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幸田露伴・明治の東京で「一日無事」

一日無事

 庭先の梅の木も、痩せてはいるが花を開き、木綿の着物の袖にゆかしい香りを染めれば、出入る度に「我が家好し」と次第に思う今日この頃、不自由も馴れれば辛いことも無く、人の訪れの無いことも中々嬉しいと籠って居ると、先ず第一は暁の鶯さまが、さし餌献上した覚えも無いのに何処から御出なされたか、楞伽疲れにたわいなく眠っている私を、「起きろ起きろ」と呼び覚まされるご親切、「かたじけない、お天気が好くてお互いに結構でございます」と東の雨戸を開ければ、情け深い風どのは、「おはようござる」と物言い振りも柔らかに挨拶されて過ぎてゆき、美しい雲の冠を着たお日さまは「朕はお前を愛しむぞ」と冥加に余る勅語を赫々とした威厳の輝きの中から下されて、加持灌頂の御恵みを垂れ給うありがたさに、気も活き活きと其処らを片付けて、冷や水で顔を洗って我が一日の本卦を考え、新聞二三枚に昨日のさまざま、いろいろな人が泣いたり笑ったり怒ったりされた、実情・薄情・無理・道理の跡を拝見し、えらい人のいつもいつも多いのに恐れ入って、そのまま右も左も差し置いて、何は無くとも米の飯を色気なしに七・八杯ぱくつくが極楽と朝食を終え、それより夕方まで客無ければ無言、客あれば何の話でも嫌わずに聞いたり喋ったり。夜は妹と虬(みずち)と猿の話・洗足の盥(たらい)の話・孔雀が女房を追い出して青雀を妻にした話などをしてやる代わりに、(箏曲)七小町五段砧などを所望して下手な爪音を贔屓耳におもしろく聞いて褒めれば、「帯揚げを買って呉れ」と直ぐに付け込むところを、「ドッコイこういう話がある、むかし大蛇(うわばみ)が酒に酔った時ミミズに歌を唄わせて大層感心した、実にミミズやお前の歌は簫のようで、横笛を遠くから聞くようで、天女が恨みをいうようで、玉がきしるようで、胡弓が響くようで、面白かったと褒めるとミミズが増長して、私の歌はもっと面白いのがございます、それを聞きたければ私の好物のケンポ梨を私に頂戴させて下さいと云うと、大蛇は承知して早速ケンポ梨を咥えて来てミミズに遣った、するとミミズが歌い出したが、ケンポ梨を咥えて居る間に大蛇の酔いはすっかり醒めて仕舞った、もともと歌など面白くも無い、コラ、ミミズ歌を止めろ、お前の歌は蚊が唸るようで、破れ笛のようで、犬の子が母に別れた恨みをいうようで、門の扉がきしるようで、実に詰らない、不届きな奴、ケンポ梨を遣って仕舞ったのは仕方ないが、その代わりにお前の歯は取り上げて仕舞うと歯を残らず取って仕舞った、こんな訳で今もミミズには歯が無いそうだが、何とミミズも歯を取られてはケンポ梨を持って居ても仕方あるまい、お前もよく考えろ」と云うと、しばし考えた後、「兄さんのお話はずるいようです、一体それは何の本にあるお話ですか、今お拵(こしら)えなすったのではありませんか、孔雀の話のように矢張りお経にありますか」と問い返されてグッと詰まり、「あるとも禁一切請求経というものにある」と云えば、「そんならケンポ梨とはどうゆう字が書いてありますか」と釘を刺され、ハッとばかりに恐縮して、「ウウ、仕方が無い実は兄さんが急ごしらえの御経だから未だ字が決まっていない」と笑い出す。「そらそらずるい」と責めかけられて、「あやまった、あやまった」と降伏する頃に九時の鐘の音、「もう寝ろ、明日が眠いぞ」と先にやすませて、またしばらく何かと時を費やし、「イザ寝るか」という時に記す日記に「一日無事」。
(明治二十五年三月)

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