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幸田露伴の随筆「潮待ち草1~5」

潮待ち草

一 干潟の舟
 風に向かって舟を進めるには間切ると云う工夫もあり、流れに逆らって舟を進めるには押し切ると云う意地もあるが、ただ春の日の干潮の時のように遠浅の海のことごとくが干潟となっては、意地にも工夫にも舟を進める手段は無く、いたずらに心をイラつかせるだけである。かつてこのことを云い出して、「このような時にも何か手段(てだて)はないものか」と、老いて何事にも巧みな船頭に尋ねたところ、船頭は笑って、「何時でも艫綱(ともづな)を解いて舟を出したいのであれば、何時も水がある所へ舟を繫ぎなさい。私等は繋ぐ時には解く時のことを思って繋ぎ、解く時には繋ぐ時のことを思って解きます。素人は繋ぐ時に解くことを思わず、解く時に繋ぐことを思わないので、帰りたいと思っても帰れなくなり、進もうと思っても進めなくなって、いたずらに干潟の中で心をイラつかせることになるのです。モシ既に舟が干潟で動けなくなって仕舞ったら私等でも何の手段も取れません。ただ、やがて来る動ける時のために少し早くても食事などを済ませて、足縺(あしもつ)れなどをしないよう舟の中の片付けなどをして、猶も余裕のある時は舟の道具を丁寧に調べて修繕などをし、時と潮を待つのが好いです、潮を待つなどは愚かなようですが待たないよりは賢い方法です。何時か一度はやらなければならないことをやりながら潮を待てば、大抵はそのことをやり終えない中に何時の間にか潮がやって来ます。何時か一度はやらなければならないことは小さな舟の中でも多いもので、潮を待つ間にすることが無いと云うことはありません。潮を待つ間にすることを見つけてこれをしていれば、ただ時間の足りないことを感じるだけで、焦ることなど生まれるハズもありません」と云った。おもしろい言葉だと思ったのを今でも忘れない。

注解
・間切る:帆を操って風上へ舟を進める操法。
・艫綱:舟を岸につなぐ綱。

二 山の色
 東京で筑波山があざやかに見えれば、筑波の方から風が来て、富士山が良く晴れて見えれば富士の方から風が吹き、安房や上総の山々が青く澄んで顕われれば南風が吹く。すべて何処の土地でもこのように山は風を見せ風はまた山を見せるので、「山を見せる」、「風を見せる」と云う言葉さえ有るほどである。しかし、風を明らかに見せる山を描いた画で、その前景にも風の状態が描かれているものは大層少ない。画を描く人は能く山水草木を描くが、少しも気象(大気の状態)を知らない、小説を作る者が空しく眼や鼻や髪形を記して、その人の人物を伝えることに疎いようでは、画も小説も絵空事のようなものになって仕舞うだろう。

三 嘉相
 雲州(うんしゅう・出雲)の尼子経久(あまこつねひさ)は恬淡寡欲(てんたんかよく)の人で、領民を憐れみ家臣を愛し、善く人に施して吝(お)しまず、所持する物は書画・衣服・太刀・馬の鞍に至るまで、人が之を褒めると、「それほど愛(いと)しく思うのであれば其方(そなた)へ遣(つか)わす」と云って直ちに与えたと云う。この人は毎年の暮れには自分が着ている衣服まで脱いで家来どもに与えて、自分は薄綿の小袖一ツで数日を過ごしたが、寒そうな顔もしないで手足も凍えず、まるで暮春温暖の時の人の顔を見るようであったと云う。もちろん一国の領主ともなった人なので、当然のこと寒酸の顔などあるハズも無いが、ただ薄綿の小袖一ツで冬の日を暖(あたた)かそうな顔で過ごしたと云うことに、その人柄の福々しい鷹揚さが思いやられて、三百余年も隔(へだ)たった私さえ何とも云えない懐かしさを覚えるが、まして当時の家臣や領民はさぞかし心を寄せたものと思われる。身を苦しめて財を遺(のこ)し、財を遺して争いを生み出す世のバカ者には、たとえ巨万の富を持つと云えども、経久のような相貌は有り得難いことであろう。

