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ひとり旅日記モロッコへ8日目:サハラ砂漠で一泊カウントダウンなのに荷物が届かない!!

2019年12/31砂漠ツアー②

朝食は7時との事だったが、昨日の夕飯で懲りたから、時間前に行った。パンとホットケーキ?のみ。あとはオレンジジュースと茶、コーヒー。オレンジジュースは搾りたて感あるつぶつぶタイプ。これだけが飲み物で1番マシだった。コーヒーは香りも味もない、お湯に色がついた液体。腹減ったら困るから、ホットケーキみたいなのにハチミツかかったものをかなり食べた。

8時出発。ドライバーに挨拶してバスに乗り込む。我々日本人は最後部。1時間も走らないうちに写真ストップ。何ここ?オマールさんから送られてきた行程表には載ってなかったし、特に感動する景色でもなく。美人が持参したガイドブックには「サルの手」と呼ばれる景勝地とあった。でもなぜこの名前なのか不明との事。サルの手に見えたか?この奇岩たち。

一度トイレ休憩の後、ノマドの集落見学。昨日のアイット・ベン・ハドゥのガイドとは違い、エーゴがわかりづらい。ベルベル人の中でもノマドと呼ばれる人たちについての説明だった。この集落の公共エリアで育った桃、イチジク、ぶどうその他の果物は実がついたら、ノマドの人は勝手に取って食べて良いらしいが、オリーブとアルガンは所有者のものとなってるとの事。ノマドの人たちは定住せず、夏の間は山へ家畜を連れて移動して羊毛を刈り取り、川で洗って乾かして、糸にしてから染めるとの事。ノマドの生活を一通り説明を聞いた後、西人グループのひとりが「ノマドはそういう暮らしをして幸せなの?」と愚問したら、ガイドが「ア?」と。ノマドは好きでそうしてるとはひと言も言ってない。そういう生活をせざるを得ないと言ってたじゃん!そういう質問は頭悪過ぎるから、しなきゃ良いのに。

畑用の水路や色んな植物の畑があった。豆やキャベツ、そして家畜の餌になるアルファルファを育ててるとの事。アルファルファ。なんか知ってる懐かしい響き。西人グループのティーンエイジャーがフザケながら歩いて、左足を水路にボチャ!ダッサ…。

モロッコは実は600年ぐらい葡支配の時代があって、仏支配はたかだか50年というガイドの説明に西人グループの別の1人が「なんで葡語じゃなくて、仏語話してんの?」という純粋な疑問を投げかけたから、自分は思わず”Good point!”と同調した。確かに。でも、モロッコ人がどっちの言語話してても、自分にはサッパわからんが。

ノマドの人たちはカレンダーを元に生活してないとの事。そして、移住しながら営むキャンプ地で生まれるから出生届もすぐに出せない。との話に、自分が「え?No birthday??」とビビったら、「本当だ」とID見せてくれた。ノマドの人のIDは生まれ年だけ記載があって、月&日は不明だから記載しようがないとの事。それにしてもガイドのおっさん、自分と4コしか変わらないんだ…。50〜60代に見えた。それだけノマドの生活が過酷なのかもね。老いるのが早いって事は。

この集落に住んでる親子がいた。羊が何頭かいた。板の仕切りの向こうにいたのが急に板を越えてこっちに向かって来たから軽くパニック(苦笑)。ガイドと飼い主のおばさんがおさめてくれた。ノマドの男性は冬の間3Kの仕事に出稼ぎとの事。

今日も絨毯屋でお茶。ミントティーは砂糖の有無を聞いてくれた。自分はもちろん有りで。紅茶、コーヒー、エスプレッソ、緑茶、ハーブティには絶対砂糖入れないけど、ミントティーは別。ストレートはなんとも飲みづらい。

