年金2000万円問題について 2


1991年の平成バブル崩壊後、30年近くに渡り不景気という言葉しか聞きませんね。それが具体的に何を指しているかと言えば、企業がお金を借りない、人を雇わない、設備投資をしないということに尽きます。

積極的に生産活動をしたところで消費者が購買活動を積極的に始めるという見通しが立たない以上、企業は合理的に組織を運営します。

日本企業はバブル崩壊後、貯蓄セクター=資金の貸し手になってしまいました。誰に貸しているかと言うと、日本政府です。と言っても直接企業が政府に資金を融通しているわけではなく、国債の大半を保有している市中の金融機関の残高シェアにおいて法人の割合が増えているということですが。

金融庁は「2000万円老後資金を貯めてくれ」と仰っているようです。ところで別の機関、名前を日銀と言うそうですが、皆がお金を使い始めるように積極的な金融緩和をしています。全体を統合するとちょっとよくわかりませんね。国民にお金を使ってほしいのか、ほしくないのか。

預金を含めた金融資産とは生産物の配分を決定する道具でしかありませんので、いくらそれを積み立てたとて老後のリソースは生まれません。引退世代を賄えるかどうかを左右するのは未来の生産物の量のみです。物理的に足りていなければ配分比率をどうこうしても無意味ですし、足りていれば自由市場で決定された配分比率に介入すれば足ります。つまり富の再分配です。

ですから個々人がいくら預金を積み立てただとか保険料を納付しただとかは、あくまで個人がどれだけ有利な生産物の配分比率を享受できるかを左右するだけのことで、国家全体の高齢者をどう食わせていくのかということとは基本的に独立した問題です。

個人消費の需要が旺盛な時代にはそれを減らし、未来に向けて生産物を増やすような行為が合理的になります。例えれば種籾を食べず、来年の収穫に向けて田畑に散布する、これが消費を抑えて投資を拡大するということです。統計的にこの生産物=富の変動は一般的にGDP(国内総生産)という形で捕捉されます。

それを金融的に近似的な形で実施したのが個人向けの保険や預金の形成にあたります。強制的に消費を絞ることで企業が将来に向けて有益な経済活動をする資源を確保するのです。種籾を食べさせず、未来に向けて種まきをするのです。

つまり基金の運営主体が政府であろうが民間企業であろうが、国民に金融資産形成を奨励することは経済を俯瞰した際には消費を抑制することが経済にとって有益なときに合理的であると言えます。

そして今はどのような状況なのでしょうか?金融資産形成の奨励が合理的な局面でないことは、ここまで読んだ方にはおわかりであろうと思います。輸出が超過していた高度成長期には確かにそれが必要だったのだろうと思います。消費税は当時ありませんでしたが、預金や保険の積立を国民に促すという形で消費を抑制していたと言えます。

現在の国債を大量に発行して供給した預金を再び消費税や公的保険料という形で改修するのはアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。それにより現在の実物投資が抑制され、高齢者向けの商品の将来的な増加を期待できるような企業活動にも歯止めがかかっていると思われます。

今回のお話をまとめます 

個人に対する預金・保険など金融資産の形成、奨励は社会全体としては富の総量を増やせた場合のみ有効である。そうでない限りは社会の構成員間の生産物の配分比率を決定しているだけに過ぎない。

現在はそれらの資産形成の奨励が富を増やすような状況ではない。だからこそ預金残高の伸びに対して名目GDPの伸びが停滞し、実質GDPの伸びも芳しくない。


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