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一重まぶたの憂鬱

コンプレックスは他人には理解できないものが多いとも言うが、他者がいなければコンプレックスなんて生まれない。特に見た目におけるコンプレックスが形成されるのは思春期に多い。実に闇だ。
文章として残しておこうと思うのは、とても悩まされた一重まぶたについて。


生まれてからずっと一重まぶたの私。
コンプレックスの話から始めたが結論から言うと私は一重まぶたがコンプレックスではない。
正しく言うと「今は」コンプレックスではない。

自分が一重まぶただということを認識したのはいつだったろうか。そしてそれが、日本人が抱くコンプレックスランキングの上位に君臨する特徴だということも。

そして30年間、一重まぶたで生きてきて
ここで言えることはひとつ。

一重まぶたがコンプレックスなのは
「個人」ではなく「世間」だ
ということ。

可愛い=二重まぶた ?

一重まぶたが突然気になるようになったのは中学生の頃。どんな順序だったか忘れたが、(結局一度も手を出さなかった)アイプチの存在もそのころに知った。

雑誌で見るような可愛い女の子はみんな二重でまつ毛が長くて目が大きくて…そんな姿を、かわいいな〜と眺めていた。可愛い子を見つけては「やはりこの子も二重か…」「というかこの雑誌に一重の子は1人もいないな」とまぶたの構造ばかりに目がいく。そしてクラスメイトの中に一重まぶたを見つけては、勝手に仲間意識を抱く。

既に、そして完全に、コンプレックスである。

しかし不思議と自分が二重になりたいとは思っていなかった。なんていうか自分が「二重になりたい」と努力するのを恥ずかしがっていたともいう。可愛くなろうとするのが恥ずかしい、って感じだろうか。ティーン向けファッション誌も、読んでいると家族に知られるのが嫌で学校帰りに毎日本屋さんに寄って立ち読みしていた。
ではまぶたに関して何を思っていたかというと、「一重まぶたで、可愛いって言われてる人っていないのかな?一重はみんな可愛くないのかな?一重のまんま、容姿を認められることってできないのかな?」とどうにか努力なくしてありのままの自分を肯定されるような抜け道を探していた。

(なぜこんなにも気にしているのに二重になることに憧れなかったかというと、姉が一度だけアイプチで二重にしてくれたその顔があまりにも自分に似合っていなくて「なんだこれ!全然可愛くないじゃん!二重になったらみんな可愛くなると思ってたのにならないってこともあるんだ!」と絶望したからだ。)

「目が細い、目が小さい、一重だね」
とかいろんなことを言われてきて(悪気がある子も悪気がない子もむしろ褒めていた子もいたのかもしれないが)まぶたのことしか考えられない時期もあった。これが、思春期の闇だなと今となっては思う。気にしていなかったとしても、可愛くなりたい女の子たちの「こうあるべき、こういうのが最高、こうじゃないと恥ずかしい」という集団意識に触れて勝手にコンプレックスが形成されていく。

中高時代、人の容姿に簡単に口を出す子が私の周りには結構たくさんいてとても苦手だった。さぞかし自分に自信があるんでしょうね…とその子を眺める。まぶた以外にもいろんなパーツにコメントしてくる子とは、もう一生分かり合えることはないな。価値観の違いが大きすぎるな。とかなり大袈裟に目に見えぬ境界線を引いていた。
もし私が君だったら、その性格と価値観の方がよっぽどコンプレックスだわ!絶対なりたくない!(口悪)

それなのに、アイプチで二重にしてる同級生を見ると、なんとか肯定しようとしている一重まぶたを否定された気持ちになって「絶対そのまんまの方が似合うのに…」とスーパー余計なお世話な一言を心の中で呟くのだった。苦手な人とこの思い、矛盾してると思うけど、人の心なんてそんなもんだよな。それと同時に、やはり可愛くなるための第一関門は二重になることなのかも…と再確認し「二重に憧れるけど恥ずかしい自分」と「自分の目を好きになりたい自分」とがいつもせめぎ合うのだった。
そして今日も、雑誌にもテレビにもかわいいとされる一重まぶたの女性はいなかった。

加齢とまぶた

家族で唯一、一重まぶたの私。
「一重が嫌っていうか、腫れぼったいのが嫌なんだよね」(ていうか、の使い方がまるであっていない。その特徴は大体イコールだろ笑)みたいなことを父に言ったことがある。すると父は「俺も小さい頃は一重だったよ」と答えた。

え、そうなん…?

