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スイカを買うタイミング

茹だるような真夏日が続き、
日常の連鎖は
散らかってバタバタ倒れるドミノのよう。

こんな季節こそ、
自分の状態をより気にして
こまめで柔軟なお手入れがしたいものです。

心の声をキャッチしたり、
疲れたらすぐ休んで調整するなどして。

苦い過去に囚われやすい私の心に
ネガティヴハザードはあいも変わらず
頻発します。

被害後の教訓はいつもこの2つです。

  • 自己否定からの焦りや不安、虚しさは疲労。悔しさや怒りも疲労。疲労時の心身の状態はデフォルトではない

  • 焦りや怒りは判断力を低下させ、行動、選択、思考の質を悪くするので、やっぱり休んで仕切り直すべき


「それはそうだよなー」と思われると
思いますが、実行は簡単でしょうか? 
私はまだまだ上手くできません。

焦るときほどジタバタして
ただでさえ靄だらけの視野を
一層曇らせます。

何も見通せなくなって、
何もかも暗くなって、
一層苦しくなります。

泣いたり寝たりゆっくりしたり
美味しいもの食べたりすると
流れが変わるキッカケが
生まれやすくなるのに。

それをやるタイミングを
つい逃しがちになります。

私と同じという方もいるでしょう。
理由は簡単です。

自分が疲れる事柄は、
皆それぞれで、誰もが誰かと違います。
気を遣ったり世間の平均を慮っていて、
自分の疲れ否定すると
気づけばずっとへとへとになり、
戦闘不能状態を長引かせます。

戦闘不能になるまで自分を労わり
自分にとっての「回復行動」のため
1ターンも取れなかったからです。

「こんなことで疲れてはダメだ」
「何もできてないじゃないか」
「我慢しないと迷惑になる」
「おかしい人間であることを隠したい」
「醜い感情を抑えたい」

こんな声が心の審議場を飛び回ります。

さて私のケースですが、
幸か不幸か、
どんな時で、どんな状況でも、
気持ちに正直でいること、
自由でマイペースにやることが
他のすべてより
優先度が高い事項のようです。

名誉、立派であること、流行り、
世間様への申し訳、
お金などよりもずっと、はるかに。

これは私自身がそうありたいから
そう決めたわがままではありません。
どちらかというと
抗えない血や呪い、
仕様のようなものです。

自由を尊ぶように、
自分らしくいる実感が尊厳とだと
感じるように

その深層の忌々しい重力が
厳然とした法則のように働いてきました。

それが意味するのは
肩身が狭いことや、
歯切れ悪い立場、
沈黙を守るしかない居心地の悪さ、
ハナから理解を望めないマイノリティ、
一貫性を持った孤独などと
共にいつことです。

幼少期、自分にとっての自由が
選び取りやすい場所が
世間にほとんどないと気づくと、
自然と正解の標識に
執心を持つようになりました。

意志なき歯車になって
得体の知れぬ巨大装置と溶け合って
回っていくことの自由を味わいたかった。

というより、
私のいない噛み合いまくった世界だけで
よかったじゃないか、
私がいると異物混入、
何もかも中途半端です。

心から社会に適応して心から納得する
どこか異質でも誰も困らない歯車になれる
『コンビニ人間』の主人公に
なりたくても、なれないほど
人との違いに晒されると
内部処理が走りまくって
疎外感や空虚さに襲われて
疲れやすかったのです。

それでも人の見様見真似で生きようとして
不幸や惨めさと闘ったり、
平伏して踏みつけられたりして

心は湿気の多い夏の井戸底から
這い上がれずにいます。

ズブズブとヌルい泥に沈んでいく心地で、
前味も中味も後味も悪い上
支離滅裂の悪夢のように延々と続く
退屈なノワールを見せられているようで
へとへとです。

スイカをオールシーズン食べたいくらい
好きなのに、
いつも1/8カットの値段が
セールでも300円を切らないのを見て
断念したまま夏を過ごすのは、
これで何年目でしょう。

別にどこかで踏ん張って
プチ贅沢として買って食べてもいいのですが、
「いや今日は値段気にせず
 半玉食べちゃおう!」と
実行したい優先度が高くなるタイミングが
やってきません。

今年こそ夏が終わるまでに
スイカが食べたいです。
半玉まるごと抱えて
スプーンで掘って食べることが
長年の夢です。

疲れの話に戻ります。
私は人より圧倒的に疲れやすい。
本当にうんざりです。
すぐにすり減るなんてダサいです不都合です。人並みに疲れず狂わない歯車になりたいです。
他の人には分かってもらえない疲れ方をすることに最も疲れます。

子どもの頃に
クラスで成績が悪いことで
先生にこっぴどく叱られている子を見て
関係ない私が鼻水たらたらに号泣しましたし

会社でパワハラのサンドバックにされてしまった同僚を見て、本人が持ち前の健忘症を活用してヘラヘラ過ごしていても、私が息できなくなってランチのサンドを齧りながら避難階段を往復していました。