昨日のアイット・ベン・ハドゥの絨毯よりも色の種類が豊富。緑はキャベツやアルファルファで、ピンクはバラで、オレンジはヘナで、白と黒は羊毛の色そのまま。サボテンシルクの使って絨毯を織るとの事。糸にした毛糸を染めて、色止めはお湯に塩と酢を入れるとか。次々出てくる絨毯。昨日よりもクオリティ高かった。「ノマドのピカソの作品」と言いながら出して来たり。織り方も昨日の物とは雲泥の差。だけど買わない日本人。英国カップルが気になる絨毯があるとの事で、関係ない我々は部屋を出された。値引き交渉を見られたくないらしい。そういうもんなんだ…。

外でカップルを待ってると、鼻タレ小僧達がたかってくる。草で編んだ何かを昨日スカーフ買った彼女に渡して、彼女がお金あげたら、それを見てた小さい子が木を折ったよくわからない物を渡して、同じくお金もらおうとしてたが失敗。そうこうしてたら英国カップルとガイドが戻ってきた。

ガイドが「日本人、どこから来た?」の問いにほぼほぼ全員が東京近郊と答えた。ひとり「関西」と言ったら、「ハザマカンペー」とガイドが言う。「え?ガイドさん、間寛平に似てるって言われたの?(サル顔で似てると言えば似てた)」と聞いたら、「NO!彼はサハラマラソンに出たから知ってるんだ」との事だった。失礼しました。

ランチ会場到着。注文するだけして、料理が出てくるのを待つ間にトドラ渓谷に行くとの事。冷やかしでメニュー見たら、プロシュートが。マラケシュで食べたらおいしかったと、写真見せたら、7人中自分を含め3人注文。そしてトドラ渓谷へ。ロッククライマーの聖地。渓谷だから涼しい。夏は観光客が多いらしい。なかなかの景観だった。写真撮り終えてまたバスに戻る。バス戻る前にガイドからチップの要求。このツアー始まる前に、ガイドは確か気持ちでチップ頂けたら有難いです的に言ってたのに。日本人が10DH一律にしたら、あと10ずつと言ってくる…。気持ちであげたものに対して、更に要求はチョット…。我々女子3人はムシした。

ランチ終了14:30。食堂出るのが遅かったクセに、砂漠でラクダ乗りながらの夕日鑑賞見られなくなるから早く行けと急かすガイド…。バスに乗り込み出発。エンジンのバッテリーが上がらない様にとエアコン点けてくれないし、窓も開かず、1番後ろの席で脱水症状になりかけた。最後のトイレ休憩で水を買って砂漠キャンプの起点メルズーガに着いたのは17時過ぎ。ここからラクダび乗るのに、重い荷物は持って行けないとの事で、荷物詰め替えして不要な荷物はこの砂漠の入口のホテルに預けた。「早くしないと日が暮れるよ!」とreception のお姉さんとラクダ使いにも急かされた。昨日のうちにその旨言ってくれりゃバックパックに分別しといたのに。段取り悪いよな。

なんとか整えて、ラクダが待機してる場所へ。なぜか3頭足りず…。「すぐにラクダは来る」と言いつつ、ジープに乗せられて向かった先にいたのは2頭。え?自分ひとりで一頭、あとの2人で一頭。2人乗りの方は荷物背負うとラクダに乗れないとの事で、「ジープで荷物を届ける」と言われてラッキー!と思った我々3人。夕日が刻一刻と地上に落ちて行く。沈み切る前になんとかラクダに乗れたけど、乗ったからと言って、夕日鑑賞するワケではなく。この時点で17:40。

15分くらいした所でラクダ使いのおっさんが何か叫びながらうちらを放置。そして、向こうからやって来た若者にバトンタッチ。日もすっかり落ち、今日は三日月。一番星も明るく輝いてた。しばらくは赤く染まってた空も後は暗くなってくばかり。先に行った10頭のラクダの列に比べたら、2頭ってめっちゃ少ない。間もなく暗くなって満天の星空。わぁ!と思ったものの、すぐに早くキャンプ地に着かないかな…と思いに変わった。

