだが、(南雲さんもラジオの中で言っているように)これは地域の未来を描くだめの下地のようなものと考えている。
こういった背景、ストーリーがある白老町を、これから10年後20年後みんなでどうしていきたいのか、どうあったら幸せか、ワクワクするのかを一緒に考えていくための材料にしていきたい。
ワークショップでも、この相関図について、より深掘りしていくことはもちろん、どんな白老町になっていってほしいかについても共有していくような機会になったらいいなと思っている。

地域の魅力は奥が深いし、面白い!

ここまで読んでいただいてありがとうございます!
ぜひ、意見や感想、ご指摘などもいただけたら嬉しいです!
南雲さんにもまた来てもらおう!


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