昨今話題のMMTとマクロ政策論争に関する雑感

近頃MMTという言葉をよく見聞きします。現代貨幣理論というそうです。

彼らの要旨をまとめれば二点になるかと思います。

国債発行の見合いとして生み出された法定通貨が流通するのはそれが納税に利用できるからである。国債発行は民間の預金等金融資産に依存しているわけではない、むしろ民間の金融資産が国債発行によって生まれている。

二点目は政府支出の源泉は本質的には生産力とそれを徴発する政府機能に依存するので、生産力が頭打ちになるまでは政府支出が可能であり、雇用を増やすことが出来る。その雇用過程で総生産自体も増える。

私の認識、疑問等

MMTは現在国債金利が歴史上極めて低い水準で推移していることを説明する理論としては正しいと思われます。

個人預金残高が国債発行余地だと盛んに喧伝され少子高齢化も背景に財政破綻論が煽られ、増税議論と消費税や保険料増等の累進的性質の弱い科目での負担増が繰り返されたのがこの数十年の日本経済です。しかし金利はいつまでたっても上がらなかった。今も上がってこない。

国債消化のメカニズムは大まかに言えば、政府は中央銀行に当座預金口座を保有する市中金融機関に主に国債を買い取ってもらいます。市中金融機関は顧客から預かっている預金を政府に貸し付けているわけではなく、政府への貸付と同時に政府が民間に支払った預金が市中銀行に生まれているに過ぎません。このプロセスにより金融システム上は半永久的に国債を消化し続けられ、同時に民間部門の金融資産が増えるのです。

MMT論者が預金と借金が同時発生することに拘るのは、GDP比の政府債務残高がいくら増加してもなんの問題もなく国債が消化され続けている根本の要因がそこにあるからではないでしょうか。

ここからは私が気になる点です。

そもそも政府債務残高の積み上がりは貨幣の流通速度が一貫して下落していることと大きく関係があります。以下のブログのグラフを参照します。

このグラフの状態を説明したのがこれまでの記述になるわけですが、もう一度。政府がいくら国債を発行して民間の預金を増やしても、商取引に活発に使われないという状態が流通速度の低下として観測されることになります。貨幣が流通しないことの補填に大量の預金を市場に供給する必要に政府は迫られているわけです。もしも流通速度を高い水準にキープ出来ていれば名目GDPが増加しますから名目上の歳入も増加したと思われるので、国債を発行して政府支出をする必要に現在ほどには迫られなかったでしょう。

私は政府支出や減税の額面が単純に足りないがために経済が停滞しているのだとは考えていません。それ以前にそもそも緩和的な経済政策と緊縮的なそれを税収と支出のバランスで測るのは不可能だと考えています。

いくら国債発行により実施した政府支出で民間預金を供給したところで、流通速度が上がらない要因を据え置いたままでは全ては個人の富裕層の口座、法人口座等、お金に余裕のあるセクターに吸収され、預金残高という数値が口座で眠るだけるだけに終わるのではないでしょうか。

政府は経済活動が後退したときに安全資産である「お金」を市井の人々に提供する必要があります。そうしないと達成できるGDPが本来達成できたはずの水準を下回ることになるからです。中央銀行が市中銀行の資産を購入しベースマネーを供給する、所謂金融政策と政府が財政支出で資金繰りに困っている個人、企業に対して公共事業や社会保障支出等を通じて預金そのものを市場に提供する財政政策は、効果、影響の範囲は違いますが本質的には同じような行為です。

貨幣の流通速度が落ちた大きな原因としては様々な要因が考えられますが、貨幣の流通速度を直接上げるには貨幣保有そのものにペナルティを掛ければ良いとは言えます。

そもそもはリフレ政策(インフレ率上昇政策)による経済刺激とはそういうだったはずです。中央銀行が市中金融機関にお金(ベースマネー)を供与することでインフレ率が上昇し現預金の価値が時間の経過で切り下がるので、それ以外の対象に保有対象を切り替えることで設備投資や雇用が刺激され、経済が成長するというロジックです。

リフレ政策が事実上失敗したのは、ベースマネーをいくら市中金融機関に供与したところで実際の実体のある経済活動までの経路が細く、民間企業の借入=預金を増やすことも、預金の流通速度を上げることもままならなかったからです。

何れにせよお金が使われるようになるには、お金を使わない人からお金を徴収しないと難しいと言えます。この結論に至って私は財政支出の各大規模がどうだとか、拡大余地がどうだとかいう議論がほとんど無意味に思われてきました。

長くなったので今回はここまでにします。

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