何より眠い。足元から寒さが忍び寄ってくるし。大分の彼女がお腹空いたとの事で、ビスケットを食べる為に少し止まった。そしてまた出発。早く着け!と思いつつ、一体どこにキャンプがあるんだ?と思ってると、ラクダ使いが立ち止まって、「疲れた。金払うから代わって」と言いやがる。「オマエの仕事だろ?」2人とも何も言わないから、「1000DHでやってやるよ」と言ったら、「2000DH払うから降りろ」と言う。「じゃ、早く金よこせ!」と言うと、「君はそのまま乗ってて良い」と言う。栃木の彼がやっと口を開いて「君の仕事だろ?」と言った。自分はキレながら「早く連れて行け💢仕事しろ💢💢」と言って、やっと動いた。何?このムダな時間。

そしてついにテントが見えてきた。ラクダをさっさと降りて、このキャンプ地の主みたいなおっさんを捕まえて、荷物届いたか聞いたら「まだだ」の一言。「それよりも明日朝はラクダで戻るか?それとも100DH払ってジープで戻るか?」と聞かれたから、3人で「ラクダ!」と口を揃えて言ったら「先に来た日本人はみんな100DH払ったぞ」と言う。「本当?まずは3人に会わせてくれ!」と言うと、OKとの事で、食事会場のテントに案内された。

時間は20:05。2時間くらいラクダに乗ってたのか?先に到着組が食事会場に来た。もう部屋も決まってるとの事。うちらはまだ。例のジープの話したら、支払ったとの事で、朝日見らんないならラクダのイミないよねって事で、キャンプの主に100DH支払った。ここで栃木の彼が、実はジープで運んでもらう荷物の中にPPTと現金全て入ったカバンを預けてしまったって事を知った。マジか!万が一があった時、大使館は祝日で休みだよ?何もないであって欲しい。彼の事情を知ってしまったから、何が何でも荷物を届けてもらわねば!

夕飯は2品。冷めた炒飯。やっぱ米料理イマイチ…。しかも具にサイコロサイズのじゃがいも…。2品目はチキンタジン。昨日の夜もチキンだったよね…。タジンは出来立てで、湯気立ってた。ここで停電…。スタッフによると、二度と点かないらしい…。ひとりが懐中電灯持ってて助かった。ランチ後自分のサンドイッチ弁当を食べたからそんなにお腹空いておらず。味付けが濃かったし。自分はすぐカトラリーを置いた。デザートはお決まりのみかん。

食事終了21時前。あと3時間で2019年が終わるけど、このキャンプ地は何かイベントないのかね?と言ってる側でfireと聞こえた。ハリきって外に出るも、fireは歩く道照らすろうそくのみ…。え?ろうそくの火では灯りが足りない。行った先にキャンプファイヤーがセッティングされてたから席を確保した。自分は寒がりだから、身に付けられる物を全て身につけてたから良いが、栃木の彼と大分の彼女は荷物が届かないとは予想できなかったから、そこそこしか着てないらしく、夜の砂漠でかなり震えてた。先にキャンプに着いてた男性が部屋から毛布を持ってきてくれた。有難い。これで3時間キャンプファイヤーなのか?

やっと着火されて、燃え上がる火。はぁ〜。あったか。足元には火が来ないから、かなり厳しく冷えてるけど、火がモロに当たる顔は熱い。火が絶えない様にしてくれたみなさん、ありがとう。やっとイベント?というか、ベルベル人の音楽が始まった。演奏前に、太鼓に張られた皮を暖めて調整してた。音楽隊の中に、イケメンベルベル人が!GLEEのフィンに似てる。初インドのプージャ(この時も火があったな…)でイケメンインド人に釘付けになってた事を思い出した。

ベルベル音楽は決してノれる曲調ではなく…。それでも欧米人はなんとか踊ってた。千葉の彼が「日本人は踊る民族じゃないんで」ってのがウケた。キャンプ地の主が現れる度に、「おじさ〜ん」と日本語で呼びかけて、荷物の催促。「あと10分って言ったクセに、もう30分待ってるよ?」とツッ込んだり。「部屋は整った」と主は言うが、肝心の荷物が届かないと寝たくても寝られない。