父に聞いて知ったのは、まぶたは加齢と共に脂肪が減って二重になることがあるということ。
要は たるみ なわけだが、いつか二重になるなら今は自分の目を好きになった方が建設的なのでは?と考えるようになった。これは私のコンプレックス史に残る大きな出来事、気付きである。いつか大きめに目が開くポテンシャルを持っているのかも…とまぶたを軽く撫でた。

加齢とまぶたに関してはまた後で。

自分の目の形を知る

時は過ぎ大学生一年生の春。
それまでメイクなど一切したことがなかった私も、さすがにしてみんとてするなり〜!と姉にメイクを教えてもらうことにした。
アイメイクの講座の際、姉が私の顔を見てA4の真っ白な紙に私の目の形をささっと書いて「こういう目の形だから〜」と紙の上の私のまぶたにアイシャドウを塗って説明してくれた。

え、そうなん…?

私の目は平行四辺形の形をしていてなんか目つきが悪い。ということしかわかっていなかったのだが
「この線をみんなは描くけど、もうこういう目の形だから描かなくていい。むしろここをこうした方がいい。逆にまぶたの影が目尻にあるから…涙袋は…」と特徴と共にアイメイクを教えてくれた。
細い目から鱗が落ちる。アブナイ!ホソイカラササルヨ!

生まれて初めて、自分の目をまじまじと否定的な気持ち無しで観察した。(自分の目の形を知ってないとアイメイクってできないんだなぁ。 すみのえ)

余談だが、私の目は横向きに見ると鳥みたいな形をしていて鳥好きな私たち姉妹は「ほんとだ!!鳥だ!小鳥が止まってるみたい!!」と盛り上がった。意味わからないですか?でも、本当に鳥みたいな形なんです。

左 向かって右側の私の目(画面上側に鼻)
右 木に止まって上を見ている小鳥

目の左右の囲みなんやねんって感じ?目頭は粘膜めっちゃ見えちゃってるし、目尻は区切りが濃い。謎の色素沈着。

まぶたの形に悩む同志たち

「一重まぶた 芸能人」
「一重まぶた 美人」
「一重 メイク」
「一重 奥二重 違い」

一重まぶたを気にしている人は誰しもこういう言葉を検索窓に入力したことがあるのではないか。ソースは私、そして「一重…」と打つだけで次々と出てくる先人たちの検索履歴を元にした予測変換。

これらを調べても大抵いいことはない。
「一重まぶたでも美人!」と書かれている記事に出てくる人たちはこぞって奥二重だし、「〜でも」ってまずなんだよ。これ絶対二重の人が書いただろ。奥二重は二重なんだよ。奥二重の悩みと一重まぶたの悩みは別の記事にしろ。
(一重“でも”かわいい人を探して記事を書いてお金を得た人、調査が足りません、返金してください!笑)

…と虚しくなって鏡の前に立ち「パッとしねぇ顔だなー」と自分と見つめ合うことになる。


一重ブームと勝ち組

最近巷では一重ブームがきているらしい。
韓国アイドルが日本で流行っているからということだが、何も嬉しくない。なにブームにしてくれとんねん、生まれてずっとこの顔なんですけど?流行り顔って嬉しい?メイクじゃないよ、形だよ?いずれブームが去った後に「流行った顔、目の形だね」とか言われるわけ?笑
一重を気にしていて韓国アイドルがすきな人なら、ブームなんです!と言われて喜べるのかな…。

(ここまで一重まぶたについてグダグダと書いてきたけど、もういいわと思ったらそろそろ読むのを終わりにしてください。憂さ晴らしはまだ続きます。)

一重と言っても、もちろん人の顔なので個性があっていろんなタイプ、形がある。
私の目はいちいち切り込みが鋭くて切長なのだが、たまーーーーーに「勝ち組の一重」と言われることがある。これって、もしかしたら読んでる人の中で他人に言ったことがある人もいるかもしれないけど本当に褒め言葉になってるか今一度考えて欲しい。

「勝ち組の一重」ってまじで誰が考えた言葉なんだろう。いつの間にか何かに負けており、人の顔に勝ち負けをつけられている。そんな失礼なことってある?と思うのだが、何故か他人はそれを褒め言葉として使う。勝ちって言ってるんだからいいじゃん!って感じ?「一重まぶただと本当は負けだけど…」という隠れた前振りがそこに存在していることに気づいて欲しい。

この言葉こそ、一重まぶたにコンプレックスを感じているのは個人ではなく世間だなと私が思う要因だ。みんなが二重まぶた > 一重まぶたと(無意識に)捉えているからこそ「勝ち組の一重」という表現が説明なしに理解できるわけだ。
一重まぶたにコンプレックスを感じていなかった人なら「勝ち負けとか気にしてなかったけど、まず負けてたんかい!」ときっとツッコむことでしょう。

