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「E.T」や「シックス・センス」から見る、わからない怖さの克服(アートの話)

「話出来る?ボク人間、男の子、エリオットだ」
エリオット少年やその兄弟が地球外生命体に遭遇する、スティーブン・スピルバーグ監督の名作映画『E.T.』。(ラストはボロ泣き)

「僕、幽霊が見えるんだ…」
小児精神科医のマルコム(ブルース・ウィリス)と幽霊を見ることが出来てしまう少年コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)の感動ホラー、映画『シックス・センス』。(ラストはもちろんボロ泣き)

どちらにも共通するのは、「未知のものとの出会い」と「対話による相手の理解」だと思う。この2作品に関わらず、さまざまなドラマでは、”一見通じ合えないもの”との出会いから、意思疎通し成熟していく様子が描かれる。

エリオットは、子どもならではのとてつもないスピードでE.T.と距離を縮めていくのだが、冒頭では形も色も異なり言葉も通じない未知の生物を怖がっている。また、「シックスセンス」の少年コールも、自分だけが見えてしまう幽霊の存在に恐怖を感じ、理解されない孤独感から心を閉ざしてしまう。

やはり、よくわからないものは、怖いし不安になる
その感覚は、生物として自分の生命の危機を回避するためのものだ。「わからないこと」への恐怖感もその一つと言える。

世の中の「わからないもの」代表選手といえば、「アート」だ。

わからないものには、極力近づきたくないものだ。
私がそうだった。

美術館に行くと、そこには腕を組み、ふむふむと作品を眺める人がいる。
まじまじと作品と作品解説を見ては、「へぇ~」と何かを感じ取っているようにも見える。

いや待って、この作品は何なの?何が言いたいの?
何が「へぇ〜」ポイントだったの?答えが欲しい。答えをくれ。
これは何を言わんとしているのか。
わからない……
わからない私は人間的に何か足りないの?
なぜ私にはわからないの?
ちょっと待って、怖い!

こんな具合だ。
居心地が悪くて仕方ない。こんな不安や恐怖を感じるものにお金を払うわけもなく、アートとは縁遠くなる。そりゃそうだ。

さて、あらためて、「E.T.」と「シックスセンス」を思い出したい。
未知なるものに対峙する少年らは、あの「怖さ」をどうやって克服していただろうか。
「対話」だ。
とくにコール少年は、幽霊が見えることに意味があるのではと幽霊たちの話を聴くという決断をし、彼らの望みや希望を読み取り解決して行くことで大きな成長を遂げて行く。
対話によって相手を理解し、怖さを乗り越えるのだ。

私も、学生時代の経験から言えることがある。
今では感じなくなった「怖さ」の一つに、日常で出会うハンディキャップをもつ人たちの振る舞いがあった。
彼らの行動は時に不可解であり、その行動の意味が分からず「怖さ」を感じることもある。これは偏見や差別にもつながる大変身近な問題だ。

実は、社会福祉士を目指していた時代がある私は、ある授業で、先生が招いたゲストに出会う。ジストニアと言われる筋肉の緊張状態を自身で制御できない病を患っている人だった(と記憶している)。自分の意思とは関係なく動いてしまう「不随意運動」があり、喋るときは苦しそうだったり、身体や手が過剰に緊張状態だったりする。
その授業で彼は、私たち学生の質問に一つずつ答え、その身体の状態や動き、ハンディキャップの捉え方などを教えてくれた。わからないことから生まれる「怖さ」が解消された印象的な出来事だった。

わからないことへの怖さは、知ることで解消される
知るためには、歩み寄り「対話」する必要がある。
一歩踏み込んで、相手を知るアクションで「怖さ」を克服することが出来るのだ。
私と同じようにアートに何か怖さを感じている人がいたら、ぜひ「対話」する機会を探してみてほしい。きっと何かをつかむきっかけになるのではないだろうか。
アート作品は、幽霊や宇宙人が作ったものではない。
さらに現代の作家なら同じ時代を生きている人のものだ。
一歩踏み出すことで、エリオットやコールのように新しい世界が開けるかもしれない。

(一方で、アート業界や現代アーティストが提供する「対話」の場が、不十分でありハードルが高いことも感じているので追記しておこうと思う。)

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