私自身がいじめられたりして苦しむときは、
意外と感情が死んで動かないものですから、
他人の苦しみと認識できるもので
感情がバグるのかもしれません。

私は野菜などの
食べ物の編みぐるみが好きで、
好きな作品を調べたり、
自分がほしいフォルムを
考えたりするときに、
よく頭に浮かぶことがあります。

にんじんひとつにしたって、
野菜売り場で並んでいる中ですら
同じ形のものは見つからないのに、

何か他の表現で転写させる時、
ついついまるで全世界の全畑のにんじんが
ひとつに収束されたかのような、
イデアのデフォルメを、
人間は好んで求めてしまうんだな、と。

人の脳の処理能力の限界のせいか、
人間の美意識が思わせたことか、
なんだか、どんな個体に対しても
完璧なひとつ、
「パーフェクト・ワン」の方が望ましく感じ、
類型化してひとつに収束させてしまいたい
性質を、人間が持っている気がします。

でもにんじんすら無理なのですから、
人間は平均値の想定にすっぽり収まって
生きるのはそう簡単な話ではないはずです。

にんじんが人間からすれば
やや歪な形をしていても、
目くじら立てて責める発想よりは、
大地の恵み、味と捉える発想に
比較的になりやすいです。

しかし人間として
人間が暮らす社会で
平均範囲をはみ出ると、
即座追放の危機、裁かれし大罪の意識を
獲得します。

何かしらの生きづらさを
感じない人はいないのですが、
何かしら「その人にとって
克服できるものになり得ない
生きづらさ」を持っていると、
社会との協調においての
葛藤が根深くなります。

その個体が「克服できない生きづらさ」と
感じているものが、
そのまま個体の性質であったり、
生来の特性と才能だったりすると、
なおさらです。

その上で、その生きづらさが社会通念
ーー社会を機能させる平均の枠内に位置付けできる理解範疇ーーを超えていると、
背負う十字架を外すことが
容易でなくなります。

つまりは自然体の通常状態でいること、
思うこと、感じること、欲することが
外界にとって具合が悪いです。

アマプラで『モダンラブ』シリーズを
観ていると、
ちょいちょい躁うつや睡眠障害などで
体内時計が狂って普通の社会生活が
送れない女性が出てきます。

彼女らは社会生活や人間関係の難しさに
繰り返し直面します。
彼女らにとっての生活リズムの逆転という
正常に寄り添う努力はしたものの、
重大な約束を繰り返しすっぽかすなど
信頼を失う失敗ばかりやります。

でも本人たちは悪意はないどころか
まっすぐで純粋、一生懸命。
さらには豊かな精神世界と
ユニークな魅力も光ります。

ただただ、どうしても
普通になれません。

基本ハートウォーミングで
ハッピーエンドで終わる
ドラマシリーズなので、

生きづらい彼女らには
大概支えとなる良き理解者に恵まれていたり
困難が伴う自分らしさを
受け入れてくれるパートナーシップを
1時間以内の尺で手に入れます。

現実の中では
そう簡単に理解者が見つかりません。
太宰のような破滅属性を持つ者が語る心境がはみ出し者たちの心をうまく代弁しますよね。

社会生活において、
自分自身も本当は自分が嫌だと思うような
不利益を生み出すクズに結局なってしまう
苦しさと惨めさの感覚。

だけど本当は、社会の平均との兼ね合いの
不都合さえ消えたら
本当は良い人間でいて仲良くやりたい
という切なる願いの訴え。

自分の「自然」が社会の「自然」が
相容れないことから
絶えず生まれる
引き裂かれるような無数の痛みと苦しみ。

弱さには鍛えて乗り換えられるものと
そのままを認めるものがあります。
人によっては徳を潰す逆境と
人間が育つ逆境がありますように。

散々寄り道しました。
話を戻すと、
自分の「自然状態」と
自分が身を置いている環境が想定する
「平均状態」との相性がどうしても悪い場合、

どれだけ稀有だとしても
自分に合う環境を望む気持ちを
持ち続けるのが
自分を生きる気概であり、節操であり、
希望であります。

合わない環境に溺れていると
疲れやすいことは当然でしょう。

自分が気にかけて
自分で気づいてあげて
休まるものや行動を見つけて
ひとつひとつ積み上げることが

自分「で」生きる実感、
自分「が」生きる意味

につながっていくのではないかと思います。

焦りや苦しみが優位の状態ですと
多分本心の声が聞こえてきません。
即休んで早期回復を図るとよいでしょう。

そのためにも
日頃元気なときに
自分にとっての「回復」「癒し」行動
をたくさん見つけておきたいですね。

というわけで私、
8末の誕生日までにスイカを買う
タイミングを見つけられなかったら、
誕生日に誕生日ケーキと言って
自分にスイカ半玉を買って祝おうと思います。

夏も冬もスイカがおいしいです🍉☀️🍉。
タネまで美味しく噛み砕いていただきます。

んと、スイカケーキの蝋燭を何にしようかな?
きゅうりあたりがよさそう。
爽やかシャキシャキ〜
いやあ、ワクワクしてきました〜




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