加齢とまぶた②

昔の写真を引き合いに出し整形を疑われるアイドルがいる。小中学生の時代の卒業アルバムの写真と宣材写真を比べられたり、目の部分だけ大きく引き伸ばされ比較されたりと散々な目に遭う彼女ら。

もちろん中には整形をした人もいるだろうしそれを隠したい人もいるかもしれないけど、あれって加齢に伴うものも多いと思うのだ。幼いうちからアイドルをやっていれば尚更。まぶたに脂肪を蓄えておけなくなって痩せるのだ、これは紛れもない事実。

かくいう私も、まぶたの腫れぼったい印象は思春期に比べて薄くなった。寝起きやグッと力を入れた時、謎の線(いや普通にシワだろ)がまぶたを横切り、ショボショボとまぶたが薄く折れ曲がる。決して二重とは言えないが、あんなに厚かったまぶたに線が入る時が来るとは…目元のハリは若さの証。まぶたも同じく。若い子は栄養豊富だなと感心する。

今年私は30歳になった。見慣れているはずの鏡の自分と向き合いながら、この線(だからシワだろ)っていずれ二重になるのかな…?とまぶたを視線でなぞる。

下から見上げるような形になると線が濃くなるんだな。こっわ…。え、これってちゃんと折り畳まれたらかわいく上目遣いになるのかな。もう上目遣いしたいシーンなんてないけど…笑

「今は」コンプレックスではない

冒頭にちょこっと書いた文だが、本当にこれに尽きる。見た目ばかり気にして、でも行動に移すのが恥ずかしかった思春期はいつの間にか終わり、“他人の”目の形を一切気にしなくなった。なんというか、めちゃくちゃどうでも良くなったと言っても過言ではない。だからこの記事は、思春期の頃の感情を思い出して憂さ晴らししている感覚だ。一重だから、二重だからってなに?そこ大事?と、大人になるともっと見るべきところがあることに気がつく。一重の有名人は?自分の周りの一重の人は?と聞かれても、全然思い浮かばない。いるはずなのに。

いつからこうなったのかな?と考えてみると、大学生の頃に見た目をゴリゴリに気にする友人らとつるんでいなかったおかげかもしれない。自分の容姿を認めない気持ちなんてどうでも良くなるくらい内面でお互いを認め合えていたんだと思う。記憶を辿っても誰1人、目の形でカテゴライズできない。本人から聞いた“自分の目の形の説明”だけ覚えている。丸いとか縦幅がーとか、二重幅がー、というのだけ。いやーまじで楽しかったなぁ大学…テスト期間じゃない1週間だけ戻りたい。(突然話逸れまくる)

やっぱり、他者の存在がコンプレックスの形成を左右するのだ。周りの環境が大事だね。大学のみんなありがとう。大好き〜

最後に、1番書き残しておきたいこと

私と全く同じ目の形で生まれた娘へ。

貴方のお父さんはバッチバチの二重で目が大きく、私のこれまでの悩みとは最も遠い所にいた人です。生まれる前にお父さんに似たらいいなと思っていたり、なんか外見について他人から言われるのが嫌で、私とそっくりで〜と自分から言っちゃったりしてます。お母さんが守ろうとしているのはお母さん自身かもしれないね、ごめん。お母さんが抱いていた思春期のコンプレックスに触れない人生のお父さんの目だったとしても嬉しいし、私の目にそっくりでも嬉しい。どちらでも嬉しい。本当は見た目なんてどうでも良いの。不思議なもんでね。

でもね、思うのは自由だとしてもそれを口にしてくる人がいる。似てるね、とかじゃなくて容姿を言語化しようとしてくる人。愛おしさではない、自己満足のような感情でカテゴライズをしてくる人。

貴方がいつかそんな言葉で削られませんように。
自分を消費せず自分を好きになれますように。
貴方の美しさを知るのと同じように、
他人の美しさに気がつきますように。
外見に対するブームだなんて、勝ち組だなんて、
そんな言葉がなくなっていますように。


PS
この記事を書きながら免許更新に行ってきました。目がパキッと開くように朝からマッサージしましたが娘の夜中の覚醒のおかげで寝不足で、パンッとハリのある写真になりました。

うーん……
もう他人と比べてしまうようなコンプレックスじゃないけど、それとは別のところに自分にとってのベストはあるわけで……苦笑
まだ若かったということにしておくか。

娘とお留守番してくれていた夫に、力を入れた時に出るまぶたの謎の線(シワ)の説明をしながら「ねえこれって上目遣いになる?」と聞いたら「ふふふ」と言っていました。

一重まぶたの憂鬱は今日も続く…

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