2019年終わるまであと1時間を切った。自分は薬飲まなきゃならない事を思い出した。火を囲んでる中に主がいたから、「自分薬飲まないといけないから、ホント荷物届かないと困る!」とみんなの前で言うと、米国人の彼が「そりゃマジで、困るよな。届かないって、アリエナイよな。届く事を祈ろう」と言ってくれたのを筆頭に、各国のみなさんも我々3人を哀れんでくれた。それなのに、別グループでこのキャンプ地で合流したBな日本人の女が「絶対来ないですよ〜」と言うから、マジでカチンと来て、あ?オメェ何言ってんだよ💢という顔したら、「ゴメンナサイ…」と言ってたが、大分の彼女はこのひと言にショックを受けて固まってたし。そっからBが取り繕おうと火を絶やさない様に急に手伝い出したが、マジウザ。普通、同国民ならこの場面では同情と心配しないか?

大分の彼女と「荷物来年届くね〜。砂漠でロスバゲはかなりネタだよね」と言いつつ、関西からの男性が正確な電波時計との事で、「0時3分前になったら教えてください!」とお願いした。少し離れた別のキャンプ地から賑やかな音がし出した。それに負けじとここのベルベル人も演奏を再開したが、なんせ楽器の音が渋い上に、彼らの低音の歌声。高音欲しい…。と思ったら、地面に竹が落ちてた。拾って、キャンプファイヤーの薪を乗せてる鉄板を叩いてみたが、思う様な音ではない。米国人の彼に、「彼女の怒りのドラムだ」と言うから、「その通り!」と言いつつ、鉄板を吊るしてる支柱を叩くと、欲しい音だった。

関西の男性から0時3分前の声がかかり、西人は伝統のぶどう12粒を缶詰から準備。1分前、30秒前、20秒前となって、ぶどうを食べ出した。自分は動画準備。5、4、3、2、1。Happy new year! 今年も叫んだ。カウントダウンが済んだら、テントに戻るツアー客もいた。少人数になり、火に当たりながら、荷物待ちながらというなんともビミョーな年越し。

主に「おっさん、眠いんっスけど?」と言うと、またまた「あと10分」と言うから、「本当は何時なワケ?」と聞いたら、「あと2時間」「はぁぁぁぁぁぁ?」ブっ倒れそうだった。コンタクトも限界。「10人乗りのジープがこっちに向かってる。そのジープで荷物は来る」と言う。なぜ今更というか真夜中に10人がこっちに来るのか?何が起こるのか全く理解できないまま、ひたすら待った。先に着いてた3人の男性陣も無言で荷物到着に付き合ってくれた。同じオマールさんのツアー参加の絆を感じた。

荷物が届くまで、星空を見上げて流れ星を見てた。流れてくのが速すぎて荷物が早く届きます様にとは祈れなかった。火を背中に当ててると、砂漠の中に光が見えた。ジープ?「ねぇ!来たっぽいよ?」大分の彼女は疲れ果てて、反応が薄かった。でも目の前にジープが停まった瞬間、3人で一気に駆けつけた。荷物一目散に。そして、まさかその10人の中にバスは相乗りだけど、宿泊プランが違う美人の彼女がいた事には気付けず。8時間後に対面できた荷物を背負って、3人でジャンプしてハイタッチ。イェイイェイ言いながら。

この年越しは自分の人生の中で間違いなく、色濃く記憶に残るだろう。コンタクトを外し、歯を磨き、メイク落としで顔キレイにして、星空トイレを済ませてやっと就寝。テントの中は本当に寒くて、火に当たってなかったつま先は冷え切ってて、ベッド中で足同士を何度も激しく擦り合わせて、重たい毛布を2枚頭からかぶってなんとか寝ることに専念した。


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