注解
・恬淡寡欲の人:サッパリした欲の少ない人。
・薄綿の小袖:綿の少ない短袖の綿入れの着物。

四 氷のきらめき
 自分に必要なものを人に与えるのは難しいが、自分に必要でなく人に役立つ物ならば速やかに贈るのが宜しい。白紙を多く貯えれば紙魚(しみ)がいつの間にか之を蝕(むしば)み、ネルを多く蓄えて之を持てばネルの虫がいつか之を食う。有から無に行くのが物の定めなので、たとえ石の箱に収納して鉄の錠で固めても、月日が経てば桃は必ずその甘さを失い、橙(だいだい)は必ずその芳しい香りを失う。或いは能く物が保存されたとしても、物が残って人が死んでは何の役にも立たない。味が甘く香りの芳しいうちに人に与える他は無い。むかし元載と云う金持ちは死後に八百石の胡椒を遺(のこ)したと云う。どんなに多くの客をもてなすにしても、八百石の胡椒をソモソモどうしようと云うのだ。財に富んでも徳の貧しい人がやることは総べてこんなもので、憐れなものである。或る人は外国から帰ってきた友に大層美しい玻璃(はり・水晶)の瓶子(へいし・酒器)を貰ったが、物惜しみの甚だしい男なので、之の壊れることを恐れて、桃の節句の白酒を盛る容器に用いようと妻が云うのも聞かないで、ただ箱の中にしまって置いた。なのに、或る時フとその箱を開いて見ると、いつ何の衝撃で壊れたものか、悲しいことに三ツ四ツに砕け割れていたので、妻を責め下女を罵って、「お前等がコウしたのだろう」と雷が落ちたように怒り喚き、やがて「全く存じません」と訴えてすすり泣く妻や下女と共に、自分もひたすらすすり泣きして、氷のようなキラキラ光る目の前の欠片(かけら)を見ては恨み嘆いた。瓶子は酒や水などを入れてこそ役に立つ。傍目(はため)からこの男のことを考えれば、一度でもその瓶子を使用していれば、ただ瓶子を貰って瓶子が壊れただけのことで、真(まこと)の涙で泣きに泣くような愚かな様(ざま)を見せることも無かっただろにと思う。かえすがえすも自分が使わないものは人に与えるのが好い。共に悦び微笑(ほほえ)むことが無くとも、共に恨んで泣くよりは賢(かしこ)いだろう。

注解
・紙魚:紙を食う虫。
・ネル:フランネル(毛織物)の略称。
・玻璃:水晶、ガラスの異称。
・瓶子:壷の一種で口縁部が細く窄まる比較的小型の器、主に酒器として用いられた。

五 玉手箱
 好んで冗談を云う男が、「世の中で浦島太郎ほど気の好い人は居ない。その中に何が入っているのか分からない缶詰を貰って、これを貴方に差し上げますが但し開けてなりません、などと云われれば今の人で怒らない人は無い。潮満つ玉、潮干る珠、枝珊瑚、五色の瑠璃(るり)など竜宮の宝は多いのに、それ等は望まないで、開くなと云われた得体のしれない缶詰一ツ貰って遥々と遠い道を持ち帰った浦島太郎は、古今第一のお人好しだ。それに引きかえ乙姫はこれまた恐ろしい女で、後世の胡麻の灰の柳行李(やなぎこうり)や詐欺師の鞄(かばん)なども、乙姫の知恵にはかなわない。しかもボロに包んだ石や札束のようにこしらえた紙束などの手品の種を置かないで、玉手箱を開けた者の方が悪いように思わすところの、その遣り口は面憎いほど深い。水引と熨斗鮑(のしあわび)だけが立派で中には何も無く、目録だけを入れた乙姫は古今第一の腹黒だろう」と云えば、一座の人は皆腹を抱えて笑ったが、中に一人の男が真顔になって、「乙姫は酷(むご)いがそれでも古風でゆかしい、私の父は少しは世に知られた男だが、病気が重くなって死が近づいた時に、美しい手箱を私に渡し、俺が死んだらコレを開けと云って死んだ。そこで早速その箱を開いて見ると財産目録などは影も形も無く、負債の覚書だけがあったので、白髪の翁に変わるような仙人界の楽しみに遇うことも無く、私はアッと驚いて見る見る顔が皺(しわ)んで心が萎(な)えて急にこのように老い込んで仕舞った。浦島は乙姫を腹黒いと思ったかも知れないが、せめて私はその何もない玉手箱でも貰えたらと羨ましく思う」と云った。

注解
・胡麻の灰:旅人を装って、道中の旅客の持ち物を盗み取ったどろぼう。柳行李は柳や竹で編んだ旅人の荷物入れ。


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