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ありがとう

義母、緩和ケア病棟に入院してとろみのついた食べ物を出されていました。そのうち、とろみのついた飲み物もみんな気管の方に入ってしまうということで、飲むのも禁止になりました。点滴もあまり良い効果がないということでしませんでした。飲まず食わずで3日目には酸素マスクになりました。
それでも、義母の幼なじみが書いて持ってきてくれたお手紙を読むと、声を出して何度も反応してくれました。

亡くなる日の午前中までは声で返事をしてくれましたが、午後には声は出ず、うなずくことしか出来なくなりました。

「童謡を聴きますか?」と聞いたらうなずいてくれた気がしてので、YouTubeで懐かしい童謡を流しました。夏は来ぬ、早春賦は私も好きで、歌いやすい。りんごの歌、荒城の月…
個室だから小さめの音なら出してもOKでした。

お義母さん、最後まで聞く力はありました。脈が止まる直前まで家族の声に反応して話そうとしてくれました。

夜に亡くなって、2時間で病院を出てほしいということだったので、急いで家に布団を敷いて、お迎えの準備をしました。葬儀屋さんも24時間体制で待機しているそうで、すぐに駆けつけてくれました。徹夜で布団を敷いたり、運び入れる動線を確保しているうちに、義母は帰ってきました。その頃には空が明るくなっていました。

お葬式では義母の若い頃の話ばかりで、私が一緒に過ごした最後の4年のことは誰も話しません。まるでタブーであるかのように。私まで無にされた気もしますが、遺族にとってはそれで良いのだと思います。

義母の表情は穏やかで笑っているようでした。 

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