サッカー女子WC報道から見るメリトクラシーと性差別問題

サッカー女子WCでアメリカが優勝した事実をこちらの報道で私は知りました。


男女のサッカー選手の報酬に差があることが問題だそうです。そして平等な報酬を払えというコールが起こったそうです。

私はnoteの過去記事に書いた通り少数の人間が報酬を多く取ることで金融資産の拡大を伴いつつその流通速度が停滞するという不況を問題視しているので、欧州プロサッカーリーグを中心とするスター選手の目もくらむほどの高い報酬自体に否定的です。プロ選手は一気に一生分稼ぐから税金が高くて困ると言うならば、分割払いの契約にするなり引退後の雇用をクラブに確約させるなり、引退後の生活に備える方法は様々にあるでしょう。

巨人のV9時代がそうですが、所得税が極めて高い時代でもプロスポーツは栄えていました。高額な所得税によってスター選手の報酬に一定のキャップがかかるような税制のほうが、運営会社はスター以外の選手に報酬を回しやすかったとも思います。

話をもとに戻しましょう。女子選手が男子選手の給料が高いと不満を仰っていますが、プロスポーツは一般的に勝利に貢献しているとみなされる者に沢山のお金が払われることになっています。無論、所属チームの資金状況や容姿や言動やプレイスタイルなど様々な要素がそこに加わるわけですが、勝ち負けや優劣がわかりやすいスポーツというものの性質上、その原則が強く機能しています。

女子が男子より報酬が劣るのは端的に言って肉体の性質上、競技能力で男子に勝てないからです。私が今のような議論でよくわからないのはequalとは何なのかということです。完全に実力主義であれば男女という属性を考慮する必要はないでしょう。男子に競技で勝って見せて正当な報酬を要求すればよいのです。遺伝(生まれ)と環境を分けることは難しいですが、遺伝も競技能力に大きく関わってきます。

性別はその中でも寄与度が大きい要素であり、何より外形的にわかりやすい差異であることが大きいのだろうと思います。男性ホルモンはパワー、スピード、持久力、回復力など多くのスポーツ競技に有利になる要素を高めますから、女性から見れば男性は常にドーピングしているようなものです。

しかし性別以外の遺伝要素や生まれた環境で差別をしないのに、男女差だけは考慮するという構図自体に疑問を覚えます。

また平等な報酬をと叫ぶならば、プロになれない人とプロとの差はどうなのだろう?安い仕事と高い仕事の差は?ということになります。男女別の枠を設けることで既に完全実力主義を否定しているのにその他の実力主義は正当だなんて、私にはちょっと虫がよすぎる話に見えます。

格差社会化が進んでいる世の中で女性の中で相対的に優位な女性が男性との競争は避けた上で報酬を同じにしろと叫ぶのはどうなのでしょうか?なんだか私には現代社会の実力主義というものも多分に恣意的な実力主義な気がしてなりません。

私は実力主義と勝者総取りという仕組み自体に反対なのですが。

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