未来を可能にする技術を想像してみる。社会が自分自身の問題をまったく何も気にしないようになっていくことがあってもぜんぜん何も問題ないように、技術はかまわず進むことの凄さに人間たちは驚いてしまうだろう。さらにその先を行くこと。たぶんこれがAIのもつ根本的な優位さだと思う。より良き未来とはこんな感じか。

 人間は見かけにとてもこだわる。見かけの良さは他の性質においても優位な可能性を持っているのだろうか。見かけの良さを保ち続けるにはそれなりのコストがかかる。それを支払ってさらに見かけの良さにまで到達できるのは優れた性質を持っている証拠になるのだろうか。キレイさ見かけのすばらしさかわいさ強く見えることなど。こういうことにとてもこだわるのに自分自身の見掛けや小綺麗な身だしなみにはまったくどうでもいいような人たちもいる。オタクな人たちである。オタクな人はこだわる人である。
 ところが、そういうことを気にしないで、こだわりに対して支配されない人もいる。特別な生き方に執着しない人。昨日の自分が明日の自分と何のつながりもなくても生きていくことに何の問題もない、つまり今日何をするかについて全くの偶然に身を任せられる人。そんな人ホントにいるのか?

 人生は結局のところ勝ち負けだけどそれより肝心なことは勝ち負けのゲームがよくできるようにするためにはそれを可能にする何かがよくできていなければならない。あらゆることが受け入れられることは不可能だけどどこまでそれが可能であるかは結構その社会の弾力性によるのだろう。レジリエンスとかが流行っている。

 何かにこだわることが単なる趣味に過ぎなくなって形而上学的精神的な空白が埋められなくなって筋の通った信条が意味をなくすとストレスが溜まってスケープゴート探しをするようになる。アイドルやテレビヒーローが埋めることができるのはもっぱら個人的な趣味の世界だけである。不安を埋めるには何かが必要だけれどそれを趣味の世界から見出すのは難しい。ところが、いまではもう若いとは言えない女性やたまに男性の中にもキャラクターの小さなフィギュアをバックや持ち物につけている人もたくさんいる。こういうものが不安を和らげてくれるためにはいったい何があればいいのだろう。
 ともあれ、こういう小さなかわいいユーモアのあるキャラクターのフィギュアはスケープゴート探しに抵抗することができるかもしれない。
 彼らは日本的なアニミズムの末裔かもしれない。その雑多性、自分の好みのキャラクターが他人の好きなキャラクターと違っていてもほとんど問題にはならない。それはたまたまだ。単なる縁の問題だ。自分が良くて誰かほかの人が悪いとは思はない。「わがこころのよくてころさぬにはあらず」というわけだ。

 ではいったい何が意識のあり様として関心の持ち方として一番の問題になるか。若い世代では地球環境問題である。これはどう考えても国民国家の問題とは違う。この共通の意識では国家や国民の存在は見えていない。その代わりに気になることは地球の美しさである。これは世代を通じて世代を超えて個人の美意識をかたちづくる。
 この起源は1969年のアポロ宇宙船の月から見える殺伐とした宇宙空間のなかで例外的に美しい地球のすがただった。この時にアメリカの戦争をする国家というあり方が否定されて地政学的なアメリカが背景に去って地球意識に置き換わる。
 ヴェトナムから撤退してアメリカは以後、兵力を含めて、全力を賭ける戦争をしなくなる。アメリカの戦争は監視システムへと特化してもっぱらテロリスト退治に専念することになった。情報ハイウエイの監視交通警察?もちろんどんどん肥大化するよね。
 
 人間の共同体から生命の世界へ意識の中心がイメージの世界へ移ってしまう。このときから福祉社会の後退が始まる。つまり、持続可能性が問題となっていく。それは福祉社会の起源がどこにあったのかを考えればわかる。それは戦争を戦う兵士の問題から、帰ってきた兵士の生活の保障の問題から制度がつくられたからだった。戦争の否定は国民皆兵の否定になるから兵士の福祉は問題から消え去る。なぜ戦争をするかというと国際的な生き残り国民の発展を目標にしていた。戦争が退場しても生き残りや発展の問題も消えてなくなるわけはない。それが個人の問題へ移っていく。これがアポロの意味だった。ところがこのアポロの意識を切実に感じられる人間になるには教育やら教養やらの問題をクリアーできなければならない。これはロマンではなく学歴の問題であった。
 宇宙飛行士になるには大学を卒業していなければならなかった。初めて音速の壁を越えたテストパイロットの生ける伝説、高卒の撃墜王のチャック・イエーガーは宇宙へはいけない。彼はライトスタッフではないからである。

