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幸田露伴の随筆「潮待ち草45」

四十五 文芸の評
 江戸の近くに在るので、飛鳥山や道灌山も山の名をもって呼ばれ、京都の中に在るので音羽の滝も滝を名乗る。しかし奥深い田舎の地に在っては、飛鳥山や道灌山を十倍・二十倍にしたほどの山も、呼ばれる名も無く、山とも云われずに年月を経、また音羽の滝を三十倍・四十倍にしたほどの滝も、人のうわさにも上らずに、勿体なくも水だけを絶え間なく流れ落としているのが常である。これと同じように文学の上でも、それほど持て囃すことも無い作品が、幸運にも凄まじく持て囃されることがあり、また褒め称えられる価値がありながら作品名さえ人に称えらずに、不運にも空しく紙魚(しみ)の住処(すみか)になって終わるものある。
 文学を語るほどの者は、少なくともこのような事が世に多いことに配慮し、皆が佳(よ)いと云ってもそれに雷同して佳(よ)しとはしない、人が皆棄てて顧みなくても自分は三たび顧みる心掛けが、無くてならないのである。モシそれが、人の褒めるものを自分も褒め、人の貶すものを自分も貶すようでは、矮人観場(わいじんかんじょう)と云って甚だ見苦しいことである。また人が褒めると自分は敢えてそれを貶(けな)し、人が貶すと自分は敢えてそれを褒める者も居る。この類の人は大層宜しくない性質と、大層穏やかで無い心情を持った人であって、その行為(おこない)の見苦しさは矮人観場の振る舞いよりも見苦しさが勝る。嫉妬心の強い人や反発心の強い人は皆このようなことをするものである。ヨクヨク用心してこのような人の意見に惑わさることなく、また自分もこのような行為をすることのないようにすべきである。
 人に雷同せず、また敢えて人に反抗せず、自分は自分の偽りない純粋な感興に応じて、その作品の真価を評価しようとするのは、いやしくも文学を楽しみにし、もしくは文学を研究し、もしくは文学の批評家になり、もしくは文学史を作ろうとするほどの者が、持っていなくてはならない条件である。特に文学史の著述に従事しようとする者にはこのような心掛けが最も重要である。そうでなければ、幾多の書のすでに有している幸運や不運のために眼を眩まされて、常に幸運な書を賞賛し常に不運な書を排斥するような、矮人観場の愚かさを現わしたり、或いは妄(みだ)りに前人の定説を覆そうとするような、「謀叛人的(むほんにんてき)な議論」を展開するようになる傾向を免れない。非情の山水にも運不運があるのが世の習いであれば、まして人の感情に副(そ)ったり逆らったりする文学上の著述が、或いは幸運にも称賛され、或いは不運にも排斥されるのは、免れないことだと云える。しかし小丘を小丘と記し高山を高山と記すのが地学誌を作る者の正しい務めで、文学史に忘れてはいけないものを遺(のこ)さなくてはとして記し、取るに足りないものを取るに足りないとして棄てるのが、文学史を作る者の正しい任務ではないだろうか。
 であるのに、「他人の文学史を見て我が文学史を作り」、もしくは「他人の文学史に反対して我が文学史を作る」等のことになれば、その結果が甚だ宜しくないものになるのは明らかである。私が所持している各種の文学史の中には、「強いて他人の文学史に反対して作る文学史」は無いようであるが、「他人の文学史から作る文学史」が無いことも無いように思われる。でなければ何で諸家の見解がよく適合一致して、その間に論争抗議などの起こることの甚だ少ないことなどがあろうか。私は従来の諸文学史によって与えられた、幾多の幸運な著述の頭上に耀くうるわしい栄冠を奪い取りはしない。しかし不運にも顧みられない幾多の著述が、余りに冠もなく衣もなく無残にも棄て去られたことに対して悲しまざるを得ない。
 試みにその一二を語ろう。人は何で「義経記(ぎけいき)」や「曽我物語」を棄てて顧みないのか。徳川文学(江戸文学)と「義経記」や「曽我物語」との関係は深くないと云えるだろうか。「義経記」や「曽我物語」は徳川文学に対して永く大きな影響を与えなかったであろうか。であるのに、「義経記」は不運にも徂徠一人に称賛されただけである。「曽我物語」は一人の有力な称賛者を得ることなく今日に至っている。書物における「義経記」や「曽我物語」のように、人においては蓮如や向阿や無能のような人が、果たして顧みられることなく棄てられて可(よい)ものだろうか。ソモソモまたそれはその書物やその人の不運であろうか。幸運か、不運か、アア、運命が翻弄するものは人間の運命だけではない、心血の籠る文章などの著述もまたソウである。そのことを思えば納得できずに恨みは残り、歎息しないわけにはいかない。
 今の世において、文学を論じる者は甚だ少なくない。しかも皆、多くは枝上の燕雀(えんじゃく)のような小人物を論じて、天空を飛揚する鴻鵠(こうこく)のような大人物を遺(わす)れ、眼前の芥子粒(けしつぶ)に心を奪われて、背後の崑山(こんざん)の珠璣(しゅき)を忘れ、いたずらに一世の十数人を論じて百世の一人を無視する。アア、幸運なもの何でそれが幸福で、不運なもの何でそれが不幸であるか、真に文を愛し詩を悦ぶ者は、繰り返し繰り返し此処に考えを寄せるべきである。

注解
・飛鳥山:東京都北区の区立公園になっている。標高二十五・四メートル、東京の桜の名所の一つ。
・道灌山:西日暮里公園になっている、標高約二十三メートル。 名前の由来は諸説あるが太田道灌の出城があったからといわれている。江戸時代には秋の夜長に鈴虫や松虫などの鳴き声を楽しむ「虫聞き」の名所として有名あった。
・音羽の滝:清水寺境内にある滝、落差五メートル。
・紙魚:紙を食う虫、」体形が魚に似ている。
・三たび顧みる:繰り返し味わう。
・矮人観場:背の低い人が能く見えないので前の人に聞きながら観劇する。付和雷同。
・義経記:・源義経とその主従を中心に書いた作者不詳の軍記物語、南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている。
・曽我物語:曾我兄弟の仇討の物語である。
・徂徠:荻生徂徠、江戸中期の儒学者、思想家、文献学者。
・蓮如:蓮如上人、室町時代の浄土真宗の僧。
・向阿:向阿上人、鎌倉時代から南北朝時代にかけての浄土宗の学僧。
・無能:無能上人、江戸時代中期に生きた浄土宗名越派の名僧
・現身:生身
・燕雀:燕や雀のような小鳥。
・鴻鵠:鴻(こう)(大形の水鳥)や鵠(くぐい)(白鳥)のような大きな鳥。
・崑山の珠璣:西王母が住むと云う崑崙山の丸や四角の宝玉。崑崙山は宝玉の産地。


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