 学歴によってロマンを手に入れるというのは理解の難しいことになる。これがおそらく男たちの大学進学率を押しとどめて低下傾向へ向かうきっかけになったのかもしれない。
 実際アメリカはアポロをやめてしまった。ロケットの技術は発展をやめてしまったのでいまだにロケットの技術は完成にはほど遠い段階にとどまっている。しかしまたついにというべきか、本格的な戦争が大規模な高性能のミサイル戦争へと今度はスマートな使い勝手の良い適度な破壊力を持った核兵器の開発をともなって帰ってきたのでロケットの技術開発がまた始まろうとしている。
 今度は火星に有人宇宙船を送るというのだ。小規模な無人攻撃機の戦争から大規模なロケット開発のロマンへ危機的な地政学的な状況を越えていけるのだろうか。「わがこころのよくてころさぬにはあらず」ならばおぼつかない偶然の小さな神々のナヴィゲーションに期待するほかあるまい。

 アメリカにまたロマンの世界が帰ってくる。トランプとテイラースウィフトだ。まるでコインの裏表のように何故かとても良く似ている気がするけどまったく違う。規模の大きさが同じ感じがするわけだ。似ているのはアメリカの若者が死んでしまうような戦争はしないということだろう。では、大規模なミサイル戦争は誰がするのか。岸田文雄さんに言ってもしょうがないんですけど。民主的な機能が何かおかしなものに引きずられてどこかに行ってしまい富裕なものたちの小さな集団が国家や企業や国際機関の運営をするようになり内輪だけに閉じた仲間内には好評な常識みたいなもので支配システムが変わっていく。政治や経済や科学や技術やスポーツ競技やエンターテインメント産業が富裕な人たちの好みのままに変化していくだろう。よく勉強して高度なスキルもあるしスペックは申し分ない人たちのエリート主義集団の、特別な秘伝を授けられたものたちだけによる、ごく狭い小集団の中でしか理解されない用語を使って、たがいに話し合うことを続けるなら、そこに集まっている分野ごとの集団は必然的に他の人々から切離されてしまう。その孤立した陽気な専門家集団の内部で行われる秘教の論調がいかに鋭いものであっても、結局それは動脈硬化におちいって衰退するだろう。
 
 地上には大規模なデータセンターがもっともっと必要とされる。何時しか地上ではその電力が賄いきれなくなるだろう。だから宇宙へ出ていくほかはない。太陽エネルギーを直接使うのだ。衛星軌道にたくさんのデータセンター衛星を置きまくるしかない。それらが連携して互いに互いのバックアップしながら複雑でレジリエントなシステムを構築していくしかない。人類がそういうことに魅力を感じて本気でそういうシステムみたいなのを真似をしようかなって思うかどうかかもしれない。そこに君のロマンはあるか。
 その技術にはたくさんのAIたちからなるまた大規模なシステムをつくっていかねばならない力が必要だ。 
 
 動脈硬化におちいって衰退してしまう指導的な集団は自分たち以外の遠く離れた人々の知恵もAIによって収集できれば誰にでも開かれた技術システムが成立するので、高度な文化的資本に恵まれた学歴集団の内輪のサークルによらない、大規模な自動的に生成発展できるテクノロジーが立ちあがれば、民主的な機能を回復させて人々に自律的に生きるしかたを伝授するかもしれない。広大な宇宙空間で太陽エネルギーを効率的に集めて分配して生物のように自分自身を自分自身で自己メンテナンスできるようにならなければ広大な宇宙空間ではつらつといつでも、いちいち人間の直接的な活動に頼ることはほぼ時間的にも空間の広さからも不可能だから、そうできるのでなければそれは維持して持続できないからそういうものにまで進歩していくだろう。
 そのころには、可能性の広がりによって、人間のうちには、一生のうちに、そういう技術システムに同化してしまって機械のその一部になって暮らす時期を過ごすものも出てくるだろう。広大な宇宙の中を遠く離れながら長大な歌を歌うようにたがいにコミュニケーションをとるクジラのようなものたちに一体化することもあるのだろうか。

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